境界を超えるものIf you don’t like where you are, change it. You’re not a tree.
待ち合わせの場所で、待ち合わせより少し早い時間に。
買って間もないらしい、まだ見慣れない車が緑谷の前に停車した。
開かれていくサイドウィンドウから見慣れた幼なじみが顔を見せる。
「よぉ」
「おはようかっちゃん。ごめんね今日も乗せてもらうことになっちゃって」
「勘違いすんな、お前の為じゃねぇ。俺のついでだついで」
悪態をつかれるのはもはやご愛嬌。そんな態度の爆豪に相変わらずだなという呆れと、変わらないなという安堵を胸に車の後部座席の扉に手をかけようとすると制止の声がかかる。
「お前今日は隣乗れ」
「……えっ?!」
思いもしない言葉に一瞬理解が遅れ、脳が処理を終えると緑谷は目を剥いて驚く。
「あ? ンだよ文句あんのか」
緑谷の反応にイラついた態度を隠そうともしない爆豪に、動揺している緑谷はわたわたと答える。
「だ、だって今まで何回か乗せてもらったけど、助手席に座らせてくれたことなかったから……」
「嫌なら自力で行けやァ……!」
「別に嫌とかではないんだけど!」
反対側に回って、お邪魔しますという声と共に車に乗り込む緑谷。
忘れずシートベルトも着用すると、同時に爆豪からジト目で言われる。
「汚すな、傷付けんな」
「わかってる、わかってるってば……」
いつもの注意事項。
しかし今日はそれに加えてもうひとつ。
「あと暴れたりして埃立てんなよ」
「えっ。う、うん。そもそも暴れないけど……」
今日初めて言われた新たな車内ルールや先程の突然の助手席の許しを不思議に思いつつも、車が発進して過ぎ行く街並みを横目に互いの近況報告などをしていれば、些細な疑問はすぐ意識の外に置き去りになる。
着いたのは都内の警察署。
待ち合わせ場所の駐車場でこちらに気づいて手を振るのは。
「オールマイト!!」
「ッ!」
オールマイトの存在に気づいた途端、隣の緑谷が興奮気味に随分と大きな声を出すので爆豪は突然の大音量に驚き肩をビクリと跳ね上がらせる。
「うっ……ッせぇな!!」
負けじと倍の声量で返す爆豪。
「鼓膜破れんだろうがクソが!!」
「ご、ごめん……! でもかっちゃんも今だいぶうるさいと思う……!」
「?! つか最近はちょくちょく会ってんだろ? いつまでミーハー気分でいんだよクソナード」
「あはは……。いやでも、やっぱりオールマイトの顔見るだけで嬉しいというか元気が出るというか……!」
車内で二人がやいのやいのと言い合っていると運転席の窓からすっと影が落ちる。
それに気づいた爆豪は運転席のサイドウィンドウを開く。すると少し屈んだオールマイトが顔を覗かせた。
「やあ二人共。相変わらず元気そうだね」
先程の二人の言い合いが細部まではわからずとも声量は漏れておりそれを聞いてくすくすと笑うオールマイトに、幼稚な姿を見せてしまったなと二人は急に居心地の悪さを感じてしまう。
「お、オールマイトもお元気そうで何よりです!」
「ッチ……」
爆豪は舌打ちをひとつするとシートベルトを外し、一度外に出る。
「すまないね爆豪少年、今日はよろしく頼むよ」
「……ん」
爆豪はぶっきらぼうに短く返事をして、オールマイトの為に後部座席のドアを開けた。
開けられたドアに「ありがとう」とオールマイトが乗り込み、それを見届け終えるとシートベルトの着用だけ忘れないようにとだけ伝え、後部座席のドアを閉めてまた運転席に爆豪は戻る。
その一連のやりとりが緑谷には新鮮で、意外で。呆けた顔で戻ってきた爆豪を見る。幸いにも爆豪は緑谷のことには気付いておらず、理不尽な言いがかりをつけられることは無かった。
「シートベルト、締めたか」
バックミラー越しにオールマイトを見て、確認を取る爆豪。
「ああ、バッチリさ」
「そーかよ。じゃあ行くぞ」
そうして車はゆっくりとまた走り出す。
今日三人が共にいるのは、緑谷とオールマイトはスーツのデータを渡す為。爆豪とオールマイトは近年の敵犯罪の傾向を警察の意見と共に洗い出し対策を練る為。
