進捗生まれた時から私は独りだった。
神の化身として生まれることを望まれ、望まれた通りに生まれた。しかし、父は生まれたばかりの私を不気味がり、“私”という存在を望んだはずの母でさえも私を慈しみ育てることはなかった。
乳母や侍女たちも表には出さないものの影で私を不気味がっているのを知っていた。子供のくせに泣きもせず怒りもせず、ただ笑うだけの私を家の誰もが気味悪がった。家督を継いだ後も私は家臣の心を理解出来ることはついぞなかった。表面上は上手くやっていたと思う。けれど家臣たちが時折向ける反感や畏怖の感情に気づきながらも私にはどうすることも出来なかった。なぜならこれが“私”という存在だからだ。
それをいまさら恨んでいるわけではない。それは私が毘沙門天の化身として生を授かった時に決まっていた定めなのだと受け入れている。
そのつもりだった。
誰に理解されることもなく、誰ともこの在り方を共有することは生涯ないのだと思っていた。けれど、死して英霊となった私は“彼”に出会ってしまったのだ。赤い鎧を見にまとった“彼”を一目見た瞬間に、彼は私と“同じ”なのだと直感した。その時私の中で何かが弾けて、身体の奥底から熱いものが全身を駆け巡ったのを覚えている。
見渡す限りの平地に立つ彼は私と面と向かっても、かつてのような顰め面をして自分を見ることはなかった。ただ、悠然と立ち何の感情もない瞳で私を見ていた。その目は向けられた者の恐怖を煽る。怒りを向けられるよりも無感情を向けられる方が人は畏怖の感情を覚えるのだと私は知っていた。眼前の男の持つその無機質な目に私は覚えがあった。人間を超えた存在として生きた自分が持っていた瞳だ。
この時私は決めたのだ。“彼”のいるこの世界を守ろうと。
***
ダ・ヴィンチに呼び出されて藤丸は朝の廊下を歩いていた。どうやら小さな特異点が発見されたらしい。小さいと言っても特異点は特異点。ほっておくことは出来ないので急遽レイシフトの準備をするように言われたのは起きてすぐのことだった。
管制室に入るともう何体かのサーヴァントとダ・ヴィンチが話し合いを始めていた。
「あ、立香君。丁度いいところに来た」
「おはようダ・ヴィンチちゃん。それで状況は?」
「あぁ、特異点自体に大きな動きはないよ。今レイシフトするサーヴァントを決めていたところだ」
藤丸はここに来る途中で適当に結んだ髪の束をぎゅっと左右に引っ張った。すると集められたサーヴァントの中から声が上がる。
「なんでも今回の特異点は戦国の世とのこと。これはこの毘沙門天の化身たる私の出番なのでは?」
「確かに景虎さんは適任かもね」
「なんじゃ、それを言うならわしだって適任じゃろ」
「ノッブはこの前すぐ退場したじゃないですか。今回もあっさりやられるなんてことになりませんよね?」
「なんじゃ! 確かにあの時は不覚を取ったが、普段のわしはもっと頼りになるぞ!」
「どうだか」
二人のやりとりはいつものことなので、藤丸は止めることもなくダ・ヴィンチに詳しい話を聞くことにした。
「今回の特異点って具体的にどこなの?」
「そうだ、言うのを忘れていたよ。場所は日本。元亀二十二年の信濃国だ」
ダ・ヴィンチがそう言った瞬間、飲む音が二つ聞こえた。
「おい、それって……」
今まで一度も言葉を発することのなかった晴信が声を洩らした。その表情は驚きに満ちていた。
「本当に元亀二十二年の信濃で間違いないのですね?」
景虎もダ・ヴィンチに念押しするように確認する。
「あぁ、間違いない。だから二人を呼んだんだ」
「……ノッブ、どういうことですか? 全然話が読めないんですけど」
「お前知らんのか、この頃といったら……」
「川中島か」
後ろの方でひそひそと話す沖田と信長に答えたのは晴信だった。
「そう、この特異点は川中島を中心に広がっているようだ」
「よりにもよって川中島ですか……」
晴信と景虎は思うところがあるのか複雑そうな顔をしている。藤丸は詳しいことは知らないが川中島と聞いたらあの川中島の戦いが浮かぶ。武田と上杉が何度も衝突したというその戦いの当事者がカルデアにはいる。だから二人が呼ばれたのだろう。
「それでレイシフトの人選なんだけれど」
「俺が行く」
「私が行きましょう」
ダ・ヴィンチの言葉にかぶせるように聞こえた声はほぼ同時だった。二人はいつになく真剣な顔をしてダ・ヴィンチを見つめる。
「残念ながら二人をレイシフトさせることは出来ない」
「何故です? この特異点には私たちが適任では?」
「適任だからこそ行かせられないんだ」
