「ん?」
「……あ、」
横断歩道の手前、自分より二歩ほど離れた位置で立っていた男の手首を掴んでしまったという事実。相手の反応に対して気付きの声だけはどうにか上げたものの、二の句が継げないまま立ち尽くしてしまう。力をこめた手をとっさに離すことも出来ず、人通りが少ないとは言えない街中で小さな混乱は解けないままだ。
「どうかしたか? なにか気になることでも……」
「違う。あの……あぁー、もう」
あまりにも無意識なやらかしに、空いている片手で顔を覆う。そういうつもりでは全くなかったのだ、彼の腕を掴むつもりではなかった。彼相手でなければそもそも動くこともなかっただろうが、そうではなくて。直前の出来事が良くなかった、全部そのせいだ。
ほんの数分前のことだ。パトロール中に迷子のこどもを見つけて、市内情報を探ってみれば親側から迷子探しの連絡も入っていた。知らせのあった店舗からさほど離れていない場所だったこともあり、連れ立ってイエローウエストの街中を歩いて向かうことにしたのだ。
どういう選り好みか分からないが、ディノではなく自分と手を繋ぎたがったのでそうしたまでのこと。4歳かそこらの、ようやく100cmをこえたくらいの幼児は随分と頼りない体躯のくせに、あっちこっちと走り回ろうとして。それに驚いて何回か手を離してしまいそうになりかけて、とはいえ強く握りすぎては小さな手を潰してしまいそうで少し戸惑った。反射神経では大いに分があるディノが先んじて前を塞いでくれたので、大事には至ることはなかったが。
「……さっき親御さんに受け渡してきた子、元気だったでしょ」
「ああ、すごかったな。体力も増えてきた年齢だろうし、動き回れるのが嬉しいって感じで」
「あれが気になるこれが気になるってさ……あちこちみて、言ってたから…その」
ようやく荷が下りたと二人で横断歩道を前にして立ち止まった数秒後、彼が走り去るトラックを見ながら呟いたのだ。新しいピザ屋がグリーンイーストの方に出来たみたいだ、と。そうして一歩、もちろんこちらを振り返るための動きであることは分かっていたのだけど。その腕を、反射的に掴んでこちら側に引いてしまった。
「……ふっ、んふふ。もしかして俺が駆け出すように見えた?」
「だから違うんだって。ぼーっとしてたの……理由は、実際そうなんだけど」
半分は、まだ子供がそこにいるかのように錯覚していたせいだ。あの子供の髪は、彼ほどではないけれど明るくて色素の薄い色をしていた。体躯に至っては似ても似つかない……己よりも嵩のある相手に庇護欲が働いたわけでもない。それでも、気の緩んだ隙間からこぼれ落ちてしまったのはどうしようもない本音だった。他の誰でもない彼に危ないことがあったなら、手の引いて遠ざけてやりたいと。
「ありがとう、フェイス」
「お礼を言われる場面じゃないんだけどね」
「いいだろ、嬉しかったんだから」
言葉通りに笑ってみせる様子にようやく手の力も抜けて、じんじんとした痺れだけが手のひらに残された。あの一瞬、俺は本気で焦って緊張していたんだな。自分の心に、ここまで素直になれるものかと思い知ってしまった。いつか同じ行動をとるとき、俺はあんたの心を否定してでも自分のやりたいように動くんだろうなぁ。そのときもあんたは同じように、嬉しいと思ってくれるだろうか。