捏造玲明追憶 MDMが終了し旧館での生活が終わってから、ユニットで集まって食事をするということはめっきりなくなってしまった。もちろんALKALOIDでの仕事先で食事を共にすることはあっても、それ以外の時にみんなで集まって食卓を囲むということは約束でもしていない限りなかった。ユニットとして始動してすぐの頃はいざ知らず、ソロでの仕事も徐々に貰えるようになってきた今ではメンバーが日中何をしているのかさえ知らないことの方が多く、会うのはもっぱらALKALOIDの仕事がある時がほとんどという状態だ。
それをどこか寂しく思っていたのは皆同じで、一彩の「たまには皆で食事をしないか」と提案によって予定があう日には四人でゆっくり食事を摂るようにしている。前回の集まりから約二週間経った今日が丁度その日だったのだが、一彩と藍良が少し遅れるとのことで、巽とマヨイは先に食堂で席を確保することにした。夕食時のせいか混み合う中で四人席を見つけるのは中々難しく、何とか空いてる席を見つけたのと遅れてきた二人が合流してきたのは丁度同じ時だった。
「ごめんなさい! 待った?」
「いえ私たちも今やっと席を取れたところですぅ」
「よかったァ、いつもはいかないおっきい駅で待ち合せたらヒロくんと合流するのに時間かかっちゃって。折角みんなで予定合わせたのにどうしよう~って焦ったよォ」
「おや、仕事ではなかったんですか?」
てっきり仕事の関係で遅刻したのだとばかり思っていた巽はそう尋ねた。
「藍良と会う直前まで仕事があったのは本当だけど、遅刻してしまった原因は二人でCDショップに行っていたからなんだ」
「CDショップですか……?」
一彩の答えにマヨイは首を傾げる。藍良がオタ活だと言ってCDショップに頻繁に足を運んでいるのは周知の事実だが、一彩と一緒に行ったというのは意外だった。一度彼は藍良のオタ活について行ったことがあったのだけれど、藍良が同じグッズを複数買うのを見ては「どうして同じものを何個も買うんだい?」と聞いたり、自分たちのブロマイドを買うのを見ては「僕たちの写真が欲しいなら今度四人で写真を撮ればいいんじゃないかな?」と言ったりしたらしく、それ以降藍良がオタ活について来るのを禁じていたはずだ。
「そう! 今度Crazy:Bの新曲がリリースになるでしょ?それを買いに行ってたの」
「ウム、初めてフラゲというものをしに行ったんだ!発売日の前日に買うことが出来るなんて不思議なシステムだね」
椅子に座った藍良は、持っていたビニールの手提げからCDを出してみせた。
「ティザーからかっこいい!って思ってて、どうせ0時になったら配信で買えるんだけど、待ちきれなくてフラゲしちゃったんだァ」
藍良は赤色のCDを見せながらワクワクが隠せないといった瞳で言う。今日の目当てがCrazy:Bの新曲だったから一彩も同行したのかと巽は納得した。ジャケットに映る彼らはいつもとは雰囲気の違う衣装を身にまとってこちらを見ている。
「今回はHiMERU先輩がセンターっぽくて、この曲もHiMERU先輩のソロ時代の曲のオマージュになってるんだって」
「指先の、アリアドネ……」
巽はジャケットの印字された文字をゆっくり声でなぞる。聞き覚えがあるのに知らないこの曲名は、巽を不思議な気分にさせた。
「ファンの間でも話題になってたんだよ。『アリアドネの糸』はHiMERU先輩の代表曲の一つだったから」
「その『アリアドネの糸』というのが、元になった曲なのですか?」
「そう! 確かドラマのタイアップ曲だった気がするけど……ヒロくんが知らないのは当然としても、マヨさんも知らない?CMとかでも流れてたはずなんだけどォ」
「す、すみません……あまり世間の流行りなどには詳しくなくて……」
「そっか……あ! タッツン先輩は知ってるかな。 HiMERU先輩とは昔からの知り合いなんだよね?」
アリアドネの糸。その名前を聞くだけで、遠い昔の記憶が鮮明に蘇る。
「……えぇ、知っていますとも」
***
玲明学園の敷地の奥にひっそりとある花壇。そのレンガ造りのそれにHiMERUはへたりと腰を下ろした。レコーディングまでまだ日はあるのだからそれまでに少しでも練習をと意気込んだはいいが、思うような歌声を出すことが出来ずにレッスン室から抜け出してきてしまった。何度歌ったって思い描く『HiMERU』の歌声にならず、焦れば焦るほどに己の限界を思い知ってしまう。
(要は応援してくれてるけど、このままじゃ世間の望む『HiMERU』の歌にはならない……)
HiMERUは頭を抱えて俯く。要と作り上げた『HiMERU』は完璧なアイドルだ。だからそれを自分が壊すわけにはいかないのに、どうしても理想に届かない。
(このままじゃぼくは……)
「HiMERUさん?」
「っ! た、巽っ……!?」
かけられた声に驚いて顔を上げると、目の前に立つ人物にHiMERUの肩が跳ねる。肩につきそうなほど伸びた髪が風に揺れるのを思わず見入ってしまう。
「な、なんでこんなところに……」
「遠くから君の姿が見えたので声を掛けようとしたんですが、どうやら項垂れているように見えたので心配になって」
あの巽はこの広い学園内のこんな辺鄙なところに座る自分を見つけてくれただけでなく心配までしてくれているなんて、HiMERUは天に昇る心地がした。巽だってそれこそHiMERU以上に忙しいはずで、最近では学園にいることさえ珍しいというのにそんな彼に運よく見つけてもらえただなんて今日は運がいい。しかし、折角会うならこんな情けない姿を見せたくなかったと、持ち上がった気分も少し落ち込む。
