モフモフと美人は正義モフモフと美人は正義
花垣武道は天啓を得た。
「モフモフと美人って……最強じゃね?」
興奮からまろび出た言葉は震え、何なら武道自身も震えている。天井を仰ぎ、独り悦に陥っている彼の目の前にはおよそ一般家庭ではお目にかかれない様な100インチの大画面テレビがその存在感を主張していた。これはテレビ好きの武道の為に恋人がその場のノリで購入したものである。
金額は百万円を悠に超えていた。たまたま大手メーカーで発売される事を知り、世間話程度に「こんなでかいテレビで映画見れたらサイコーっすね」と恋人に話してしまったのがいけなかった。数日後、たくさんの男達の手によってこの家に運び込まれたのは話題の100インチテレビであったのだ。
慣れるまでに一悶着あったが最早この百万円は武道のものと言っても差し支えない。そして今日も暇を持て余した武道は朝からテレビにうつつを抜かしていたのである。恋人には内緒だが、アナウンサーが可愛いという理由で必ず観ている朝の情報番組。丁度オープンしたばかりの商業施設が紹介されていた。笑顔がはじける女性アナウンサーがオーバーなリアクションでオープンする店を一つ一つ紹介している。そしてコーナーの終わりがけにアナウンサーが訪れたのが商業施設の一角に店を構えた猫カフェであった。存在は知っていたものの動物に縁などこれっぽっちも無い武道は猫カフェがどういう所なのかよく知らない。だが視覚に飛び込んできた愛らしい猫の姿に一瞬にして釘付けになってしまう。
カフェには多種に渡る猫が自由気ままに暮らしていた。そして二重扉を潜るアナウンサーに気がつくと一斉に傍に集まってくる。猫達はアナウンサーが手に持つおやつを狙いに来たのだ。椅子に座ると一瞬にして膝の上は猫の大渋滞を起こしている。
「モフモフ……癒し……」
その光景を目にして思わずまろび出たのが冒頭の言葉である。
申し訳ないが猫に囲われているアナウンサーを恋人に置き換えてみる。うん。すごく良い。
日頃激務に癒しを求めている恋人にはこのモフモフ達と戯れてもらい、自分はその恋人を愛でる。なんて素晴らしい考えなのだろうか。
自画自賛してしまったがそれくらい最近の恋人は仕事に忙殺され疲弊していた。毎度帰宅は深夜から朝方でよろよろと足を引きずりながら帰宅する恋人に武道は密かに心を痛めていた。それでも自分ができる事には限りがある。ペットから恋人に立場を変えても恋人の灰谷竜胆は武道が自由に外出する事に難色を示していた。きっと竜胆への癒しを求めて内緒で外を出かけでもしたら鬼の形相ですっ飛んで来るだろう。何度か痛い目を見ているので流石の武道も学習している。それはともかくとして、可愛らしい猫達に囲われれば竜胆の疲れも少しは解消されるのではないだろうか。
それならば善は急げ。
武道は与えられたスマートフォンを操作しカレンダーを表示した。次の恋人の休みは五日後だ。この日は何としても竜胆の休みを死守したい。
「う……あとが怖えーからこの手はあんま使いたくなかったけど……」
スマートフォンを見つめながら数秒躊躇う。この手を使ったらどんな代償を支払わなければいけないか想像も出来ない。だが全ては竜胆の為。何度も心の中で言い聞かし武道は再びスマートフォンを操作する。そしてチャットアプリに切り替えた。相手は竜胆の兄である灰谷蘭。
「次の竜胆君の休み、絶対に確保したいんで何とかして下さい‼︎」やや語尾が強くなってしまったが仕方がない。日頃から蘭に仕事を押し付けられ、潰れた休みは数えきれない程あるのだ。
一分後
「オーケー。その代わり可愛いリンちゃんの動画よろしくー」とあっさりと承諾の返信が蘭から送られて来た。伝えてもいないのにこちらの思案までお見通しで武道は思わず体を震わせ、辺りをキョロキョロと見渡す。あの人ならこの部屋に監視カメラを仕掛けていても不思議では無いのだ。
