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    shido_yosha

    @shido_yosha
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    shido_yosha

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    井戸端解散後、富久田が生きている木記ちゃんと会話する話。
    百貴さん家に鳴瓢と飛鳥井木記ちゃんが住んでいる設定。

    #ID:INVADED

    ミーンミンミン……ジリジリジリ……
     八月上旬の恐ろしく暑い午後四時。
     蝉の絶叫。灼けたアスファルトの匂い。汗で張りつくワイシャツ。外出を後悔するには充分な日和である。
     最寄駅まで歩いて電車に乗る。いちど乗り換え、下車し、また歩く。改札を出れば閑静な住宅街にぶつかった。百メートル先の角を曲がれば古くて大きな日本家屋にたどりつく。
     数寄屋門をくぐり、石畳をなぞって玄関にあがる。框をのぼり板敷の床を踏む。
     白昼夢のように続く畳の間をいくつも通り抜ける。幾枚目か、幾十枚目かの襖を開けたとき、それまでと打って変わって、漆塗りの座卓が置かれていた。若い女性が書き物をしている。
     節足動物達の合唱が遠のく。この部屋だけ少し涼しい。
     女性は腰より長い射干玉の黒髪で、目に痛いほど純白のワンピースを着ていた。どちらも半年前まで慣れ親しんだ姿だが、虚構世界と異なるのは、彼女が血まみれでも黒焦げでもなく、生きて呼吸していることだ。
     空中で視線がぶつかる。思わず敷居を跨いで、一歩近づき、
    「あんたは」
    「貴方は」
    「カエルく」
     次の瞬間、欄間に額をぶつけた。
    「……」
    「……」
     思わず身体を折り曲げる。数秒かかってようやく、
    「ふう。俺の名前は富久田保津。あんたの井戸で名探偵をやってた一人だ」
     と自己紹介することができた。
    「ああ、穴井戸さん」
    「そうそう」
    「殺人鬼『穴空き』」
     蝉の狂騒がぴたりと止む。冷気がひんやりと首筋を舐める。彼女の薄い唇が、
    「穴井戸さんは『穴空き』だったんですね」
     と形作った。
     此処は富久田の元上司、百貴船太郎の家である。彼を訪ねたのは富久田の恋人である本堂町小春の付き添いが理由だ。付き添いといっても義務でも頼まれたわけでもなく、富久田がなるべく彼女の傍にいたいだけである。その本堂町はというと、百貴さんと話があるからと別室へ消えた。ところで百貴は現在、富久田の友人とこの女性……飛鳥井木記を自宅に居候をさせている。
     富久田は紅溜色のテーブルを覗きこみ、
    「何してるんだい」
     と訊ねた。
    「勉強しています」
    「ふうん。資格でもとるの」
    「明確な目的は特に」
     彼女が広げているのは問題集らしく、デフォルメされたうさぎやリスがページの端端で踊っていた。動物達は口から数字や数式の描かれた吹きだしを吐いており、富久田は、
    「算数?」
    「はい」
    「うげぇ」
     卓上に置かれた扇子を拾いあげた。片手で広げて、開襟をはたはたと仰ぐ。飛鳥井が、
    「貴方は数字が嫌いなんですか」
    「“死ぬほど”な」
     富久田は対面に腰を下ろしてあぐらをかく。長い指で紙面の一箇所を指差し、
    「分母の違う分数を加算するときは、まず分母を同じ数にそろえるんだ」
    「そろえる……何の数でもいいんですか」
    「分母同士の最小公倍数がいいね」
    「そろえました」
    「次は分子も大きくする。分母だけでかくなったら数自体が別人になっちまうだろ」
    「つまり、分母を大きくした等倍、分子を大きくするんですか?」
    「Exactly」
     かりかりと飛鳥井が筆算する。彼女が握るのは、今時珍しい深緑色の鉛筆である。
     数分経って、裏面の解答を確認した表情が若干綻んだ。そして、
    「有難うございます」
     礼を述べられて、富久田は意表をつかれる。
    「……どういたしまして」
     つい視線を逸らしてしまったのは、こんな時盾として並べる軽口を持たないからだ。感謝されるのは何年ぶりだろう。
     一時間ほど経って、百貴が、
    「やぁ」
     と現れた。百貴は鼠色の浴衣に濃紺の帯を締めており、氷と麦茶の満ちたグラスを二つ持っている。百貴は机にコップを置きながら、
    「富久田、待たせてすまないな。飛鳥井さんは、何か分からないことないですか」
    「ありません。富久田さんが教えてくれました」
    「へえ」
     と百貴が目を丸くする。
    「お前、飛鳥井さんに算数を教えてくれたのか」
    「んな大したことしてないぜ」
     同時に、とたとたと、縁側を小走りに駆ける足音が近づいてきた。そして障子の裏から、
    「みてみて、富久田」
     本堂町小春が飛び出してきた。続いて、
    「差し入れだぜ」
     と現れたのは、木製の盆を持った友人、鳴瓢秋人だ。鳴瓢は紅色の浴衣に浅葱色の帯を締めており、携える盆の上にはいちょう切りされたスイカがのっていた。
     富久田は麦茶を飲みながら、本堂町へ、
    「すごく可愛いね。浴衣持ってたんだ」
    「私のじゃないよ。百貴さんが貸してくれたの」
     嬉しそうにくるくると回る本堂町。百貴が、
    「俺は貰ってくれて構わないんだがな」
     と言うと、本堂町が手を振って、
    「いいえ。自分では着付けられませんし手入れもできませんから。でも、嬉しいので、良ければ時々着させてください」
    「喜んで。じゃあ、次は飛鳥井さん」
    「はい」
     と飛鳥井が立ち上がる。いつの間にか筆箱と書物がまとめられ、消しゴムによる塵は捨てられ、机上を綺麗に片付け終えていた。
     百貴と飛鳥井がいなくなった後、富久田と本堂町と鳴瓢の三人で、しゃくしゃくとスイカを頬張る。渇いた喉に瑞々しい甘さがしみた。富久田は本堂町へ、
    「百貴さんに用事ってそれだったの」
     と顎をしゃくった。
    「うん」
    「浴衣着たいんならスタジオとか予約するぜ」
    「違くて。皆で夏祭り行きたかったの。そしたら百貴さんが家に沢山着物があるから着て行かないかって言ってくれたんだ」
    「なるほど」