「何か悩みでも? よかったら俺に聞かせてください」
一発でHiMERUの抱えるものに気が付いた巽は優しく微笑む。
「いやっ、巽に話すほどのことじゃないから」
「そう言わずに。解決するわけではないかもしれませんが、人に話すことで気持ちが軽くなることもあります。安心してください、聖職者として信者の方々の懺悔を聞くこともあるので慣れていますし、決して他言はしないと誓いましょう」
そう言って巽は自然な動作でHiMERUの隣に腰を下ろした。こんな人の寄り付かないような花壇に座って、ズボンに土がついてはいないだろうかとHiMERUは気になってしまう。こうなってしまえばHiMERUが正直に話すまで巽はここを動かないだろうということは、これまでの付き合いで知っている。抜け出して来てしまったがレッスン室の予約時間はまだあるし、何より巽をいつまでもこんなところに座らせておくわけにはいかないと、HiMERUは小さく息を吸った。
「……実は、今度新曲を出すことになって」
「はい」
「それがかなり大がかりなやつで、ドラマとタイアップすることになって……」
「はい」
HiMERUの言葉に、巽はただただ優しい声で相槌を打っていく。そうされる度にあれだけ詰まっていた胸の内が不思議と口からすらすら出ていくのを感じた。
「それ自体は嬉しいんだ。曲を貰えたことも、タイアップの話も嬉しい。曲だってすごくいい曲で、デモを受け取って初めて聴いた時、こんな曲を歌えるんだって気合いも入ったんだ」
「はい」
「でも、その曲がどうしても上手く歌えなくて……」
「というと?」
ここにきて初めて巽が踏み込んできた。
「次の曲は大人の恋愛がテーマで、ちょっと色っぽいっていうか……どうしても歌詞に書いてある感情が掴めなくて。歌声も、何度やっても理想通りにいかなくてさ……で、どうしようって悩んでて…………」
「……そうなんですね。話してくれてありがとうございます」
じんわりと染み込んでくるような声に優しく包まれてしまえば、話してよかったとさえ思うのだから巽の言葉はまるで魔法のようだ。
「ですがそんなに心配せずとも、HiMERUさんなら立派に歌いこなせるはずです」
「そ、そうかな……?」
「えぇ。君がどんなに難しい仕事にも挫けることなく完璧にやり遂げてきたことを、俺は知っています」
「巽……」
HiMERUは己の中を熱いものが駆け巡るのが分かった。巽の言葉全てがHiMERUを奮い立たせ、その期待と信頼の眼差しがHiMERUをどこまでも舞い上がらせた。HiMERUが言葉を失っていると、巽の温かい手がそっとぎゅっと強く握りこまれたHiMERUの拳を包み込む。
「俺は君を信じてます。だからHiMERUさんも自分に自信を持ってください」
「……うん、ありがとう巽。頑張ってみるよ」
遠い昔、神となった救世主はこうやって人々を救ったんだろう。
***
「あの曲が発売された時、サインの書かれたCDを頂きました」
あの時のお礼だと言われて渡されたそれは今も巽の宝物となっている。けれど事の子細は話さず、巽は事実だけを述べた。すると藍良はキラキラとした視線を向けてくる。
「えぇ~! いいなァ、アイドル本人からサイン付きCDを貰えるなんて、オタクからしたら感動の余り心臓が止まっちゃうくらいの神イベントだよォ!」
「それなら今度ALKALOIDの新曲が出る時には、僕がサインを書いて藍良に贈るよ!」
「ヒロくんのはいらないから! そういうのは推しから貰うのが嬉しいの!」
またいつもの如く漫才のような言い合いを始めた二人の会話を聞きながら、巽はあの時の緊張した面持ちでCDを差し出すHiMERUの姿を思い出していた。彼は自分のお陰だと言ってくれたが、きっと巽は大したことは言っていない。すべては彼の実力と努力の結果であるし、移動中の車内からアリアドネの糸のポスターや街頭ヴィジョンに映ったCMを見る度に良かったと心から思ったものだ。
もうあの頃には戻ることは出来ないけれど、あの日々は思い出として確かに巽の胸の中にあった。
***
「ねぇ要、やっぱりサインなんて書いて渡したら自意識過剰って思われるかな……?」
「さっき腹くくったんじゃなかったのか?」
「でも……」
「CD渡すか渡さないかで一時間も迷った挙句、今度はサインか? 貰ったCDにサインが書いてあったからってそいつを嫌う人間なんてこの世にいない。それに他でもない『HiMERU』のサインだぞ? むしろ喜ぶべきだ」
「そうかな? でも要が言うなら大丈夫だよね! あっ、本番書く前に練習練習……」
「はぁ……。まったく」
あの男に深入りするのは止めろと言っているのに、HiMERUは事あるごとに風早巽と関わってはこうして舞い上がっている。何やら今回は新曲に関する悩みを聞いてもらったとかで、こうして無事にリリースされたことの報告と感謝を兼ねてCDをプレゼントするのだという。
(そもそも悩みがあったなら俺に言ってくれれば良かったのに)
HiMERUが今回の曲のことで悩んでいただなんて、要はこれっぽっちも知らなかった。もし素直に言ってくれていたなら要は巽よりも具体的な解決策をいくらでも提示出来たのに。
(俺たちは二人で『HiMERU』なのに)
ファン向けに書く時よりも真剣な顔つきで裏紙に何度も何度もサインを練習している片割れの背中を見つめながら、要はそっと目を伏せた。