ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第⑮話「翼の行方」 上空の彼に気づくこともなく、フィリップ王子は剣を引き抜き灰となった茨を踏んでドラゴンへと歩み寄った。
ドラゴンの片腕には、未だローズが大切に抱えられ、何も知らぬまま眠っている。あれだけの激闘を経て、なお、ローズには傷ひとつついては居なかった。
フィリップ王子はゆっくりとドラゴンの腕を外し、ローズを抱きしめるとそっと優しく、ついばむようにキスをした。
と、ローズの瞼が震え、目が開いた。
フィリップ王子の青い瞳と、ローズのすみれ色の瞳が見つめ合う。
「夢を見ているのかしら……?」
「夢じゃないさ。君を迎えに来た」
ローズの頬が薔薇色に染まる。
二人は強く抱き合った。
「私、どうしていたのかしら」
「眠っていたんだよ」
「そうよ、マレフィセントの呪いで眠りに落ちていたの。マレフィセントは倒され貴方は王子のキスで目を覚ましたのよ」
いつの間に隣に来ていたのか、メリーウェザーが説明した。
ローズの目に驚きが浮かぶ。
「マレフィセントはね、貴女が呪いに落ちたことで絶望してドラゴンになっちゃったのよ。それをフィリップ王子が退治してくれたってわけ」
ローズがあたりを見回すと、すぐ後ろに巨大なドラゴンが倒れている。城はあちこちが崩れ、火であぶられたように焦げ、灰が至るところに舞っている。
「これは一体……?」
「残念ですが、こうなる前に止めることが出来ませんでした。彼女を殺さずに済めば良かったのですが……」
フィリップ王子が答える。
「おぉ……」
と声を漏らすと、ローズは両手で顔を覆った。
「フェアリー・ゴッドマザー……。なんて姿に……」
その光景を見守っていたディアヴァルは、もう我慢が出来なかった。意を決して主の傍らへと舞い降りる。
ドラゴンの頭にすりよると、くちばしでそっと瞼を閉じさせてやった。そのまま頭を抱くように翼を広げ、羽毛で包もうとした。翼の陰で、彼は密かに涙を流していた。彼の恩人であり主でもあった気高い妖精は、狂気の果に討ち果たされたのだ。
人間も妖精も、突然舞い降りた大鴉の行動の意外さに驚いて見守っていたその時。
ディアヴァルの涙がドラゴンの頭に零れ落ちた。
すると、変化が起きた。
みるみるうちに、ドラゴンの身体が縮み始め、気がつくとそこにはあの美しいマレフィセントの亡骸があったのだ。
その胸元には、一粒の黒い石が乗っていた。マレフィセントの黒い涙が凝ったような、すべての光を吸い込む闇のひとしずく。
ディアヴァルにはそれが彼女の涙そのものに見えた。彼は、そっとそれをくちばしで拾い上げると喉袋にしまい込んだ。
「まあ……。なんてこと。信じられないわ……。あなた、誰なの? なんでこんなことが起きたのかしら? 鴉のままじゃお話もできないわね」
フローラがつぶやいて、手にした魔法の杖を一振りすると、大鴉はみるみる人間の姿になった。
ディアヴァルは、思いがけなく人間の姿にされて、両手を広げて身体を見下ろし、それから周りを見回した。
人々の好奇の目が痛い。こっそり涙を拭いたいが、そんなことをしたらバレバレだ。いや、もう見られてしまったのなら隠しても仕方ないかな……。そんなことを考えながら、涙を拭うとなんとも言えない微妙な間のあとでこういった。
「なんでまた、人間なんかに」
「だって、事情を聞きたいわ。鴉のままじゃお話もできないもの」
と、フローラ。
「事情、ですか……。人間の身勝手、妖精の身勝手……。マレフィセントは死んでしまったんだ、私に何を言えと」
「あなた、泣いていたのね」
と、フォーナ。
「ほっといて下さい!」
ディアヴァルは反射的に叫んだ。
「それだわ! 涙よ!! 貴方、マレフィセントを愛していたのね……」
と、フローラ。
それを聞いたディアヴァルが慌てて叫ぶ。
「え、まって、どういうことですか」
「真実の愛があったからよ。貴方がマレフィセントを心から愛していたから、貴方の涙で彼女は元の姿に戻れたのだわ」
それを聞いたディアヴァルの耳が少しばかり赤くなったのを、周りの皆は気づいていたかどうか。
「だからなんだって言うんですか。彼女はもう死んでしまった」
「ええ、そうね。本当に悲しい結末だわ。せめて、彼女を妖精の森へ連れて帰ってあげましょう。葬るならあの森しか無いわ。ドラゴンのままじゃそれすら難しかったもの……」
その時、ディアヴァルの頭に、ある考えがひらめいた。そうだ、今なら。彼らに頼めばもしかしたら。
「なら、お願いがあります。この城のどこかに、マレフィセントの翼が隠されているはずなんです。それを彼女に返して欲しい。せめて一緒に葬ってあげて下さい」
