八杉19「なんか怒ってる?」
「……怒ってないよ。なんで?」
僕はいま、嘘をついてる。
本当はすごくもやもやしてるのに、プライドが邪魔して「そうだよ」とは言えなくて。
けど、完璧じゃないポーカーフェイスでは勘のいい八神さんを騙すことは難しい。
心配そうに見てくる八神さんの視線を振り切るように、グラスに半分くらい残ってたカクテルをひといきに飲み干した。
喉に押し寄せてきた熱さに眉を寄せたら、「あ、ちょっと」って八神さんが慌てて僕の手を止める。
「一気に飲んだらだめだろ……悪いけどチェイサーもらえる?」
八神さんは慣れた様子でバーテンダーに声をかけて、何かを頼んだ。
聞き覚えがあるのに、それが何かを思い出せない。
「ちぇいさー……」
すぐに出てきたグラスを受け取った八神さんに、「ゆっくりな」って渡されたのは水だった。
ああ、そうだ。お酒を飲む時は二日酔いや悪酔いを避けるために一緒に頼むといいでしょうって、書いてあったっけ。
あんなに必死になって調べたのに、いざとなったらなんにも思い出せてなくて、情けなくなる。
今日一日、ずっとそう。
僕から誘ったデートだから、八神さんに合いそうなお店をって思ってネットや雑誌で探して、いくつかチョイスした。
最初は八神さんに楽しんでもらいたいと思ってたのに、僕はずっと、いいところを見せたい、八神さんに釣り合ってるって思って欲しい。
そんなことばっかり考えて。
ずっと空回りしちゃって、結局、初めてのお店でも卒なく八神さんがエスコートしてくれて、助けられた。
このバーでだって、お酒の種類を丁寧に説明してくれたし、僕にはどんなものが合うかも、全部八神さんがアドバイスしてくれて。
まるっきり初心者丸出しで戸惑う僕に、「まあほら、これくらいしか胸張って教えられることなんかないし」なんて、嫌な顔も呆れ顔もしないでくれた。
僕はいいところを見せられるどころか、ずっと八神さんの手を煩わせてる。
それと、僕が一番もやもやしてるのは、どこに行っても八神さんが声をかけられることだった。
今だって綺麗な人に話しかけられて、粘る相手に十分以上かけて丁重に誘いを断ったばかり。
どれだけ「連れがいるから」って八神さんが言っても引いてくれなかったのは、僕が八神さんのオマケには見えても、恋人には到底見えないってこと。
グラスを傾けてカウンターの向こうを見るだけで画になる、そんな八神さんの隣に僕がいるのはふさわしくないんだって、言われてる気がした。
「もう一杯頼む?」
グラスが空になると、チェイサーのおかわりを八神さんが頼んでくれる。そのタイミングもばっちり。
八神さん自身は、自分が出来ることに対して絶対鼻にかけたりしない人なんだけど、本当に何でもこなすし、何をしても様になる。
うまく働かない頭でぼんやりと見てると、「大丈夫? 」って微笑んで僕の頬を優しく撫でた。
いつもは体温が高いはずの八神さんの手が、冷たくて気持ちいい。
アルコールのまわった僕の頬がそれだけ熱いんだなって、他人事のように思う。
へいき、答えて八神さんのてのひらに頬を寄せた。
「つめたい……きもちい……」
このまま眠ってしまえそうなくらい心地が良い。できればこのまま、こうしていたいと思うくらいには。
ふわふわになった頭で八神さんの手のつめたさを味わってたのに、その手がすっと外されて、夢うつつだった僕は現実に戻された。
「……やがみ、さん」
「だいぶ酔ったろ。そろそろ出ようか」
立ち上がりざまに髪を優しく撫でられても、頷くこともできない。
極力自然にふるまってたけど、八神さんは目を合わせてくれなかったから。
火照ってた体が、急に冷えた気がして。
バーテンダーに声をかけて支払いをする八神さんを、ただじっと見つめるしかなかった。
店を出てから、僕は八神さんのあとをゆっくりとついて歩いた。
本当だったら隣を歩きながら、カクテルはどれが好きだとか、あれが美味しかったとか、話してるはずだったのに。
ネットで探した誰かの記事を読んだって、滅多に見ない種類の雑誌を買って折り目をつけたって、中身がともなってないって自覚しただけだった。
