【治北】山も北も笑えば山が笑っとるなぁ。
そう言ったのは幼い治であった。お花見に来た公園で見つけた出店。そこで購入した綿飴を左手、ドリンクを右手に持った少年は、車の中でそういった。隣で片割れは寝ている。これを聞いた母は単純に驚いた。こんなことを言う息子だったのか、と。寝惚けているのかと思ったがパッチリと目が開いていた。
――治はそう見えるんか?
ハンドルを握る父は前を向いたまま治に声をかけた。徐々に萎んでいる綿飴を口にしていた治は「おん」と言った。
――桜いっぱい咲いてわろとるみたいや
そう言うと、隣に座っていた侑から「んが」と鼻が鳴っていた。
そう、治は昔から侑とは違う人間だった。
屋台でくじ引きをするのは侑で、綿飴を買うのは治。
屋台でイカ焼きを買うのが侑で、たこ焼きを買うのが治。
遠出の時に行きで寝ているのは治で、帰り寝ているのは侑。
両親にとって全く違う人間だったのだ。生まれた時からそうだったのだが、成長すればするほどその違いは顕著に出た。
「あ、信介さんほっぺ」
「ん?」
息子が2人に増えたようだった。まさかこんな形で新しい家族を迎えるとは思っていなかった。それが父と母の感想だった。治は今日のために休みを合わせて北と一緒に弁当片手にやってきた。レジャーシートと父親への酒は北が用意して、母親の代わりに治が弁当を提げてきた。つまり両親は何も準備することなく桜の下で弁当を突いているのだ。
ここだけの話。
抵抗がない訳ではなかった。いくら侑と治が違う人間だからといって、男を連れてくるとは思っていなかった。中学の時は女を連れ込んでいたことを知っていたから余計に。どういう風の吹き回しなのか、それとも騙されているのか。心配したし不安になった。母親に至っては「私の育て方を間違ったのか」とすら思った。それでもなぜか、頭を過ったのは「山が笑っているみたいだ」と言って綿飴を頬張っている幼い息子だったのだ。爆睡することなく、くじ引きにも興味を示さず、花より団子な息子は本当に『花より団子』な選択をしたのだ。リビングの窓辺にはチューリップが芽をつけていたのが見えたのが最後だった。これが「山が笑っているみたいだ」と言った幼い治に見えてしまったのだ。
だから、頭ごなしにモノを言うことなんてできなかった。
「ん、イタドリか」
北の酒を呑んでいた父親はそう言った。
「はい。うちの畑に生えてました」
「へぇすごいなァ。えらい久しぶりに見たわ」
たしっぽの炒め物含めて山菜の料理のセレクトは全て北が選んだ。実のところ、北は料理が苦手であることを治は知っている。治の隣にいるため相対的にそう見えるのはあるが。しかしレシピなんてほとんど知らないし、イタドリは少し焦がした。ゼンマイは少し炊きすぎたし、ポテトサラダのじゃがいもは硬いものが混ざっている。大雑把なのではなく、料理は意外とレシピ通りにしても野菜個々の個性には勝てないのだ。
「ん、美味いな。七味か」
「はい。酒が進むかとおもて」
「うん、これ美味しいわ信介くん」
「ありがとうございます」
「……ヨォ信介さんが作ったって分かったな」
完全に輪の外にいた治が少し面白くなさそうな声を出してぼやいた。その問いかけに父親はイタドリを飲み込んだ後、答えを出した。
「ん〜これは知らん味やからな」
「そうやで。あんたが作った料理は私の料理と味似てるねん」
「へ」
おにぎりを頬張ろうとして口元まで持っていっていたのに、治は口をあんぐりさせたまま固まってしまった。ついでに自分の手元にあるおにぎりも見つめている。「それはちゃうで」と笑って治の背中を叩いた母はご機嫌で楽しそうだ。
「この、菜の花のおひたしとか、ミートボールとか。おかんのおかんの味やで」
「イタドリもそうやけど、このポテサラは信介くんが作ったんやろ。知らん味やけど美味いわ」
そう言って笑う母親の顔と、何食わぬ顔でポテサラにパクつく父親の顔を見た北はなんだか泣きそうになってしまった。母親の言うとおり、その二つは治が作ってくれたものだ。そしてポテサラは確かに北が作った。雲泥の差があるはずなのに、笑顔で食べてくれるなんて思っていなかった北はその栓を緩めそうになってしまった。しかし、きゅ、と口を固く結んで堪えることにした。
「……えぇ?信介さん、わろてや」
何そのポイント〜、と困った顔で笑ったのは治だった。トン、と肩に寄っかかっておどけているように見えた。
「せやで、山もわろとるから、わろてや信介くん」
その声に、ほとんど泣きそうな顔をした北は眉を下げて笑って見せた。
#【山笑う】
山の草花が一斉に芽を出したり花を咲かせたりしている様子。