     暗闇に浮かぶ赤提灯、ひしめく屋台、甚大な人混み。記憶するかぎり生まれて初めての夏祭りは、あらかじめ緊張していたほど煩わしくなかった。リンゴ飴を齧る恋人が、狐の面をかぶった友人から綿飴を分けて貰っている。
     芝生の広場に足を踏みいれると、
    「室長。こっち、こっち」
     とカチューシャを付けた青年が手を振っている。百貴が敷かれてあるレジャーシートを見て、
    「すごくいい場所を取ってくれたな」
     と褒めると、青年は
    「でしょう。羽二重と頑張りました」
     と得意げだ。青年の名は若鹿くんといったか。
    「室長、お誘い有難うございます」
     と挨拶したのは東郷という女性で、百貴の元補佐だった。紅色の長い髪を編みこんでハーフアップでまとめており、猩猩緋の浴衣とよく合っている。
    「東郷さん。すごく綺麗だ。耳と髪の飾りと浴衣の柄も合わせてて素敵だな」
     と臆面もなく仔細に褒める百貴。
    「室長、おつまみ持ってきました」
     とアイスボックスを抱えてやって来たのは白岳くんと国府くん。
    「おう、百貴。追加で酒買ってきたぞ」
     と袋を提げて歩いてくる人影は吉岡さん、吉岡さんの後ろについているのは福千くん……だったか。
    「ありがとうございます」
     百貴が一人一人歓迎する。
     一年前。飛鳥井木記の能力が封印され、ミヅハノメが停止した。それは同時に井戸端の解散を意味し、構成人員は警視庁内で別々の局へ異動させられた。元メンバーがプライベートで集結するのは今夜が初めてである。
     元井戸端スタッフ達の旧交を傍観しながら、富久田は膝を抱え刻限を待つ。薄曇りの夜空は地上の照明によってさらにくすんでいる。有数の天体が視認できないことは富久田を安心させた。
     頭上を肴にして酒を傾ける富久田の隣に、百貴が腰を下ろした。
    「今日は来てくれてありがとうな」
     串に刺さった焼きイカが差し出される。富久田はそれを受け取って噛み切りながら、
    「小春くんが行きたがったので。兄弟も楽しそうで何よりだ」
    「お前は。楽しめてるか」
    「まぁ。わりと」
    「よかった」
     はにかんだ百貴が、満足げに鹿柄のワンカップを傾ける。富久田は察して、
    「それだけじゃあないでしょう」
    「うん?」
    「俺に用事があるんですよね」
    「ああ……」
     言うべきか迷ったが、と百貴が前置きして、
    「夕方、飛鳥井さんに勉強を教えてくれただろ。ありがとう」
    「どういたしまして」
    「感動したんだ。お前が苦手とする数字を教授したのが」
    「大袈裟だな」
    「他者と繋がる方法は家族となる以外沢山ある。なかでも知識の授受は最も尊い繋がりだ。学んだ事だけは誰にも奪われない。知識は教わった相手の慰めとなり生きるたづきになり、次の世代へ受け継がれるんだ。お前がその営みの中にあるということが嬉しい」
    「わかった。室長、酔ってるね」
    「だいぶな」
     富久田はちらりと飛鳥井の横顔を見やる。ぎこちないものの心から享受する微笑み。翳りの残る儚さは、善人ならば親切心を、悪人ならば嗜虐心をそそられる。
     富久田は、彼女の求心力について思考する。というのも先刻、百貴の屋敷で飛鳥井と会話した時よぎったのだ。本当に、彼女は純粋な被害者で完全なる弱者なのか。
     昭和時代に製造されたらしいレトロな扇風機が首を振る。振った拍子にめくられたページを、一瞥して、
    「次は幾何学に入るのか」
     と、富久田はひとりごちた。
    「幾何学ってなんですか」