「まあ。そんなこと、あの王様が聞いてくれるのかしら……」
フローラが不安そうに言う。
「それなら、私がお願いしてみましょう」
それまで黙って話を聞いていた王子が初めて口を開いた。
「ローズ、この人が君の言っていたフェアリー・ゴッドマザーなんだろう?」
「ええ、そうよ。私を愛してくれたと思っていたのに、呪いをかけたのは彼女だったの……」
ローズの目が悲しみに曇る。
「一言、言わせてもらってもいいですか」
ディアヴァルが憤然と口を挟んだ。
「人間からみれば彼女は悪役かもしれませんけどね、彼女にだって言い分はあったんだ。マレフィセントを騙して翼を奪い取ったのは、ローズ、貴女のお父さんだったんですよ。だからマレフィセントは彼を苦しめようとして貴女を呪ったんです。あれは復讐だったんですよ。やり方は間違ってましたけどね」
ローズが、雷に打たれたようによろめいた。
「そんな、そんなことがあったなんて……」
「マレフィセントは、物凄く後悔してましたよ。それで貴女の呪いを解こうとしたけど出来なかったんだ。だから貴女が自分の呪いに倒れた時、絶望してドラゴンになっちまった。元はと言えば妖精の土地を欲しがった人間の強欲がしでかしたことなんです。せめて翼だけでも彼女に返してあげてくれませんかね」
その目には深い悲しみが宿り、声には聞くもの皆にはっきりとわかる怒りが含まれていた。
「わかった。その願い、私がなんとかしてみよう」
フィリップ王子がそう言った。
「悪竜を倒した英雄の言う事なら、ステファン王もきっと聞き届けてくださるだろう。お前は、そうだな、成り行きも心配だろう。私の従者だということにして連れて行こう」
「……ありがとうございます」
「ただし、ステファン王が何を言っても黙って聞き流してくれ。でないと台無しになるかもしれないからな」
ディアヴァルは一礼し、申し出を受け入れたのだった。
その後、城の中で目覚めたステファン王は、フィリップ王子の大活躍を知って狂喜した。そして、なんでも褒美をとらせよう! と上機嫌で申し出た。
そこでフィリップ王子は、妖精の翼があると聞きました……と切り出して、上手く王の機嫌を取りつつ翼を賜ることに成功したのだった。
悪しき魔女は斃された!
祝賀ムードに沸き返る城を後に、「祝宴の支度が出来るまでには戻りますから」と言いおいて、フィリップ王子は、ローズ、いや、オーロラ姫を愛馬に載せ、一路妖精の森へと向かった。そこでは、先にマレフィセントの亡骸を運んだ三妖精とディアヴァルが待っていた。
彼らは、真実の泉の大樫の虚に、マレフィセントとその翼を安置することにしたのだ。
オーロラ姫と三妖精は、泣きながらマレフィセントに触れ、別れを告げた。
ディアヴァルはもう泣かなかった。
ただ黙って彼女たちの別れが済むのを待ち、マレフィセントの亡骸を抱き上げ、その墓所へと連れて行った。そして、誰にも見られることのない樫の虚の中で、喉袋に隠し持っていたあの石を吐き出すと、そっとマレフィセントの亡骸の胸の上に置いたのだった。
すると、彼の見守る前でマレフィセントの姿が薄く透き通り始め、静かに木の幹に沈み込むように消えていった。そして、樫の梢から彼女の声が聞こえたような気がした。
「マレフィセント! 行かないでください!!」
ディアヴァルは頭上を振り仰ぎ、思わず叫んでいた。
だが、応える者はなく、ただ樫の葉擦れの音だけが聞こえてきたのだった。
虚の中には彼女の翼と、黒い石が残された。
ディアヴァルは、今一度翼を抱きしめると、そっとその場に安置し、翼の間に黒い石を置くとその場を後にした。
「その剣と盾は、貴方様がお持ち下さい。私達は、マレフィセントの亡骸と翼を護って参ります」
そうフローラに告げられて、王子は頷き、剣と盾とオーロラ姫を伴って人間の領域へと帰っていったのだった。
それから後、フィリップ王子はオーロラ姫と結婚して良き王となった。二人は人間の土地をよく治め、妖精の土地を侵すことを禁じるお触れを出して妖精の恩に報いた。
だが、人間たちの間に広まった噂は無責任で、「恐ろしい魔女が姫にかけた呪いを新しい王となったフィリップが見事打ち破った」という聞こえの良い武勇伝ばかりが広まっていったのだった。
大鴉のディアヴァルは、烏の姿に戻ることを望み、どこへとも知れず飛び去った。
その行方は人間の国でも、妖精の森でも、つとに知られることはなかった。
ただ、時おりひっそりと樫の巨木を訪れる一羽の烏の姿があることを、三人の妖精だけは気づいていたのだった……。
「ヤング・クロウリー」
第一部「茨の魔女」編 ~ 完 ~