吊られた男「神宮寺寂雷をご存知ですね?」
その男は暗闇から浮かび上がるように現れた。
顔を覆い隠す大きなフードに大柄な体躯。その動きは随分ゆったりとしているがゆらりと歩み寄るその動作は寸分違わず統制され、一般人にはない、骨の髄まで張り巡らされた揺るがぬ体幹が見て取れた。
終電を逃し人影のない暗い道の脇、疲れきった会社員 観音坂独歩はただならぬ気配を感じた。
「……すみません、急いでいるので失礼します」
すれ違い通り過ぎようとした独歩の肩がグッと掴まれる。その予想外の痛みに彼は思わず声を上げた。
「いッ」
「もう一度聞きます。神宮寺寂雷を、ご存知ですね?」
一音一音確かめるような発声。フードの中の表情は見えない。ただニタリとつり上がった口元だけが不気味に街灯に浮かび上がるのが分かった。独歩の背を冷や汗が伝う。
「何のことでしょう……?」
「とぼけないでください、『麻天狼の観音坂独歩』。
貴方のチームに神宮寺寂雷という人物がいることを、知らないとでもお思いですか」
「は、離してください……!」
渾身の力を込めてドンッと男を突き飛ばし、180度向きを変え全力で駆け出す。
──なんなんだ一体……!! 不審者か?! 俺が何か悪いことを……いや、そんなことはどうでもいい! 早くこの場から逃げ、
そう思ったのも束の間、目の前が黒い影に覆われる。と同時に首にヒヤリとしたものが押し当てられ独歩はヒュッと息を飲んだ。
その男は目にも止まらぬ速さで彼の前方に回り込み、その首に腕を回すと切っ先の長いナイフを突きつけてきたのだ。殺される……! 全身に緊張が走る。
「動きは悪くありませんが、まだまだですね」
言い終わるやいなや頸動脈に走る衝撃。目の前に火花が散る。意識が遠のく。
(しまっ……た…………)
どさりと男の肩に倒れ込む独歩。
「少しお付き合いいただきますよ」
男は満足そうにニィッと笑みを漏らすと、独歩の体を片手で軽々と担ぎ上げ薄暗いトンネルの向こう側へと姿を消した。
(続)