緑谷と爆豪の間には用事は無かったのだが、基本的に誰もが忙しく、空いている日が揃うことが中々稀であり、中でもオールマイトは昔と変わらず多忙を極めていてあちこちにひっぱりだこなので、そんな彼を気遣って二人は互いの予定のついでにと、自分たちの約束を取り付けた。場所も誰に気負うこともない爆豪の事務所へと車は向かっている。
そんな車内の中、気安いなと爆豪は運転しながら聞こえてくる会話にそう思うのだった。
オタクの挙動は変わりないのに。昔からあまりにも自然に、親しげに、会話をしているのを見てそう思う。
爆豪はそもそも特別お喋りな方でもないし話上手でもない。だから近況報告の枠を越えたプライベートの話を軽々と持ち出す緑谷にマーブル模様のような、けして混ざりはせず幾多に重ねられたまま不遜だという気持ちと羨ましいという気持ちが爆豪の胸の内に広がっていく。
「かっちゃんはどう思う?」
「あァ?」
唐突に話を振られてつい、いつもの調子で苛立ちを含んだ声を返すが、隣を見る前にバックミラー越しに目が合ったその人の顔を見て、毒気が抜かれてしまう。
「……聞いてなかった」
「あ、ごめんっ。運転中だもんね」
申し訳なさそうに素直に謝罪する緑谷に、都合がいいから話を聞いていなかった理由の訂正はせず「おー」と気の抜けた返事をする。
「爆豪少年疲れてないかい? 運転変わろうか?」
後ろからそう心配そうに声をかけるオールマイトには、また無愛想に「ヘーキ」とだけ返して、運転しながら車内で楽しそうに話している二人の姿を爆豪はやはり少しの羨ましさを持ちながらも、同時に二人の笑い合う顔に安心感を覚え、車内で繰り広げられている会話をぼんやりとBGM代わりに聴いていた。
車を暫く走らせて爆豪の事務所に着くと緑谷がシートベルトを外している間に爆豪はさっさと降りて、また後部座席の扉を開ける。
「足元、気ィつけろよ」
「いやぁ、世話をかけるね」
その光景を見ている緑谷はあまり見ない爆豪の姿に何だか不思議な気持ちでいっぱいだった。けれど、オールマイトを見て笑う爆豪を目にして緑谷はああ、そうかと一人納得した。
そういえば、かっちゃんはそんな風にオールマイトと接したいんだっけ。そう思いながら幼少の頃の爆豪が緑谷の頭の中に蘇る。
自分と同じく幼い頃からオールマイトに憧れていて、本当はそれを主張したかったはずなのに、初めて会った時のタイミングが悪かったし、その後出会うも学校行事が詰め込まれ、色んな事件に巻き込まれて、落ち着いて接する機会なんてなかったのだろうし、本人の気持ちの問題だってあっただろう。
だからこそ。心身共に成長して大人になった今、爆豪は本来オールマイトにしたかった振る舞いをしているのだろうと緑谷は勝手な推測をする。
そんな大好きなオールマイトと大切な幼馴染みが親しくしている姿を見て、緑谷は嬉しいなとなんだか心があたたかくなるのを感じた。自分と爆豪もそうだが、爆豪とこんな風に関わりあえることが嬉しくて楽しい。
そんな穏やかな気持ちで爆豪を見ていると今度は見つかってしまい、「何キメェ顔してんだ」と言われしまったが。
広く綺麗でシックな家具を揃えていて大人っぽい高級感のある雰囲気を持つ爆豪の事務所の談話スペースに通されると、緑谷は持ってきていたヒーロースーツを取り出し、オールマイトに最近使用した用途や遭遇した敵の詳細を歓談混じりに伝えていく。
「……そういえば今までのデータってオールマイトにしか渡してなかったけど、かっちゃんにも伝えた方がいいかな?」
「俺はそっちのデータには関与してねぇから、一々送ってくんなよ、ウゼェ」
「はは、わかったよ」
「普段教師としてやっているのに結構な数の事件を解決しているね。お疲れ様」
オールマイトが感心したように言うと緑谷は照れくさそうにかぶりを振る。
「そ、そんなことないですよ! 業務が終わった帰りとかお休みの日にしか出れないのでみんなと比べると全然……!」
「そんな謙遜するなよ、私はそこの線引きは出来なかったから立派なことだぜ。あと休める時は休むことも大事だからな!」
「はい、無理もしてません!」
(オールマイトが言うことか……?)