ダ・ヴィンチは続ける。
「この特異点で武田信玄、上杉謙信の両名の霊基を既に確認している」
その一言に一同は驚愕する。ここにいる二人ではない二人が特異点にいる、ということは特異点の原因が二人である可能性が高い。藤丸は何も言わず晴信と景虎の様子を伺う。
「あの……ちょっとよく分からないんですが、この時代には二人はまだ生きているはずですよね? それがなぜ英霊になってるんですか?」
「詳しくは、英霊に似た何かなんだ。これは私にも理解出来ないことなんだが……」
沖田の疑問にダ・ヴィンチが申し訳なさそうに答える。あのダ・ヴィンチにすら解析不能ならば、きっと特異点にいる二人はただ者ではないことは確かだ。藤丸はぎゅっと拳を握る。
「……とにかく、俺たちがレイシフト出来ない理由は分かった」
晴信は重たそうに口を開く。未だ諦めきれていない顔をしているが、それは景虎も同じだった。
「そうですね。なんだか複雑な心情ですが、私たちは待機するとしましょう」
「なら、レイシフトするのはノッブと沖田さんってこと?」
晴信と景虎がレイシフト出来ないのならば、今回のレイシフト要員は残りの二人だろうと藤丸は問うた。すると、管制室の扉が開く音がした。
「俺も同行する」
「土方さん!?」
部屋に入って来た土方は藤丸の前まで行くと「問題ねぇよな」と決定事項のように言い放つ。
「え、わたしはいいけど……ダ・ヴィンチちゃん的にはどう思う?」
「うん、私も特に異論はないよ。ではレイシフトするサーヴァントはこの三人で決まりだ」
「土方さんとレイシフトするのも久しぶりですね」
「おう、遅れを取るんじゃねぇぞ沖田」
「人斬りサークルと一緒とか先が思いやられるんじゃが」
三十分後にはレイシフトしてもらうからと、それまで各自待機を言い渡された藤丸は一度みんなが解散した後に自室に戻ろうとした晴信と景虎を引き留めた。廊下で振り返ってこちらを見る二人に藤丸は聞きたいことがあった。
「二人はさ、今回の特異点の原因に心当たりとかある?」
藤丸の問いに二人はしばらく考え込んだ。特異点を消滅させるためにはやはり二人の意見が必要だと思ったのだ。
「そうですね……川中島といえばやはり晴信と私の川中島の戦いでしょうから、きっとそれが関係していることは確かだと思うのですが……」
「あぁ、俺もこいつと同意見だ。だが、それ以上のことは残念だが分からん」
「もしかして、私が晴信をけちょんけちょんにして武田が滅んだとか?」
「馬鹿言うな。俺の武田が負けるわけないだろう」
「分かりませんよ? なにせ私、毘沙門天の化身なので」
得意げに言う景虎を晴信は一蹴する。
「何が毘沙門天の化身だ。とにかく俺の武田は絶対に負けん」
「強情ですねぇ、なら今ここで川中島しますか?」
「ちょ、それは……」
今にも槍を取り出そうとする景虎に晴信はため息をつく。
「やらん。おまえはすぐそれだから嫌なんだ」
晴信は隣でわくわくした目を向けてくる景虎を軽く小突いた。
「あはははは! ムカつきますね、殺しますよ」
「話を戻すが、俺たちがお前に言ってやれる助言はこの程度だ。すまんな」
「ううん、わたしの方こそなんかごめんね」
「マスターが気に病むことはありません。ただ一つ言えるとしたら、特異点にいる私たちは私たちであって別の存在です。なので遠慮なく首を取ってきて下さい」
景虎はあっけらかんとした風に言い放つ。
「お前な……もう少し言い方ってものがあるだろうが」
「なんですか晴信、これくらいのこと戦国の世では当たり前だったでしょう」
「それはそうだが、俺たちとマスターじゃ価値観ってもんが違うだろう」
「いい子ぶっても、実際晴信も同じことを考えていたはずでは?」
「……それはそうだが」
ほら、と景虎は得意げに晴信の顔を覗き込む。目の前で繰り広げられるテンポのいい殺伐とした会話に藤丸はただ苦笑いをするしかなかった。
「っとにかく、アドバイスありがとう!」
話し込んでいる内にレイシフト予定時刻が迫っていた。藤丸は笑って二人にお礼を言ってその場を後にしようとした時、「ちょっと待て」と晴信に引き留められた。
「さっきの景虎の言い方は……まぁあれだが、遠慮はいらん。殺す気でかかれ」
でなきゃ殺されるぞ、晴信は低い声でそう言った。
「……うん、わかった」
晴信の気迫に藤丸は力強く応えた。
『レイシフトまで残り十分。マスター及び該当サーヴァントは最終準備に入って下さい』
「行ってくるね」
これから向かう特異点で何が待ち受けているのかは分からないが二人の期待には応えたい、藤丸はそう思った。