鉄錆今日は一段と憂鬱な1日だった。
肉、肉、肉、赤、赤、赤。
悲鳴が耳の中で木霊する。
朝一に押し付けられた仕事は久々の掃除。裏切り者をこの組から掃除する。
用意はしてあるから、最期のお話と解体よろしくと。簡単に言ってくれる。
武道がこう言った仕事を嫌っていると知っていて定期的に流してくるのは、きっと武道を試しているのだ。どこまで自分を、佐野万次郎を許容するか。
でも、万次郎も変な所で臆病な面を持っていて、こうやって武道に回す掃除の仕事は必ず民間人を巻き込んだ殺人、強姦、人身売買が絡んだものだった。仕方なく殺す。どうにかそう思える人間ばかり回してくる。
倉庫に行くと本当に綺麗に用意は整っていて、言葉を無くす程では無いが逃亡できない位にはボロボロの解体予定のゴミがいた。
「俺がやりましょうか?」
千冬がじっと武道を見据える。
しかし武道は首を横に振り努めて明るく言う。
「マイキー君のご指名だから」
千冬に頼ってばかりではいけない。ただでさえ武道に近い千冬は、すぐに万次郎の矢面に立たされる。万次郎の心の声を聞き間違えてはいけないのだ。
出来るだけ、苦しく、出来るだけ手短に。
そう思いながら用意されている手袋に今している物から付け替える。
爪を剥がし終えた時も、指が減っても、さして重要そうな発言は出て来ずため息が出た。壊れたラジオの様に繰り返し命乞いをするゴミに早々に見切りをつけて眉間に鉛を一発。そこからは連れてきた部下に任せる。
床にはあまり綺麗ではない赤と黒。
貨物の上に腰掛けて解体作業を眺める。
機械的に肉を処分する作業の音だけが倉庫に響いていた。
「お疲れ様です」
寝ていた訳ではないが、ぼーっとしていた。
気付けば解体は終わり、任せた部下は武道に頭を下げ人ではなくなったそれを捨てに出て行った。
可哀想な子達だ。武道に信頼を置き裏切らないと判断されたばっかりに、こんな汚い仕事ばかり押しつけられる。
彼らが望んでこの仕事を請け負い武道の役に立ちたいと思っていても、それでもやはり可哀想だと思った。
彼らが出ていき、この場所に残っているのは千冬と武道のみ。
脱いでいたジャケットを千冬がかけてくれる。
「この後幹部会で会食だけど…どうする?」
「報告もあるから、シャワーだけ浴びさせて」
返り血は浴びていないが、髪から、手から、全身から鉄錆びたあの匂いが離れない。
匂いが消えるとは思えないが、冷たい水を浴びて気持ちを変えたかった。
さぁ帰るかと重い腰を上げた瞬間、部下が先程出て行ったドアが開いた。
咄嗟に千冬が銃を構える。よぉと気が抜ける軽い挨拶と共に現れたのは長身の側頭部にドラゴンのタトゥーが入った男、龍宮寺だった。
黒いスーツに身を包み革の手袋を嵌めた手でひらひらと武道に手を振る。
それは龍宮寺の掃除の時のお決まりの衣装だった。
「たけみっち」
「ドラケン君」
「もう終わっちまったか、手伝おうと思って来たんだが」
床には赤と黒の液体。
肉片はあるものの、本体は部下が先程運んで行ったばかりだった。
「ありがとうございます、さっき終わったとこで」
「一足遅かったか」
「これと言った収穫は無かったです」
その言葉を聞いて龍宮寺の眉間に皺が寄る。
「そうだろうな…」
大した情報は出ないと分かりきってる。
そう言うモノを万次郎はわざわざ残しておいて武道に毎度当てがっているのだから。万次郎は武道に汚れて欲しいが汚れて欲しくない矛盾した感情を持て余している。
この世界に足を踏み入れた時も、最初は散々出て行かせようとした癖に手放せない。
本当に万次郎らしくない。
龍宮寺は万次郎の隣を歩くと決めていたが、武道の事は何が何でも守りたかった。
彼の弱くて、泣き虫で、それなのに強くて優しい所がたまらなく愛おしい。
いま自分が生きているのは武道のおかげなのだ。
「幹部会の後、予定は?」
「直帰の予定です。会長次第ですが」
武道ではなく千冬が即答する。千冬が言わなければ、武道は何か適当な理由をつけて龍宮寺の誘いを断る。そう確信して先手を打って来ているのは一目瞭然だった。
「なら大丈夫か。その後俺んとこ来い」
武道の髪を掻き混ぜながら、優しく誘う。
「でも…」
「来るよな?」
2度目は疑問系だが有無を言わさぬ口調で。
龍宮寺の強い瞳が真っ直ぐに武道の瞳を捉える。
「うす」
「よっしゃ、いい子だ」
頬をすりすりと指で撫でさすられて堪らない気持ちになった。
毎度、次こそは断らねばと思うのに、龍宮寺の優しさにどうしても甘えてしまう。
「じゃあ、さっさと飯食いに行こうぜ」
「車回させますね」
「頼む」
この場に似つかわしくない爽やかな笑みで、龍宮寺は武道の肩を抱き歩き出した。
鉄錆びたあの匂いは、いつの間にか気にならなくなっていた。