爆豪は思うところがあったが、何やら二人は楽しそうにしているので口を挟むことを我慢した。
「ならよかった。じゃあ次は……」
きっぱりと答えた緑谷に満足そうにして頷いたオールマイトが視線の先を変える。
「こっちの話もしていこうか」
「あっ、僕聞かない方がいいですよね」
ヒーロースーツを持って椅子から立とうとするとひらひらとオールマイトが両手を振った。
「そんな極秘の情報を扱うわけじゃないから大丈夫さ。ああでも待たせてしまうかも」
「それなら大丈夫です、今日はこの日の為に空けてたので!」
「じゃあ少し待っていてね」
「……この前少し話してたことなんだけどよ」
「うん、塚内くんから詳細を聞いているよ」
爆豪とオールマイトは真剣な顔で資料に目を通しながら互いの意見を交わしていく。そんな様子を緑谷は用意してもらったコーヒーをちびちび飲みながら眺めていた。
ヒーローではなく教師という道を選んだことに後悔はない。それは以前爆豪にも言った通り、自分に個性があろうがなかろうが選んでいた道だ。けれど、こうやって自分は入れない話は段々と増えている。それはそうだ、やはり現場でしかわからないものは多い。そういう話をしているのを見てしまうと、どこか羨ましくあり一抹の寂しさを感じてしまう。
「つーか、こういうのお前得意だろ」
物悲しさを抱えながら二人を眺めていると、突如として爆豪が緑谷を顎で指す。
「えっ?」
「ああ、確かに。じゃあ緑谷少年にも意見を聞こうか」
「えっえっ?」
困惑している緑谷をよそに二人は勝手に詳細を話していく。どうやら二人の中で緑谷が話に混ざるのは決定事項らしい。
寂しさや羨ましさを確かに覚えるも、それはすぐに掻き消されて、緑谷は二人の話に入り意見を交わし合う。
緑谷が加わったこともあって話がより広げられちょっとしたデータの洗い出しの話は、立派な会議として成り立った。
「ありがとう、助かったよ」
「とんでもないです!」
色んな話を途中に咲かせながら用事を済ませたので、それなりに時間が経っている。
「成果もあったし、色んな話も出来たし、そろそろお暇させてさせてもらおうか」
「そうですね。今日はありがとうかっちゃん」
「今日は用なんもねェから、近くまで送る」
緑谷はその爆豪の言葉にまた生暖かい目を向けるとキツイ目つきで睨まれてしまった。
揃って出入口に向かっている時、それぞれのスマホに警告音が鳴り響き、同時に市街地で敵が複数人暴れているとの報告。緑谷と爆豪の二人はすぐさまヒーロースーツのケースを手に、走りながら外に向かった。
オールマイトは二人の駆けていった姿を見ながら、速やかに警察に連絡を取り、被害状況や市民の避難の確認、最後に敵の引取りの依頼をし、幸いにも現場は近く自分の足で行ける距離だったので現場に向かう。
こういう時、オールマイトはどうしようもなく、やっぱりいいな、羨ましいなと思ってしまう。
引退して暫くした現在も長年の経験や知見を活かしヒーロー達や警察と協力しあってはいるが、当然前線に出ることは無くあくまでも後方支援だ。最盛期は近くであろうが遠くであろうが誰に知らされるまでもなく危険を感知して人々を救っていたオールマイト。オールマイトは考えるよりも早く衝動のままに動いてしまう性質で、そんな彼の喜びは、人の役に立つことだった。
そんな人間が今前線に立って活躍するヒーロー達に少しばかりのささくれた嫉妬を覚えてしまうことを誰が止められようか。
オールマイトはそうやって、信頼しているはずのヒーロー達にやりきれない思いを胸に抱えていた。
――けれど。
「俺のが速かった」