それでもこれで竜胆の休みは梵天が爆発しない限り確定であろう。来るべき五日後に思いを馳せる。どうか竜胆が楽しんでくれる事を願いながら……。
◇◇◇◇◇
「ね……こ?」
「そーです! 可愛いでしょ!」
待ちに待った竜胆の休日。指折り数えてこの日を楽しみにしていた武道は朝早くから張り切っていた。昨夜は子供の様に二十一時にはベッドに入り、竜胆からの夜のお誘いも突っぱね、たっぷり睡眠を取った為万全のコンディションである。そして未だ夢の中の竜胆を起こすべくこんもりと盛り上がった布団を優しく揺する。
「おーい、竜胆君。起きてー」
「ん゙ーむり」
「今日、出掛けるって言いましたよね!」
「だってタケミチが意地悪するから……」
布団の中から不機嫌を隠しもしない掠れた声が聞こえた。日頃の激務で疲れているのもあるが、久々のオフなのに夜のお誘いを断った事を未だ根に持たれている様だ。
「もう! そーやってぐずぐず言わないでくださいよー」
「いやだ」
これは中々面倒だ。思わずため息を吐きそうになるのを何とか堪える。普段は年上という事もあり何かと武道の事を甘やかしてくれる竜胆だが、稀にこんな風に駄々をこねる子供の様になってしまう。恐らく極度のストレスにより心身が不安定になっている事が原因であろう。そんな時は時間をかけて甘やかしてやればいつの間にか普段通りに戻っているのだが、いかんせん今は時間が無い。布団から引き剥がそうとも力で叶う筈もなく困り果てた武道はどうしたもんかと思案する。
「竜胆君」
「……何?」
極力優しい声色で彼の名を呼んだ。未だ布団から顔も出さないが返事をしてくれるだけ及第点であろう。
「オレ、君とのデートすごく楽しみにしてたんです。だから起きてくれると嬉しいな……。それに明日もオフですよね? それなら……オレ……」
「オレ……が何?」
「……オレの事……好きにしていいですよ……」
羞恥に言葉尻が萎んでいく。まるで捨て身の攻撃だ。武道が持てる全てをぶつけた必殺技。(ただし竜胆専用)だが必殺技と言われる事だけあって効果は抜群であんなけ布団と仲良くしていた竜胆が次の瞬間にはベッドから飛び起きるといそいそと身支度を始めるのだった。
トラブルはあったものの何とか訪れる事が出来た商業施設。アナウンサーは東京ドーム何個分で例えていただけあって端から端まで行くのにかなりの時間を有してしまいそうな程広かった。オープン直後の為か平日だというのに既に店は賑わいを見せている。肩がぶつかりそうな程の人混みに竜胆がうんざりと渋面を作った。日頃からクラブやパーティーなどの賑やかな場所を好むくせにこの男は人混みが苦手なのだ。
このままだとせっかく上向いた機嫌が再び降下し「やっぱり帰る」と言われかねない。その前に目的の場所まで行かないと……。武道は竜胆の手を取ると人を縫う様にして歩き始めた。なんせ猫カフェは現在地の反対側にあるのだ。急がねばなるまい。「おい……⁉︎」突然の武道の行動に戸惑いの声をあげている竜胆を無視し早足で進んだ。今日の目的を竜胆には伝えていない。彼がどんな反応をするか見てみたいからだ。足に擦り寄るモフモフに彼は一体どんな表情を見せるのか……竜胆を引っ張り歩きながらクフクフと笑みを作る。そして店を見上げながらキョトンとしている竜胆にイタズラが成功した武道は飛び上がって喜んだ。
受付の仕方は一通り調べていた。店員からの注意事項に頷き、靴からスリッパに履き替え、荷物をロッカーに預ける。二枚扉を潜ればお出迎えにと一匹の猫が武道の足に擦り寄ってきた。
「ふわぁ……可愛い」
