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    clmr_bksm

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    clmr_bksm

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    力尽きた
    ある夜のタ莉と了ンディさん

    父が、囲まれている。
    取り押さえているのは、年端もいかない子供たちだ。
    ほつれた服に、傷や汚れだらけの頬や手。
    少しの金を握らされ、一時とはいえ"買われた"路上の浮浪児たち。
    彼らを振り払うことなど造作もなかったはずだ。
    だけど、優しい父にはできなかった。
    立ち尽くす父の腹に、ナイフが突き立てられる。
    目を見開いて、血を吐く父。
    驚いて、子供たちが離れてゆく。
    「少しだけ取り押さえろ」と命じられただけで、そんな血なまぐさい展開が待っているとは思いもしなかったのだろう。
    ナイフを引き抜いた屈強な男は構うことなく、父を容赦なく殴り、蹴り飛ばし。
    鍛えぬいた己の技で、父の命を文字通り散らした。

    とうさん。とうさん。

    服と皮膚の裂けた父が、赤いしぶきを上げて地面に倒れる。
    男は高らかに笑って、満足そうに去ってゆく。
    子どもたちは蜘蛛の子のように逃げ出してゆく。

    とうさん。おきて。めをさまして。

    がたん、と、乗っていた観覧車の籠が着地した。
    ドアをこじ開け、係員を無視して、力尽きた父に取り付いた。
    体にはまだ温もりがあった。
    だけど、もう、笑いかけたり、撫でたりはしてくれない。

    血のつながらないこの人と過ごした時間が、何よりも幸せだった。
    今になって、家族というものの重さを知った。
    失ってしまったのに。戻らないのに。

    とうさん。とうさん。
    どうしてなんだ、父さん。

    いやだ、いやだ。
    こんなの嫌だ。嫌だ



    「父さん」


    自分の声で目が覚めた。
    何が起こったか分からず、体が硬直する。
    薄暗がりの天井に伸ばした、自分の腕が見えた。
    はっ、と短い呼吸。

    「…………夢」

    つぶやいて、一気に脱力する。下ろした手で目元を押さえた。
    どくどくと、異様に早い自分の鼓動。汗で張り付いた寝間着。
    掛け布団を蹴り飛ばし、外気にさらされた爪先がひどく冷たい。
    ひとつひとつ醒めてゆく感覚を拾いながら、深呼吸を繰り返す。
    動悸は静まり、思考回路が冴え渡ってゆく。
    最後に、ふー、と長い息を吐いてから、アンディは体を起こした。
    カーテンの外は真っ暗だった。隙間から蒼い夜空が見える。
    アンディの寝起きする和室はそのままリビングダイニングと一体化していて、着替えるときなどは、ふすまや引き戸で仕切れるようになっている。
    しかし、夜に眠るときは大抵開けっ放しで、見回せばベッドを並べた同居人たちの姿が目に入った。
    壁際のシングルベッドは桂子。毛布にくるまって、というより毛布自体を抱えるようにして眠っている。眉間にしわが寄っていた。
    ベッドのすぐ足元の床には、小さめの布団に寝転がったリナ。掛け布団が足元でもみくちゃの団子になって、自分は体を丸めて寒そうにしている。
    枕元には、アロとコゴメが大の字とうつぶせになっていた。ときどき、専用の籠から勝手に出てきて誰かの布団に入っているのだが、今日はリナに白羽の矢が立ったらしい。
    その隣の折り畳みベッドにはベヨネッタ。口元までブランケットを丁寧に掛けて、規則正しい寝息を立てている。理想的な寝姿だ。眼鏡が付けっぱなしなことを除けば。
    さらに隣の、別な折り畳みベッドは──空っぽだった。
    ひゅ、と息を呑む。
    残る一人、不来方夕莉の姿がなかった。
    枕はへこみ、掛け布団をまくって出た痕跡はある。よく見ればスリッパもない。
    壁時計を確認すれば、丑三つ時。
    アンディは細心の注意を払って立ち上がり、すばやくリナの布団を掛け直してやってから廊下に出た。
    そのまま玄関に向かえば、一組のスリッパがきれいに揃えておかれ、代わりにつっかけ用のサンダルが消えている。
    玄関の内鍵も開いていた。毎晩、寝る前に必ず誰かが施錠を確認しているし、今夜もそうだった。つまり、鍵を開けて出た者がいる。

    「…………」

    アンディは一瞬、リビングを振り返ってから、横にかけていたコートを羽織り、静かにドアを開けて出た。

    「……んみ……?」

    静まり返った後、リナがうっすら目を開けた。


    階数が高いせいか、風をより強く感じる。
    ばたばた暴れる金髪を押さえて、アンディは階段を急いで上る。
    いつもは空が明るみ始めた早朝に上がる階段だが、真夜中では暗く不気味な道のりに変わる。
    屋上のドアは開け放たれていた。
    四角く切り抜かれた、夜闇の中の仄かな灯りへ踏み出す。

