酒と本音と後悔と【仮】「……合コン」
魏無羨が拝むように頭を下げると藍忘機はその秀麗な眉を顰め、汚らわしくて口にも出したくない単語だと云わんばかりの声色で呟いた。
「藍湛、お前の言いたいことは判ってる。でも今回だけだから頼む!」
再び頭を下げる魏無羨に藍忘機は仕方なくといった素振りで本を閉じる。
今回だけ、と様々なことでもう何度も頼みごとをしているが、藍忘機は最初は素っ気なくしていても結局は話を聞いてくれることを知っている。
そのことに関して、彼らと付き合いの長い友人たちは甘えすぎで甘やかしすぎだと諫めるわけだが。
「君になら頼めるひとは他にいるだろう」
「確かにいるけど、今回はごく一般的な友達にはしんどいメンツで……」
魏無羨が微妙な言い回しで語った参加者はその付き合いの長い友人たちだった。
「なあ、頼むよ藍湛。懐桑に頭を下げられたら断れないだろ」
「……魏嬰、今度は彼にどんな借りを?」
「今度はって人聞きの悪い。持ちつ持たれつが長く付き合いを保つ秘訣じゃないか。それに俺のほうが懐桑をたすけているし」
藍忘機の問いには答えず、魏無羨はデニムのポケットから飴をひとつ取り出すと、藍忘機の掌に強引に握らせる。
掌に載せられた透明なフィルムで両端をひねった薄い水色の飴を、それとよく似た玻璃の瞳で見つめた藍忘機に、魏無羨は畳みかけた。
「仲良くなった子と連絡先交換したり……持ち帰ったりできるかもしれないぞ?懐桑の見る目は確かだからきっと可愛い子がいるに違いない」
いままで藍忘機に彼女がいたことも、好きな子がいることすら聞いたことがなく、勉学と武道以外興味を示す気はしなかったのだが、思いがけず彼はひとつの単語が気にかかったようできゅっ、と掌の飴を握る。
「……持ち帰り。判った、行こう」
「いきなりそっち!?そういうことにあまり興味ないと思っていたのに……藍湛、お前意外と男なんだな。ああ、うん、でもたすかった」
なぜか心がざわめく魏無羨の言葉を聞いているのかいないのか、藍忘機は頷いて了承したのだった。
しかし、魏無羨が藍忘機を伴って指定された個室居酒屋に着いてみれば、女子の影ひとつなく困った顔の聶懐桑と一緒に来ていたらしい江澄と金子軒が待っていただけだった。
「あれ?お前らだけ?女の子たちは?」
「それが……キャンセルになって」
「ドタキャンされたってこと?」
「うん……多分」
歯切れの悪い聶懐桑の言葉に事情が判らない魏無羨も首を傾げるしかない。
ふたりの間に飛び交うハテナに微妙な空気が流れる。
そこで、この件について事情を知っているらしい金子軒が代わりに説明してくれた。
「この店に着いた途端に、まるでいま着いたことを知っているようなタイミングで、彼の兄から彼女たちは来られなくなったと電話があったんだ」
「ああ……なるほど、明玦兄が」
そのひとが関わっているということを知り、魏無羨はすべて納得した。
聶懐桑には母親違いの兄がひとりいて、その聶明玦はおっとりとした弟とは違い剛直で厳格な性格をしている。
昔からこっそり遊び歩く弟の行先を先回りして潰してゆくことはすでに周知の事実だ。
「今度こそ、兄さんの息のかからない店を探せたと思ったのに。でもどうして彼女たちの連絡先を知っていたのか……」
「それが聶明玦だからだな。もういい加減諦めろ」
江澄の言うことは尤もで、聶明玦はただ厳格なだけではない。
尋常ではないブラコンだということを、兄が恐ろしいと怖がる聶懐桑だけがまだ気付いていないのだ。
ということで、今回の合コンははじまるまえに終わったが、どうやらその聶明玦が手を回して最高級の肉を用意したというので、同期の飲み会に仕切り直した。
「女の子と飲みたかったけど、さすが明玦兄の肉……すき焼き最高!藍湛、野菜だけじゃなく肉も食べろよ」
「うん」
藍忘機が頷きながらも魏無羨の器に肉を投入していく様を、江澄はげんなりとした顔で眺めていた。
「ところで、なんで子軒が合コンに来ているんだ?姉さんは知ってるのか?」
ビシッと箸を突き付ける魏無羨に金子軒は箸を向けるなと顔を引き攣らせ、藍忘機は行儀、と魏無羨を諭す。
金子軒は江澄の姉で魏無羨の幼馴染みである江厭離と婚約中の身だ。
「頭数にいてくれればいいと懐桑に泣きつかれたんだ。それに彼女の弟もいるのだから、なにか起こるはずもない」
「どのみち、合コンなんぞにホイホイくる女に付き合う価値があるかどうか判りきっている」
「そんなことない!彼女たちの未来は看護師で可愛い子ばかりだったんだ!ああ……それなのに」
鼻で嗤う江澄に聶懐桑は抗議するも、楽しかったはずのコンパに想いを馳せ、ちびちびと橙色のカクテルを飲む。
その様子をちらっと見ていた藍忘機に気づいたのか、聶懐桑は飲んでいたグラスを彼のほうへと押しやった。
「あ、気になるなら飲んでみる?人のグラスに口付けるの嫌じゃなければ」
「そもそも駄目だろ。藍家は禁酒禁煙だ」
「一口だけならバレないんじゃないか?せっかく、みんなでいるんだし。なあ藍湛」
江澄は止めるが、魏無羨はにっこり笑って唆す。
「うん」
藍忘機はじっと魏無羨の顔を見つめ、そのまま視線が交錯すれば珍しくすっと視線を逸らせて頷くと、グラスの中身を一口含んだ。
藍忘機の喉が動きカクテルが嚥下されると、彼の手にもっていたグラスはコト、とテーブルを鳴らし、すぐさま長い睫毛が伏せられる。
「……え、藍湛?」
驚いた聶懐桑が藍忘機の目の前で手を翳して振ってみるも、反応はない。
「寝ている……のか?」
「一口だけだったよな」
一同が唖然とするほどの酒の弱さに、これが彼の叔父に知れたらどれだけ長時間説教を受けるかという恐怖に頭が痛くなってきた。
これからどうしようと悩んでいると、ゆっくりと藍忘機が目を開けた。
「藍湛!よかった、どうやってお前を連れて帰ろうか困り果ててた……、ってなに!?」
藍忘機は魏無羨に向き合うと両腕で彼を抱き上げ、ゆらり、と立ち上がる。
慌てる魏無羨に藍忘機は腕の力で拘束を強め、困惑顔の彼にしっかりと告げた。
「君を持ち帰る」
「は!?いや、ちょっ……」
魏無羨が助けを求めて友人らを見回すが、火の粉が自分に降りかからずによかったと安心した表情で手を振られただけだった。
「魏無羨、よかったな。お前の合コンは成功したようだ」
「江澄!?」
覚えてろよ!と捨て台詞を残し、魏無羨はめでたく藍忘機に持ち帰られることになった。