実際に動物に縁が無かったのは武道も同じだ。子供の頃よく見た野良も今では見かけなくなってきている。
「……」
その場でしゃがみ込んで寄ってきた猫の顎下を優しく撫でる。灰色の短毛で不機嫌そうな表情が可愛らしい猫は暫く大人しく武道の手付きを享受すると、するりとその手を躱し何処かへ歩いて行ってしまった。
「わぁ……猫がいっぱい」
店内を見渡すと多種に渡る猫が自由気ままに過ごしていた。一度に入れる客の人数は決まっている為、皆ゆったりと寛ぎながら思い思いに猫と戯れ過ごしている。
武道は壁に貼り付けてある猫の一覧を見上げながら笑顔になった。竜胆の為と言ってはいたが可愛らしい猫達にこちらのテンションも上がってしまう。だが最初に頼んだドリンクを竜胆の分と一緒にカウンターで受け取り戻ると未だ竜胆がぼんやりとしてベンチに座っている事に気が付いた。
どうも彼の反応が薄く、一体何を考えているのか見当も付かない。
「ど……どうしたんですか?」
もしかしたら嫌なのか。今更ながらに武道は何の相談もせずにここに来てしまった事を後悔し始めた。出会いからあれだけアニマルセラピーを乞いていたのでてっきり動物が好きなのかと思っていたが、確かに動物と戯れる竜胆は想像も出来ない。未だ一点を見つめぼんやりしている竜胆に恐る恐る声をかける。すると我に返ったのか勢い良く竜胆が武道を見上げた。
「ひッ⁉︎」
「タケミチ! 猫‼︎」
「へ?」
どうやら竜胆の時間だけ五分ほど遅れているらしい。こちらを見上げるかんばせは無邪気に輝いていた。そして彼はキョロキョロと辺りを見渡し始める。まるで子供の様な姿に武道は小さく笑ってしまった。竜胆は足元を歩く猫に手を伸ばす。長毛の美しい猫だった。だが自身の兄並みに自由気ままを謳歌しているその猫は一度足を止めるものの視線も合わせずに再びスタスタと歩いて行ってしまう。すげない行動は猫の魅力の一つなのだが、モフモフを体感したい竜胆は眉を顰めていた。
「なぁーどうやったらアイツらみたいにオレも猫に囲われる?」
「アイツら?」
不機嫌を隠しもしない竜胆が指差した先。武道もそちらに視線を向けるとベンチに座った女性が猫に囲われていた。膝には二匹の猫が鎮座し、足元やベンチの肩にも猫が座っている。女性はそんな猫の勢いに少々タジタジになっているがそれでも楽しそうに戯れていた。武道は彼女が手にしているものを見つけると「ああ」と独りごちる。
「多分おやつじゃないですか?」
「おやつ?」
「あれです。あのガチャガチャに百円を入れて回すとおやつが入ったカプセルが出てきますよー」
「……オレやってくる」
「はーい」
おやつのガチャガチャに向かった竜胆を送り出し、頼んだドリンクを飲みながら辺りの様子を伺う。これぞ本物のモフモフ。恋人になる前の竜胆に言えるなら言ってやりたい目の前に居る君のペットは癒し要因にはなりませんよーっと。それでもあの出来事があったからこそ竜胆と恋人同士になれた訳なので否定はしない。
「お待たせ♡」
「うわ……猫侍らせて戻ってきた」
数分後、両手に幾つものおやつを乗せた竜胆が何匹もの猫を引き連れて戻ってきた。彼らは目敏いので、ガチャガチャに近付く人間をあらかじめターゲットにしているのだ。まぁ、竜胆もまんざらでも無いので内心嬉しいのだろう。
武道の隣に腰を落ち着かせると、待ってましたというように猫が竜胆の膝に飛び乗る。そしておやつを持っている手に前足を引っ掛けて自分の方へ引き寄せていた。そんな愛くるしい姿にいつもより何割か竜胆の顔も緩くなっている。
「ん……可愛い」
猫と竜胆君……。無意識に合わせそうになっていた両の手を何とか寸前で堪えた。
「見ろよタケミチ!」
「うん、うん見てるよー」