    まっさらな屋上のフェンスに、栗色の髪の少女が佇んでいた。
    白いパジャマの裾が揺れて、さながら、白装束のように見えた。
    月灯りの下、こちらに背を向けて、ぼう、とどこかを眺めている。
    アンディは胸を撫でおろした。
    リナの二の舞じゃないが、夕莉まで妙なものに巻き込まれて誘い出されたのかと焦ったのだ。

    「夕────」

    呼びかけようとした時だった。
    彼女の手が、フェンスにかかり、ひた、と一歩前に出た。
    何かに吸い寄せられるように。
    今にも、どこかへ攫われてしまいそうな──

    瞬間に、アンディは駆け出した。勢いあまって靴が脱げ、裸足になった。
    鍛えぬいた脚力をもってすれば、屋上の入り口からフェンスまでの距離など無いに等しかった。
    薄い肩に手をかけ、こちらへ引き寄せた。

    「夕莉」

    呼ぶと同時に目が合う。
    勢いよく振り返ったせいで乱れた髪が、彼女の鼻先へ無様に引っかかっていた。

    「…………あ、」

    まるで、今まで呼吸を忘れていたみたいな、そんな声だった。

    「…………」
    「…………」

    二人して黙る。
    夕莉は唐突なことに驚いて、アンディはそれからどうするか分からず言葉に尽きた。
    とりあえず、彼女の意識がどこかではなくこちらに向いていることをたしかめてから、

    「……危ないよ、夜中に」

    そう言って、やんわりとフェンスから引き離した。

    「えっと、すみません……」
    「いや、その、すまない。いきなり」
    「…………」
    「…………」

    気まずい沈黙。前にもこんなことがあったような。

    「……起こしましたか」
    「……夢見が悪くて、起きたら、君がいなくて」
    「……そうですか」
    「…………」
    「…………」
    「あっ。寒いだろう、ほら」
    「え、いえ、そんな……アンディさんこそ、裸足……」
    「ああ、ごめん。ちょっと脱げてしまった」

    遠慮する夕莉に無理やり自分のコートを掛けて、アンディは転がった靴を履き直した。

    「どうしたんだ。こんな夜更けに」

    改めて問うと、夕莉はバツが悪そうに視線をそらした。

    「特に、理由はなくて……ただ」

    ちょうど引っかかってしまった前髪が片目を隠す。

    「外の空気を吸いたかっただけです」

    とりとめのない答え。
    だけど、それでは釈然としなくて、アンディは軽く唇をかんだ。

    「飛び降りると思いました?」

    つららを背中に差し込まれたみたいに、さっと悪寒が走る。
    改めて見た夕莉の顔には何の感情もなく、人形のように無機質だった。

    「落ちるんじゃないかって、焦ったんですよね」

    何も言えないのは、彼女の返しが図星だったからだ。
    淡々とのたまう声に、例えば、心配してくれてうれしいとか、余計な気遣いをさせて申し訳ないとか、そういう色すらうかがえなかった。

    「景色を、よく見たくて……身を乗り出しただけです。そういうつもりでここに来たわけじゃないです」
    「…………」
    「やっぱり、アンディさんみたいな人から見れば、私って"どうかしてるん"でしょうね」

    ようやく、口元が表情を作った。
    自虐的な笑み。
    ──あの地下でも見た、自分で自分自身に落胆する顔。

    「僕みたいな、って?」

    少し引っかかって、問いただした。
    剣呑にならぬよう努めながら。

    「アンディさんは、目的がありますよね」
    「…………」
    「目標というか、やりたいこととか、目指してることがあって、だから毎日鍛錬してるし、何かあっても止まらないで進もう、今が無理なら別のことで補おうって、切り替えられる。生きることに、やりがいを感じてる」

    確かにそうだ、と思う。
    だからこそ、実力が伸び悩み、限界を感じて、煮詰まってしまうこともあるが。

    「私は……たぶん、あなたの逆です。何もないし、目指してることもないから、このまま生きてても、って思うことがある」

    言いつつ、視線がフェンスの向こう側へと投げかけられる。
    見つめる先に、待ちわびたものがある──
    そんな目つきだ。

    「何か見つけなきゃ、って考えたりもします。だけど、探せば探すほど、自分はどこにも馴染めないような気がして、余計に、ひとりでいたほうがいいって考える」
    「…………」
    「地下の時もそう。本当はリナさんを引き留めて、つらいことばかりじゃないよ、きっといいことがあるよ、あきらめないで、頑張って生きよう、って言うべきだった。でも、私には……口が裂けても、言えなかった。だって、私自身は、そう思ってなかったから」

    平坦だった言葉が、徐々に、いたたまれない感情で波打って、揺れる。
    夕莉はうつむいて、着せられたコートの合わせを握りしめていた。
    アンディの背丈は夕莉よりも高い。
    うつむく夕莉の表情は見えなくなっていた。

    「……どうしてなんだろう、って思うことがあります。どうして私は、アンディさんや、桂子さんや、ベヨネッタさんのような言葉が、出てこないんだろう。気休めでも、あんなふうに言うことができないんだろうって」

