弁当「アンタ、お海苔はどっち派?」
庵はそう言って、焼き海苔とデカデカ印字されたチャック付きパッケージから海苔を一枚取り出した。その一枚をパリパリと三分の一幅に折りたたんで裂いていく手つきを眺めて、どっちとははてなんのことやらと、五条は首を傾げてやった。
「パリパリがいいか、しっとりしてる方がいいか」
庵の視線は手元の海苔に注がれるままで、五条の方には向かなかった。しかしこちらが無言であったことで情報の不足に気づいたようだ。コンロでおこした火で海苔をあぶりながら問いの内容を補った。
パリパリは嚙み切る食感が楽しいが、しっとりとご飯に馴染んだ海苔の風味も心ひかれるものがある。
「甲乙つけがたいやつ。歌姫の好きな方で」
「えぇ……。じゃあ、パリパリにする」
出しっぱなしだと思っていたラップを、庵が手に取った。ちゃんと使い道は想定されていたのだなあと思う。
「決め手は?」
「ラップ取ってお海苔巻いてまたラップつけるよりも、楽」
「ワァ、実益」
話している間にも庵は焼き海苔二枚をラップに包んで、先に握ってあったこれまたラップ包みのおにぎり二つに添える。
「文句あんの? せっかく希望聞いたのに決めなかったのはそっちだろが」
別にい、という五条の言葉を聞くことなく、庵は台所を離れて寝室へ消えていった。
袋いっぱいの缶ビールという黄金を差し出した上で往年のテレビ番組を引き合いに出し〝ごはんを食べにきた〟ことを告げた五条に、庵はタッパーに詰めて持たせてやるから帰れと言った。
缶ビールを受け取り、五条を一人暮らしの部屋に上げ、お茶をいれて差し出した庵はそのまま台所に立った。結局、庵の夕食から分けて詰めるというよりは、新幹線で東京に帰る五条に弁当を作って余りを庵の夕食にする、という様相を呈している。まあ、これはこれで。
「ありかなしかなら、あり」
思わずこぼす。狙っていたところとはだいぶ違う着地点ではあるが、今日のところは引き下がってもいいかなとも。
「何か言った?」
「ん、いや?」
庵が紙袋を携えて、寝室から戻ってきていた。五条の着くテーブルにそれを置いて、台所からもおかずの詰まったタッパーとおにぎりたち、コンビニの割り箸とランチクロス二枚を持ってきた。あらまあ二枚も。いいんですか。
目の前でおにぎりとタッパーそれぞれを手際よくクロスで包んでいく、庵の指を眺める。包み二つを割り箸と一緒に紙袋に入れたところで、庵は五条の背後へ視線を向けた。掛け時計があったはずの位置だ。
「タクシーも来るし、そろそろ行きなさい」
「いつの間に呼んだの」
ちょっと舌を巻いた五条を玄関へ追い立てながら、庵は「配車アプリ入れてんのよ」とスマートフォンをチラつかせた。飲みの後は公共交通機関の最終を逃して大抵タクシーのお世話になっているから、という。あまり誇れる事情ではない。
「はい。飲み物はないから、別に買いなさいね」
玄関で靴を履き、身を起こしたところで、庵から紙袋を手渡される。飲み物の心配までして、これではもう完全に夕食のお裾分けではなく弁当だ、と思いながら、受け取った。
五条が開けた玄関ドアを押さえて軽く見送るつもりらしい庵に、「歌姫」と呼びかける。
「行ってきます」
「え、行ってらっしゃい」
無意識のうちに反射で答えたのがありありと分かるテンポでの返事だ。お人好しめ。こっそりと吹き出したことに庵が気づくことはなく、役目は済んだとばかりにドアを閉めようとしていた。
「タッパーとクロスは洗って帰ってくるね」
ドアが閉まる間際、その隙間から一言放り込んでやる。閉まりきったドアの向こう側で庵が「ちがう、違うから!」と叫ぶ声と、ガチャンとロックをかける音とを背中に、五条は帰路に着いた。
(2111270629)