     と飛鳥井が訊ねる。富久田は、
    「幾何学ってのは、円や球、三角形なんかのあらゆる図形を扱う学問だ。発祥は紀元前3000年以上前のエジプト。ピラミッドを設計したり、ナイル川の洪水流量を把握するための測量に用いられてたんだ」
    「円は平面の丸で、球は空間の丸。ピラミッドは三角形ですね。川が図形とは…?」
    「例えば、あんたが包丁で俺の胴を切断する」
     畳に落ちる斜陽。地獄の歌のような虫の叫喚。
    「モツの詰まった赤い断面を想像して。この断面を平面図形ととらえれば、あんたは俺という死体の断面積を計算できる。ここまではオーケー?」
    「はい」
     頷く飛鳥井。算術の応酬を前戯にして、富久田はゆっくり飛鳥井と距離を詰める。彼女の華奢な手首を握り、自分の胸板に触らせて、
    「次にあんたは、俺を一回切り分けた程度じゃ物足りなくなる。俺を元通りにつなげて生き返らせて、今度は何千枚、何万枚と等間隔で薄切りにする。まるでハムを食べるみたいにね。そして一枚一枚の断面積を全て足し合わせれば俺の体積を算出することができる」
    「体積?」
    「あんたの世界で俺が占領してる場所の度合い」
    「貴方が私の世界でどれだけの場所を占めているか」
     飛鳥井の掌が富久田の筋肉越しに鼓動を確かめる。
     富久田は年齢不相応に小柄な身体を押し倒し、女を見下ろす。飛鳥井も、男をまっすぐ見上げながら受けいれる。藺草色の畳を宇宙のような黒髪が飲みこんで広がる。
    「あんたは俺が怖くないの」
    「はい。貴方は私を殺しませんでした」
     富久田は飛鳥井の喉に大きな手を掛けて、
    「あんたにとって対人関係は殺されるか殺されないか?」
    「いいえ。侵すか侵さないか」
     飛鳥井の人差し指が富久田の口腔に挿れられる。
    「犯す?殺人鬼たちはあんたをレイプしたのか?」
    「違います、私の意識が他人に『侵食』するんです。侵食された人はいずれ壊れます」
    「壊されたのはあんただろ」
    「いいえ。私の能力がなければジョン・ウォーカーは計画を思いつきませんでした。七人の殺人鬼はもっと早く捕まっていました。鳴瓢さんが他人や自分を殺すことはありませんでした」
    「あんたは……」
     富久田は、飛鳥井の身体の隆起に触れる。目蓋、鼻筋、乳房、腹。彼女の外殻が内包する闇は、人智が計算しうる広がりだろうか。
    「あんたは境界線が欲しいんだ。1と2は別の数字であること。渾然一体とした世界に線を引き、きまった形を持つこと。限りなく近くても決して混ざりあわない自分と自分以外」
     飛鳥井が富久田と同じ仕草で富久田の頬を撫でる。
    「貴方はその孤独に耐えられなかった?」
    「うん」

     ヒュゥウウ…… ドォオンッ
     時計が午後八時を指した途端、夜空に花火玉が打ちあげられた。花火玉は上空で燃焼、破裂し、金属の炎色反応を咲かせる。地上でどよめきと歓声がわきおこる。
     富久田は目下眺める花火について、特段何の感動も生じなかった。やはり数唱障害が寛解したところで、自分は根本的に大多数と異なってしまっているのだ。
     かつてはそれを自覚し悩んだ末、自らを穿頭した。しかし現在はさほど絶望していない。
     理由は単純に、属せる群れを発見したからだろうか。あるいは飛鳥井木記という、世界と融解しあえるほどの、自分とは真逆の自我を知ってしまったからだろうか。
     膨張しつづける宇宙の中心で在る寂寥。富久田は初めて、自分以外の、他者が抱える孤独について夢想した。
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