    ひゅうう、と夜風が通り抜けた。
    夕莉は目を合わせないまま、顔を上げる。

    「ごめんなさい。自分でも、意味のないことを言ってるって分かってます。
    ……八つ当たりとか、するつもりはなかったんですけど」

    八つ当たりだったのか?
    むしろアンディは問いたいくらいだった。
    そんな陳腐な定義とは、また別物のような気がしていた。

    「……コート、ありがとうございます。戻りますね」
    「待って」

    押し付けられたコートを返そうとしたのを、やんわり制止した。





    「君の目に、僕がどういうふうに映ってるかは知らない。でも、たぶん……思っているほど立派な人間じゃないよ、僕は」

    言いながら、おのずと彼の口元に苦い笑いが浮かぶ。

    「僕は、ある男に復讐するために、格闘の道を志した」
    「……知ってます」

    気になって、調べてしまったことがある。アンディ・ボガードがどういう人物なのか。プロフィールを斜め読みしてすぐに閉じたが、大まかな人生史は把握していた。そして、何度か触れてしまったことで、彼の記憶の一端を読み取っている。
    今更隠すことでもないと思っていたのか、彼は「そうか」とうなずくだけだった。

    「奴にたどり着く。そのためだけに、死に物狂いで修業した。自分が最も強くなれる闘い方を探し求めた。一度入門して、だけど限界を感じて、極めきれなくて、自分から出ていくと師に申し出た道場もあった。
    今はまだ子供だから手が届かない、でも辛抱強く鍛錬を重ねれば強くなれる、だから焦るな──そう諭され、引き留められたこともある。でも僕は、その人の手を振り払い、別の流派に移った。『いつかきっと』なんて、半端な覚悟で目的は遂げられないと分かってたから」

    語りつつ、彼は、夕莉がさっきまで佇んでいた手すりに寄りかかる。
    夜の風が黄金色の毛先を撫でていた。

    「……考えたことが、ないわけじゃない。復讐なんかじゃなくて、もっと穏やかに生きる道もあっただろうと。それこそが父の望みなんじゃないかと。でも、そんなふうに割り切って、怒りや憎しみを飲み下して生きるには、僕たちは幼すぎた。仇を討ってやると自分を奮い立たせなきゃ、あの頃の僕たちは生きていけなかった」

    そこまで言って、碧眼が、こちらを向く。

    「だからといって……復讐を糧にして、目的と謳って、自らを鞭打ちながら生きることが立派で正しいだなんて、口が裂けても言えないさ」
    「…………」
    「努力を重ねればいつか自分に返ってくると、人に説いたことはある。でもそれは、あくまで『復讐抜き』の話だから」

    穏やかに澄んだ、きれいな目。
    だけど、どこかに虚しさをはらんでいた。
    夕莉は唇を小さく噛む。
    彼のすべてを知っていたと驕るつもりはない。でも、どこかで分かっていたつもりになっていた。

    「君が、僕のようになれないのは当たり前のことだろう。歩んできた人生が違う。違うものを見聞きしている。そして、僕も君のようにはなれない」
    「……私、のように?」

    まるで、何か学ぶべきところがあると言いたげだ。

    「君は、最後にリナの母親へ歩み寄った」
    「…………」
    「歩み寄ろうとしたのは僕も同じだけど、結局拒絶された。正直なところ、リナにあんな仕打ちをして、執着する彼女のことが理解できなかった。だけど君は、『もういいから、自分を責めるな』と言った」
    「…………」
    「思いもよらない答えだったよ。あれは、君だからこそ掛けることのできた台詞だ」
    「お……大袈裟です、それは」

    今度は、別の意味で目をそらした。
    これは、褒められている、のだろうか。

    「私は、ただ」
    「……ただ?」
    「どんな形でも、ずっと縛られたまま、この世にとどまってほしくなかった。どこにも行けないのは、きっとつらいから。リナさんに手を伸ばしても、リナさん自身も『一緒に行く』と決めない限り、絶対に届かない。それは、あの人にとっても、リナさんにとっても、苦しいだけで」
    「それこそ、僕にはできない考え方だ」
    「………そうでしょうか」
    「人の痛みや苦しみを想像して寄り添えるのは、才能のようなものだと思うよ」

    才能。
    人の思いを読み取り、死者を見聞きできる力があり、その副産物が才能、と言い得るのだろうか。
    夕莉は少し考えて、首を横に振った。

    「想像とか、才能……とかじゃない」
    「……え?」
    「……知って、いるから……」

    未練に囚われたまま、進めなくなった人を。
    あまりにも唐突に、理不尽な形で未来を根こそぎ奪われ、何が起こったか分からないまま彷徨う人を。
    苦しみの終わらせ方が分からず、ひたすら縋り付いて、そのために誰かを道連れにしてしまう人を。

    知っている。
    分かってしまう。
    だから、自分はいびつなのだ。

    「"夕莉に死ぬことを許さないなら、僕も君を許さない"」

    それは、あの地下で、アンディがリナに向けた台詞。

    「あの言葉を聞いたとき、私は、アンディさんにとって異質なんだな、って思ったんです」


    そして作者は挫折した!!!!
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