年齢差をクリアできても、経験の差は埋められないってこともいやってほどわからせられて、これ以上ないくらい打ちのめされてる。
デートして、あわよくばキス。なんて考えてた自分が恥ずかしくて仕方ない。
好きな人を誘って楽しませられないどころか、多分、さっきは唯一のチャンスで引かれた、と思う。
後ろにいる僕を気にしてくれながら、しっかりした足取りで先を行く八神さんの背中を見つめて立ち止まった。
息苦しさは、アルコールに酔ったからじゃない。
その間にも開いていく距離は、僕が感じてる八神さんとの差、そのものみたいだなってぼんやりと思う。
八神さんが、遠い。
「……杉浦?」
足音が止まったことに気付いたのか、八神さんが振り返る。怪訝そうな表情が、すぐに心配の色を浮かべた。
吐きそうになってやしないかって思ったのか、八神さんは戻ってこようとしてくれる。
それを止めるように、「八神さん!」て声を張り上げた。
カスカスで、笑っちゃうくらい悲痛な声。
あと三メートルくらいの場所で、八神さんは立ち止まる。
いつでも詰められるけど、近すぎない距離感。
僕の様子がおかしいことに気付いてるのかもしれない。
こんな時でも、八神さんの優しさがうかがえた。
「今日、たのしく、なかったでしょ」
ごめんね、って。笑って言うつもりだったのに。
みっともないくらい声が震えたし、口にしたら、鼻の奥がつんとしてきた。
体の芯が凍えてしまいそうだし息だって白くなるほどだけど、寒さのせいなんかじゃない。
「……杉浦」
「へへ……ごめん」
みるみるうちに街灯と八神さんが滲んで見えて、僕は慌ててコートの袖で目元を拭う。
これ以上八神さんを困らせてどうすんの。
ひとりで空回って、勝手にむくれて、泣いて。
無理に背伸びしようとしたのは自分なのに。
本当はこの場から走り去りたかったけど、足元がおぼつかなくて無理そうだから、八神さんが呆れて背を向けてくれたらいいのに、なんて思う。
アルコールのせいなのか、なかなか止まってくれない涙が恥ずかしい。
顔を見られたくないのと、八神さんの表情を見るのが怖くて俯いた。
八神さんはずっと黙ったままだったけど、しばらくしてコンクリートが擦れる音が響く。
背を向けてくれたらいいのにって願ったくせに、置いて行かれるのかなって思うと胸がぎゅっと掴まれるように痛んだ。
けど、歪む僕の視界に白いスニーカーが映って、驚いて顔を上げる前に抱き寄せられた。
冷えてた体が、体温をわけてもらってあたたかくなる。
その間もぼろぼろと溢れてくる涙が八神さんのジャケットを汚しそうで慌てて離れようとすると、両手で頬を包まれた。
「やが、みさ」
言葉尻を奪われて、少しだけかさついてるけど柔らかなものが僕の唇を塞ぐ。
それがなにかを理解するよりもはやく、やんわりと触れただけのそれが一度離れた。
驚きすぎて目を見開いたままの僕に、八神さんが目を合わせて微笑む。
「よかった。泣き止んだ」
八神さんが僕にしたのがキスだって、ようやく頭が追いついた。途端に、ぶわっと体の中に熱が溢れる。
たしかに涙はあっという間に引っ込んだけど、その代わりに心臓がうるさい。
これ以上は無理ってくらい、顔が熱くなってく。
「八神さん、あの、」
「くち、あけて。杉浦」
一人で慌てる僕に促すと、八神さんのてのひらがうなじを覆って、片腕で腰を抱き寄せた。
顔が近い。顔だけじゃなくて、全部が近くて、息が止まりそう。
言われるまま唇を薄く開くと、いいこ、って八神さんが嬉しそうに笑った。
その表情に見惚れた隙をついて、唇がさっきよりも深い角度で重なる。
「ん、」
どこにどう置いていいかわからない僕の舌を、もぐりこんできた舌が丁寧に絡めとった。
八神さんがさっきまで飲んでたカクテルの、ほのかに残るラム酒の香りが僕のくちの中で混ざる。
甘くて、少しだけからくて刺激的なその味は、八神さんが僕にしてくれるキスに似てた。
完全に酔いがまわった上に、二度目のキスで腰砕けになった僕は、このまま帰すのも危ないからって八神探偵事務所に泊めてもらうことになった。
危ないってなに、って聞いたら「俺が帰したくないの。いまの杉浦を」って返されて、そのあと自分が八神さんに何て言ったか覚えてない。
