No.1 プリンシピオ(オクシアSS)「カミサマなんて、いねぇよな」
カーテンの隙間から漏れる薄明かりが、黎明を知らせる。
微睡みの中で聞こえた声は気のせいだったのかと振り返ると、傍らで眠っていたはずのオクタビオはどこか遠くを眺めるように、ぼんやりと天井を見上げていた。
「…どうしてそう思うんです」
「いたら、世界はこんなに面倒くさくねぇ」
「珍しいですね、貴方がそんな感傷に浸るなんて」
「…忘れてくれ」
柔らかな布が擦れる音と共に、背中を向けて会話を切り上げられる。ふと興味が湧いて、その背中を被ったシーツごと抱き抱える様に手を回し、耳元に唇を寄せた。
「忘れませんよ。今更どうこう言う仲でもないでしょうに」
「……」
「私は、神は居るし、世界は美しいと思います」
子守唄のように謳えば、オクタビオが僅かに身動ぐのが解る。オビはその腕の中の熱を甘やかすように包みながら、言葉を続けた。
「けれど、神は少々意地が悪いんです。自分の創造物に苦難を与え、どう乗り越えるかを見て楽しんでいる」
「趣味悪ィな」
「ええ。だからこそ、私達は必死に足掻く。そしてその努力は、輝かしく、美しいものですよ。まぁ醜い場合もありますが」
「そういうもんなのかね」
「勿論、貴方にとっては違うかもしれないですね。まぁ、一つの捉え方だと思ってください」
彼が何を思って、感傷に浸っているのかは解らない。だがそれをわざわざ自分から紐解くつもりなどない。精神年齢はともかく、彼も良い大人なのだから。
「…たまに、無い足が痛むんだよ」
「幻肢痛ですか」
「ああ。けど俺は足を無くしたこと、これっぽっちも後悔なんかしてないぜ。ほんとだ」
それは、彼の言葉を聞かずとも生き様を見ていればありありと解る。寧ろ、足を失った後の彼の輝きはより一層増し、生き生きとしているように見えるのは、こちらの都合の良い解釈なのかもしれないが。
「…でも、たまにこうやって痛みで目が覚めて思うんだ」
「何をです?」
会話をしているというよりは、彼の独り言を聞いているだけだと思っている。触れ合った背中から、とくとくと穏やかな心音が聞こえた。
「足があったら、どんな人生があったんだろうって」
弱音、というよりは、素直な好奇心のようにも取れなくはないその言葉に、オビは鼻を鳴らす。なんだよ、と少し不満そうに振り返ったオクタビオに謝罪して、オビは続けた。
「どうでしょうね。私には解りませんが…一つ言えるのは、もう戻ることの出来ない道の先に続く未来を想像するのは、ナンセンスです」
「…んなこと解ってるよ」
「それよりも、これから先、幾重にも分岐していく道を駆け続ける方が、ワクワクしませんか」
「する」
素直な言葉に、今度は声を出して笑ってしまう。もぞもぞと動いて振り返ったオクタビオの瞳を覗き込むと、何時もと変わらない無邪気な光があって、密かに安堵したり。
「悪ィ、なんか変なこと言っちまった」
「痛みは気の迷いも生むものです。気にすることはないですよ」
「オビさんってマジで26歳?人生2周目とかじゃねぇ?」
「さぁ、どうでしょうねぇ」
「ホントっぽくなるから止めてくれ」
そういって、二人で笑い合う穏やかな時間を過ごせることは、幸せな事だ。
「神は貴方から足を奪いましたが、走ることは奪えなかった。自信を持って走り続けると良いですよ」
「ははッ、カミサマだって俺を止めらんねぇって思うと、なんかいいな」
「ええ」
ふと、外が明るくなってきた事に気付いてオビはゆっくりと上半身を起こし、カーテンを少しだけ引く。
「シルバ、見てください。空が綺麗ですよ」
のそのそと起き上がったオクタビオと肩を並べ、群青の地平からゆっくりと顔を覗かせる朝日を指差す。オレンジ色の光が明け方の街を照らし、次第に空が白み始めるのを二人でただ、じっと見詰めていた。
「もう一眠りするかぁ」
「そうですね」
「あぁそうだ、起きたらこの間行けなかった大通り沿いの店のパンケーキ、食いに行かねぇ?」
「貴方が二日酔いで約束をすっぽかした店ですね」
「……ホント悪かったって、埋め合わせだよ、埋め合わせ!」
「ふふ、いいですよ」
カーテンを引き、ベッドへ横たわる。瞼を閉じて、緩やかな眠気に身を委ね沈んでいく。
意識が遠退いて行く最中、オクタビオの小さな声が聞こえた気がした。
「カミサマって、案外近くにいるもんなんだな」
・・・
No.1 プリンシピオ
(神様 明け方 走る)