おやつを手の平に乗せ猫に与えている竜胆は何とも幸せそうだ。日頃の労働の疲れも吹き飛んでいる様で武道の作戦通りの展開に一人ほくそ笑む。そして第二ミッション完遂の為にスマートフォンをふわふわ空間に向け動画録画を始めた。
「うわッ……なんだよーオマエも欲しいの?」
「はは! そんなに欲張んなよ! かわいー奴」
「よしよし……なんだテメェ。オレじゃなくておやつの方が良いのかよ」
「……」
何だろう……この胸のモヤモヤ感は……。こちらを他所に猫と戯れる竜胆をスマートフォン越しに眺めながら武道は一人首を傾げる。あれだけ自分の事をペットペットって可愛がっていたくせに、本物の猫にデレデレデレデレ。確かにここに連れてきて猫と戯れて癒されて欲しいと考えたのは紛れもない自分なのだが、なんとなく自分より猫たちが優先されている事が面白くないのだ。武道の世界は狭い。それこそ今は竜胆中心と言っても過言では無い。頻繁に会うのは蘭くらいで、こうして自分では無い何かに夢中で、放ったらかしにされるのは初めてなのだ。
(自分……ちっせー)
経験は少ないが自分の感情がどんなものなのか分からないほど子供でもない。この感情が紛れもない「嫉妬」だという事にはすぐに気が付いた。
「……ブハッ! おいタケミチどーした? 顔がいつもより不細工になってんぞ」
ジトっとした視線を送り続けていた所為か、竜胆が猫から視線を武道に移す。そして盛大に吹き出した。
「う……うるさいですよ! 悪かったですね不細工で!」
ニヤニヤと目を細める竜胆に慌てて録画を止めた武道は更に不貞腐れた様に頬を膨らませる。自身の顔が平々凡々なのは承知している。だがそれを恋人は平凡じゃなく不細工だと宣ってきたのだ。許すまじ。
「悪かったて。怒んなよ」
「怒ってないです!」
丁度おやつが全て無くなったのかあれだけ竜胆に擦り寄っていた猫が一斉に違うターゲットの元へ走り出してしまった為ベンチには武道、竜胆の二人きりになってしまった。
「アイツら現金な奴だな」なんて文句垂れているが、猫との戯れに満足したのかその表情は朝より大分明るい。大変満足した様で何よりである。
撮影の為に少し空けていたスペースが竜胆が詰めてきた事によってピッタリ0距離になった。こちらを伺う彼の表情は嬉々としているので武道の考えている事などお見通しなのだろう。
「オマエ、猫に嫉妬してんの?」
「……してません」
嘘。盛大にしています。それでも、そんな事を表立って言いたくは無い。居た堪れなくて視線を逸らす。だがその行動自体が「嫉妬してます」と自ら暴露している様なもので、こちらの様子を伺う薄紫の双眸が半月に細められた。
「なーに、オマエ可愛いね。オレの事大好きな?」
「なっ……」
肩を抱かれ、耳元で囁かれればたちまち顔を赤らめた武道が竜胆を押しのける。
「何言ってんッスかぁ……もー」
「だって本当の事だろ?」
「まぁ……そーです……けど」
完全に竜胆のペースに乗せられている気がする。認めてしまえば、彼の笑みがより一層深いものになった。
「じゃ、帰ろーぜ」
「えぅ……もう? まだ来たばかりじゃないですか?」
竜胆はベンチから立ち上がり衣服に着いた毛を払い始める。もう帰り支度をする彼に素っ頓狂な声をあげるが振り返った竜胆のうっそりとした表情にこれからする事を理解してしまった武道は思わず「ヒェ」っと小さな悲鳴をあげた。
「んじゃ、オレは可愛い恋人様を甘やかすのに忙しいから帰るぞー」
「……はい」
すっかりいつも通りな竜胆に抵抗は早々に諦め、武道は腰を抱かれ店を後にする。
その光景を目撃していた客の悲鳴が聞こえたとか聞こえなかったとか。
ちなみにこの動画は蘭がこっそりと集めている「可愛いりんちゃんMemories」に納められたのであった。
Fin