八杉5(LJ前に別垢にあげたものを修正)
モヤモヤしてんなぁ、と思う。
依頼人のような初対面やご近所さん程度ならともかく、互いに知る人物であれば「あまり機嫌が良くないんですか?」とこっそりうかがってくるくらいの不機嫌さを隠しきれない雇い主が、だ。
パソコンのキーを叩く音が途切れたと思えばコーヒーを飲み、やや乱暴にマグカップをデスクに置く。
間をおかずに煙草を取り出して咥えたところで、カチカチとライターを動かして火を点ける──はずが、オイル切れなのか空回りするばかりで。
そのうちに舌打ちして煙草をパッケージに戻そうとして入れ損ねたところで、溜息を吐き出した。
一連の動作を眺めていたが、これはかなり重症だ。
「……なあター坊よぉ。お前ここんとこイライラしすぎじゃねぇか?」
最初はわかりやすく苛立つのが珍しくて放っておいた。
だがいつまでもこの様子ではさすがに仕事に支障を来しかねない。
俺の問いかけに、仇を睨むようにスマホを見つめていたター坊がのそりと顔を上げた。
「わ、八神さんやばいよ顔死んでるよ?」
杉浦がここにいたらそう言ったに違いない。大丈夫?お腹空いてるの?疲れたの?と。
さっきまで眉間に皺を寄せていたはずが、今度は無になって俺をじっと見ていた。
「何か悩み事か」
「……いや」
「なんだよ真冬ちゃんか?またなんか誤解されたか?」
「違うって」
その後も思い当たりそうな事は並べたけどどれも違っていたらしく、言葉に迷う俺から視線を外して、ター坊はまたスマホに目を戻す。
それ以外って何だ。
腹が減ってるわけでもない、特に不足はない、女友達のことでもない。そもそも今は特定のガールフレンドもいない筈だ。
中途半端にわからないままなのも落ち着かなくて、考え事の苦手な脳味噌をフル稼働させた。
スロットのように脳内で人物像が動く。
とは言え数少ない身近にいる縁者たちを浮かべると自ずと絞られてもくるもので、ふと一つの可能性に辿り着いた。
絶対これだな、という確信は8割。かなり高いんじゃないか、と思う。
「……そういや杉浦はまだあの依頼受けてんのか?」
ぐしゃ、と書類が握りつぶされる音がして、ああビンゴだったか、やっぱりな、と内心頷いた。
先日、客に絡まれていたキャバ嬢を通りすがりの杉浦が助けた。
適当に追い払っただけで特別なことはしていない、とは言ったものの、その嬢が杉浦のことをいたくお気に召したらしい。
わからなくもない。そこらの男ならともかく、杉浦の顔立ちは小綺麗だ。
おまけに若くて腕も立つとなれば、懸想してもおかしくはない。
いわゆる一目惚れ、というやつだ。
お礼をさせて欲しいと食い下がる嬢をなんとか躱したが、狭い神室町で誰がどこに出入りしているかなんて、一日あれば把握出来てしまう。
この事務所に翌日にはその嬢が訪問して、「個人的にボディーガードの仕事をお願いしたい」と依頼してきたのだという。
護衛は探偵の業務ではないから請けられないと断ったものの、だいぶ押しに押しまくって来たらしい。
頑なに断るター坊と引き下がらない嬢の交渉は平行線を辿っていたが、最終的に「こうすればいいんでしょ」と高額の依頼料を提示してきたところでター坊が珍しくお引き取り願えませんか、と口にして。
睨み合いを続ける二人に、元はと言えば僕が面倒事を持ち込んでしまったから、と杉浦が深夜0時まで、期限は三日のみ、という妥協案を提示したらしい。
「ずいぶんと強引な依頼だったんだってな」
「まあね」
「杉浦がへこんでたぜ、八神さんに迷惑かけちゃった、ってよ」
「……杉浦が悪いわけじゃないよ」
俺がしっかり断れなかったのが悪いんだよ、と小さく呟く。
苦虫を噛み潰したような表情を隠しもしないで、ター坊はコーヒーをぐびりと煽った。
杉浦に限ってそんな相手に声をかけられたところで、靡くことはないだろう。そこは安心している。あいつはああ見えて嫌なものは嫌ときっぱり言うタイプだ。
ただ、尾けられたり、下手な薬を盛られたりしなきゃいいがとは思う。
あの時は共にチンピラやヤクザを相手に大立ち回りをしてみせたが、そもそも一般家庭で育ったカタギだ。
過去にあった事件で触れたり曝されたかもしれないが、どろりとした人の悪意や欲望には耐性がないに等しい。
『……きれいなんだよ』
杉浦のことをそう言ったのは、ター坊だった。
目を細めて話していたのを思い出す。
あの事件後、あいつはどうするんだろうな、と話した時だったか。珍しく先に酔っていて、いつもより饒舌に杉浦の事を口にしていた。
気が利くし、頭の回転は速いし、腕も立つ。これ以上ないくらいの優秀さだと、褒めちぎっていた。
『じゃあうちの調査員に誘えばいいんじゃねぇか?』
『まあ、それも考えたんだけどね……俺としては安全な場所に戻って欲しい』
きれいでまぶしい。だから壊させたくない。
そんなター坊の願いとは裏腹に、杉浦が事務所に定期的に足を運ぶのは変わらなくて。
何か言いたげな表情を浮かべながらも、突き放すことなくいつでも迎えていた。
『矛盾してるだろ。笑えるよ』と自嘲しながら。
兄貴分だった頃、まだ極道の世界に慣れない男に目をかけてやっていた身だ。すれてなければすれてないほど大事にしたくなる気持ちは痛いほどわかる。
スマホから窓へと視線を移した横顔からは、吐き出して漸くクールダウン出来たのか、ネガティブな感情が薄れて普段と変わらないように見えた。
けれど、心が向く先は決まっているんだろう。
「なあター坊」
「ん?」
「杉浦のこと、大事にしてるんだな」
どう転ぶかはわからないけど、なんとなく。なんとなく、だ。二人が並ぶ背中を思うと、決まっている気がして。
それにター坊自身はもう、腹の中で決めているようにも思えた。だから少しだけケツを叩いてやろう。
さてどんな反応を返すだろうかと様子を伺うと、ター坊は椅子を弾くようにして立ち上がった。
背だけは立派に伸びたが、俺にとってはまだまだ生意気なガキでもある男の顔は、今までに見たことがないくらい真っ赤で。
そんな茹で蛸みたいな照れ方するんだなあと変な感心をしていた俺は、思わずぶは、と噴き出してしまった。
「……っ、今日はもう上がっていいから鍵よろしく」
ハンガーにかかっているマフラーと厚手のコートを手にしたター坊は、俺の後ろを足早に通りすぎる。
「おーい、返事聞いてねぇぞ」
わかりやすすぎる感情丸出しの背中に投げれば、
「うるさいよ……!」
可愛くない返事が戻ってきた。
次いで乱暴に閉められたドアが震える音と、踏み抜きゃしないかと思うほど階段を踏みしめる足音が遠ざかる。
ややあってビルの出入口の扉が悲鳴を上げたところで、ニヤニヤした口元のままメッセージアプリを起ち上げた。
『毎日迎えに来てくれるから大丈夫だよ!』
かわいげな猫のスタンプが添えられたメッセージに、『今出て行ったぞ』と返すために。