ヤング・クロウリー ~始まりの物語~ 第二部⑫話「喪服と戴冠」 王妃は公務と秘薬の研究に勤しみつつも、決して忘れないことがあった。
それは自らの「美」を磨く努力だった。
「私はね、世界一美しくなければいけないの。いつどこで誰に見られても、この美で魂すら掴めるようなカリスマにならなければ。我が君亡き今、民を従え諸国と渡り合うためには、私自身にカリスマ性が必要。秘薬で絡め取るのは補助に過ぎないのよ。勝負は第一印象で決まるの。だから絶対手を抜いては駄目」
そして彼女は、毎朝毎晩、あの魔法の鏡に尋ねるのだ。
「鏡よ、鏡。世界で一番美しいのは誰?」
と。すると鏡は必ず応える。
「王妃様、貴女さまが世界で一番美しい」
ディアヴァルには、王妃はそうやって鏡に尋ね、答えを得ることで自分を鼓舞しているように見えた。なんて強い女性なのだろう。夫を失い、突然国政を任されて辛い日々なのに、それを他人に見せることもなく一人で運命に立ち向かっている。その姿を見ているだけで、心の底から深い尊敬の念と狂おしいほどの愛おしさが湧き上がってくるのだった。
王妃は心身を鍛え、肌をケアし、装いを凝らして毎日の公務を滞りなく行った。ときには近隣の国々の使いを迎えてもてなし、あるいは文と様々な贈物を送り、この国が安泰であるための駆け引きを行う。
国内外の駆け引きや国政には、魔法の鏡の力が大いに役立っていた。鏡に問えば、どんな質問にも必ず答えがある。それを使って、普通なら知ることの出来ないことを知り、人の思いも寄らない道筋を見つけ、国を導くことが出来ていた。
諸国への贈物の中でもとりわけ喜ばれたのは、彼女自身が作ったという美容液だった。グリムヒルデの美しさは周囲の国々にも知れ渡っていた。この贈物は、彼女の美の秘訣を授かり、自らも美しくありたいと願う王侯貴族の妻や娘たちに大層喜ばれたのだ。王妃はもはや、近隣諸国の「美のカリスマ」だった。
力を尽くして諸国と渡り合う堂々とした姿は、もはや王を支える脇役である妃ではなく、女王のそのものだった。
ディアヴァルは、昔マレフィセントのためにそうした様に、人々の間を飛び回り、見聞きして、世の中の人々の気持ちが動いていくのをつぶさに観察していた。見聞きして知ったことを王妃に伝えることは出来なくても、そうせずにいられなかったのだ。彼女のことが心配で、皆が彼女のことをどう思っているのか探らずにはいられなかったのだ。
幸いなことに、王妃の真摯で堂々とした姿勢は敢えて口に出さずとも周囲に伝わっていた。いつしか王妃に心酔するものが身分を問わず増えてゆき、「王妃を女王に!」という声が自然と盛り上がって行くのが、街や王宮の噂話で伺い知れた。
そんなある日のこと。
国中が祝祭気分に浮き立っていた。城にも城下町にも、いたるところに美しく染め上げられた三角旗がはためき、花びらが撒かれ、人々が浮かれ騒いでいる。
「戴冠式だ!」
「ついにこの日が来た!」
人々は興奮して言葉をかわし、城内へと流れ込んでゆく。
城の中庭は民草に開かれ、どんな下賤な身分の者も今日ばかりは拒まれない。用意されたテーブルには山盛りのご馳走。ワインとエールの樽も開けられ、好きなだけ飲み食いできる。
城の大広間は選ばれた賓客と貴族たちでいっぱいだった。
大広間の奥は一段高くなっており、そこには玉座が据えられている。繊細な細工を施された玉座の後ろには光背のように尾羽根を広げた孔雀の飾りが付いている。金と青玉で出来た孔雀は明かり取りの天窓から差し込む陽光にキラキラと輝いて威光を放っていた。
ざわざわとした大広間に司祭が入ってくると、人々は私語を止めて期待に満ちた視線を注いだ。司祭が定められた位置に立つ。
しばらくするとあたりは静まり返り、針一本落ちても聞こえそうな静寂に包まれた。
そして大広間のドアが開き、衛兵がグリムヒルデの入場を告げた。
「輝ける宝玉の王国の妃にして姫スノーホワイトの守護者、グリムヒルデ様のおな~り~!」