デートして抱きしめられてキスして、挙句になんだか意味深な口説き文句をさらっと言われて。
一日でこんなに心臓鷲掴まれることがある? って僕を背負ってくれる八神さんの背中で悶えてたから。
「硬いソファと薄い毛布で悪いけど」
そう言いながら渡されたマグカップの中身は、寒い日によく淹れてくれるラムミルク。
今ラム酒を口にしたら絶対にさっきのキスを思い出しちゃうのに、って、また頬が熱くなる。
けど、八神さんにそんなことを言うのも恥ずかしいから黙っておく。
今日一日で八神さんにたくさんみっともない姿を見せすぎてるから、もう手遅れだけど。
事務所に来る途中では、酔いに任せて僕が何を考えてたかをひたすらに吐露した。
八神さんが否定も遮ることも、馬鹿にすることもなくて、ずっと優しく相槌を打ってくれたから、言わなくていいこともたくさん言った気がする。
「さっきの続きだけどさ」
どこかから出したブランケットを肩にかけてくれた八神さんは、言いながら僕の隣に座った。
「杉浦は俺を過大評価しすぎ」
「……そんなこと、ないよ」
多分、すごく不満そうな顔をしてたんだと思う。八神さんが「なんで怒るの」って僕の頬をつついて笑った。
「テンダーでマスターに昔の話聞いたら、『八神さんダサい』って笑うこと、たくさんあるよ」
「そんなの聞かなきゃわかんないよ」
「だいたい自動改札機でよくひっかかるし、パネルの注文とかも苦手だし、最近よく段差で躓く」
食い下がる僕に、八神さんは指折り数えながら言う。
「あとほら、チェーン店のカフェとか。俺、あの呪文みたいなオーダー出来ないし。さおりさんに頼まれて買ってきた時なんか溜息つかれたもんな」
カスタムを頼まれたけど電話で一度言われただけで、結局覚えきれなくて適当にオーダーして、渡したら「なんでしょう、これ」って言われたらしい。
城崎先生にやれやれって顔されたところを想像して、思わず噴き出す。
「サイズも違うよな。スモール、ミディアム、ラージでしょ、普通」
「ショート、トール、グランデ、ベンティだよ」
「なんで……SMLでいいじゃん……」
規格統一してくれ、って眉を下げる八神さんには申し訳ないけど、なんだかかわいいな、なんて思う。
今まで見たことのなかった一面を見せてくれるのって、こんなにも嬉しいんだ。
「だからさ、杉浦。あんま背伸びしなくていいんだよ。俺だってわかんないこといっぱいあるから」
こめかみを優しく撫でた八神さんが瞼に口付けた。控えめなキスだけど、僕の中にはたしかな火が灯る。
八神さんにわからないことなんてないって決めつけて、自分なんて及ばないんだって勝手に拗ねた僕は、やっぱり恥ずかしいし、まだまだ子供だ。
結局のところ、八神さんは僕の気持ちを軽くしてくれて、僕のペースでいいんだって背中を支えてくれてるわけだから。
それが大人の余裕じゃないとしても、やっぱり追いつきたいんだよ、って思うのは変わらない。
「全部杉浦に任せっきりになるけど、それでも嫌じゃなかったら、今度一緒に行こうな、カフェに」
どう? って訊く八神さんに頷いた。
「僕にオーダーさせたら全部甘くしちゃうかもしれないよ?」
僕の頭の中では、たくさんカスタムした甘いドリンクをおっかなびっくり飲む八神さんが浮かんでる。
うわっ甘い、ってのけぞるかもしれないし、案外いける、って笑うのかもしれない。
八神さんは甘いもの、嫌いじゃなかった気がする。
はやく見たいな、なんて思ううちに、とろりとした眠気が僕を急かす。
まだ八神さんと話してたいのに、張り詰めてた気持ちをほぐしてもらったからか、体はもう言うことを聞いてくれそうになかった。
でもまだ離れたくない。
そう思って八神さんの手に触れると、しっかりと握り返されて。
そのあたたかさに安心して、僕は眠りに落ちた。
だから、八神さんの照れた顔も、三度目のキスも、僕は知らないまま。
お借りしました!
貴方はぽんの八杉で『もっとアドリブで恋したい』をお題にして140文字SSを書いてください。
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