「えぇ? 僕途中で逃げ遅れてた人避難させてたし、かっちゃんよりも多く敵を確保して、それでかっちゃんと同じくらいに終わったんだから僕の方が早くない?」
「ハッ! お前が潰した敵共を雑に転がしとるから俺が尻拭いしてやったんだろが。よって俺のが速ェ。あと潰した敵の数は俺のが多かったろうが」
「補助してくれてたのはありがとう! でも僕も負けてないと思う!」
市街地で暴れていた敵達を各個撃破して確保し、警察に敵達が連行されてるのを横目に緑谷と爆豪が駄弁っている二人の元にオールマイトが到着する。
オールマイトは二人の軽口を言い合う姿を見て口元が自然と綻ぶ。出会った当初では考えられなかった姿だ。幼馴染みなのに上下関係のような、見下す者と虐げられる者だった二人が、今では対等に互いを認めて競い合いながら共に力を合わせているのを嬉しく、そしてとても尊いものだとオールマイトは思う。
「あ、オールマイト!」
オールマイトの到着に気づいた緑谷が破顔してぱたぱたと駆け寄ってくる。その後ろから爆豪も続いて二人はオールマイトの元へ集まる。
「警察へ引渡し依頼の連絡してもらってありがとうございました!」
「警察への説明は?」
「それももう済ませた」
「そうかい。……あれ、でもそれなら何でまだ残ってたんだい?」
敵達の引渡しは既に済んでおり、警察達は現在街や道路等の被害状況の調査をしている。避難に遅れた人達がいたならば共に救助活動をしていたかもしれないが市民の避難が完全に済んでいたのでその必要も無く、調査は警察の人達の仕事だ。ならば何故まだ現場に残る必要があったのだろうかとオールマイトは首を傾げる。
「ああそれは、たぶんオールマイトも現場に来てくれると思ったので待ってたんです」
「事務所で待っとけっつってもあんたどうせ聞かんだろうしな。どっかで行き違いになっても面倒だから、待ってた」
「……そう」
二人から言われた言葉が、オールマイトの中で静かにあたたかさを持って溶けていく。
きっと以前の自分ならば今の二人の言葉も素直に受け取れず、嫉妬のあまり少しばかり曲解して心配されているだとか哀れまれているだとかそんなことを思っただろう。
けれど、今の二人の姿を見て。
あの頃出会った少年たちの心身ともに成長し今ある姿を見て、オールマイトの心は荒れもしなければざわつきもしない。あるのはひどく穏やかで誇らしい気持ちだ。
「わわっ、オールマイト?!」
「ンガッ」
オールマイトは二人の頭に手を伸ばし、撫でるように触れたあと、そのままぎゅうと抱きしめた。緑谷は驚きながらも大層嬉しそうにして、爆豪は驚きと困惑が大きいのか大人しく静止している。
「二人ともお疲れ様! 流石だね、ヒーロー!」
コミックとは違い、戦いが終わればそれで物語が終わる訳では無い。彼らの生きる日常はこれからも長く続く。
そして時が進めば何かが変わる。
子供は大人になるし、街並みも建て替わり、季節は巡り、年は過ぎ行く。そうやって人は常に変化を強いられている。
けれど彼らは。時と共に伴って変わったのでなく、自らの意思で変えたのだ。力も、関係も、自分が立つその場所も。
だからきっと。自分も今はまだ羨ましさを感じてしまい不甲斐なく思う自分を、いつかはそれらを受け入れたり別の何かに昇華できる自分に変えるだろう。だって、変える暇をもらえたから、まだ待ってくれている人がいるから。
かつて彼らを導く存在だったオールマイトは、いつだって教えるべき存在に教えられていた。
例えどれほどのどん底にいたとしても、そこから未来は変えれるのだと。
最高のヒーロー達がこれからまたどのようにしてどんな風に自分を変えてまた更に先へといくのか、オールマイトは楽しみで期待に胸を膨らませる。
遍く変化に光あれ。
Fin.