高らかに吹き鳴らされるラッパの音と共に、しずしずと広間に入ってきたのはグリムヒルデでだった。
だが、その姿を見た時、人々は一斉に息を呑んだ。ざわざわと小声で話し合う人々の気配は、驚きと……そして多分、嫌悪感。
「なんだ、あの服は。喪服ではないか……」
「どういうつもりなのだ? こんな晴れの席にあんな服で……」
ヒソヒソと話し合う声がいつまでも静まらない。彼女の服は、漆黒のマントに紫のシンプルなドレス。王が亡くなってから常にまとっていた喪服そのままだったのだ。
喪服のグリムヒルデは美しかった。誇り高く上げた頭に煌めく王冠を戴き、背筋を伸ばして歩む彼女の美しさは神がかってすらいた。それでも人々の常識はその美を素直に受け止めることを許さなかったのだ。
場の空気が一気に冷え込んだのを感じて、いつもの様に梁の影で様子を見ていたディアヴァルは気が気ではなかった。
だが、グリムヒルデは気に留める様子もなく、堂々と歩みを進め、玉座の前に来ると作法に従って司祭の前にひざまずいた。
司祭は長々とこの国の由来と王家の伝統について語り、新たな王を寿ぐ祝詞を上げ、最後にに聖なる印を結んで、それからようやっとグリムヒルデの頭に王冠を載せた。
司祭が下がると、グリムヒルデはゆっくりと立ち上がり、人々に向き合って立った。
人々の雰囲気ははっきりと分かるほど険悪ではなかったが、好意的なものでもなかった。この晴れの日になぜ喪服を? という疑問が渦巻いていることが手にとるように分かった。
張り詰めた空気の中、グリムヒルデが口を開いた。よく通る済んだ美声が大広間に響いた。
「今日、私は誓います! 我が身をこの国に捧げましょう! この喪服は、我が身が永遠に我が君と共にある証です! 私はこの先、誰とも結婚することはない! 私は今日この日に、愛しい我が君の遺されたこの国と結婚したのです! スノーホワイト姫がこの国の支え手にふさわしく成長するまで、私がこの国の守護者となりましょう。皆、これまで庶民の出の王妃である私に良く付いてきてくれました。これからも共にこの国を支えて行きましょう!!」
グリムヒルデの短い演説が終わると、大広間の空気は一変していた。
彼女の言葉が終わると同時に万雷の拍手が鳴り渡り、人々の歓声が城をも揺るがせた。
大広間からの歓声を漏れ聞いた中庭の庶民たちも王妃の戴冠を知って、歓声を上げ始めた。
その歓声は、中庭に面したバルコニーに新女王グリムヒルデが姿を表した時、最高潮に達した。高みにいる彼女の服が喪服だと、中庭にいる人々は遠目に気付くものは少なかったし、空位の玉座につく者が現れた安心感や高揚感がそんな違和感を押し流してしまった。
そして違和感を感じた者たちも、王妃グリムヒルデが戴冠にあたって「操を国に捧げる」とか「喪服は愛の証」などと演説したという話を聞いて感銘を受け、逆に彼女に心酔するようになっていったのだった。
喪服と演説の話はあっという間に国中を駆け巡り、国境を越えて近隣の国々までも届いたのだった。
【豆知識】
今回、玉座の後ろの孔雀の飾りに使われている青い石を何にするのか迷ったのですが、石言葉とDアニメ版の色合いからサファイア(青玉)を選びました。サファイア(青玉)の石言葉は、「慈愛、誠実、真理、貞操、友情」だそうです。これらの石言葉の中でも「貞操」が今回のお話にぴったりだと思ったからです。
ちなみに、サファイアはコランダムという酸化アルミニウムの結晶からなる鉱物で、鋼玉とも呼ばれます。この中で、赤いものがルビー、それ以外の色がサファイアと呼ばれるとのこと。
参考記事
・希少な「青色の石」はどんな種類があるの?石言葉や選び方を解説
https://www.festaria.jp/journal/column/108
・Wikipedia:サファイア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2