見て「あ」
庵の視線が五条から逸れる。逸れた先には野球中継の映るテレビがあるはずだ。
庵の耳は五条と会話をする傍ら、聞こえてくる実況やテレビを見ている他の客たちの声を頼りに試合の盛り上がりを察知している。どうも庵の推し球団を贔屓にする客がいるようだった。酔っ払いらしく声がでかいので、あんなプレーだこんな判定だとよく聞こえてくる。試合が動きを見せるたびに庵の目は五条を通り越して、彼が背を向けるテレビに向かう。
「ああ……ダメ、処理された」
「おーい歌姫。今は僕と話してるんでしょ」
こっち、と指先でテーブルをトントンたたく。それほど大きな音ではないが、庵はハッとして五条に意識を戻した。今日だけでも何回目だろうか。数えるのは片手で足りなくなった時点でやめたし、今日が初めてという状況でもない。五条としては慣れとの闘いですらある。
「ごめん、つい」
「つい、ね。いつも思うけど、推し球団ってだけで、そんなに気になるもん?」
「ごめんってば。でもね、言い訳になるんだけど、今年のドラ一投手が初先発なのよ、今日の試合。せっかくだから勝ってほしいって思っちゃって」
本来なら、話しているときには精神的にも物理的にも相手としっかり向き合おうとするのが庵だ。五条に対しては棘のある言葉遣いになる嫌いがあるものの、基本的に他人を雑に扱うということがない。しかし基本があるからには例外もあるのだ。
後進の育成について話し合おうや、というお題目を掲げて、庵とのサシ飲みに持ち込んだところまではよかった。今夜の五条が間違えたのは店選びを庵に任せたことか、テレビがあるという理由で選ばれたこの居酒屋に入ることを了承したことか、テレビに向き合う席を庵に当てがってしまったことか。
席に関しては、こぢんまりとした店内ではどこでもテレビの音声が聞こえるという時点で、画面が見えていようが見えていまいが関係ないような気がする。むしろテレビに背を向ける席に座らせていたら、今ごろ五条は庵の背中を見る羽目になっていたのではないだろうか。それに比べれば現状はまだマシだ。そんな仮定に勝った気になったところで虚しいだけだが。
先の庵の言葉を聞いてしまうと、そもそも今日誘ってしまったことが全ての元凶であるのかもしれなかった。シーズン中は試合のない日の方が少ないにしても、もっとなんてことのない日を選ぶべきだった。反省しても、今更である。
ち、と五条がこっそり舌打ちをしたタイミングで、中継の音声と店の客の声が、どわっと盛り上がりを見せた。
「あっ、打った!」
庵のテンションも盛り上がった。なんなら、とうとう立ち上がっている。
「えっ入るの、どうなの。あ、わあ! 入った! ねえ入った!」
庵がテーブル越しに五条の肩を掴んで揺らしてくる。そうなんだ入ったんだね良かったじゃんとは言ってやらない。絶対言わない。
「五条ほら、プレーバック! 見て!」
「歌姫こそこっち見て」
どうやら今夜も、テレビの向こうのヒーローたちから庵の視線を奪うことは叶いそうになかった。
(2111280516)