「ただいま…」
年越しカウントダウンのイベントが終わって、正月の特番も終わって挨拶も終わった。ここ最近睡眠をとっていない頭はショート寸前だ。
とりあえず、重い鞄をソファの近くに落として、その中の布を手に洗面所へ向かう。手と顔を洗って使い古した布で拭いたら、洗濯機へ放り込む。そばの棚からふわふわに仕上げたタオルを取り出して、置く。二階に上がって、重くのしかかるコートをクローゼットに掛けて、ついでにパジャマを取り出す。なんとなく、ノートパソコンを開いたけど、ブルーライトが眩しくて諦める。
やっとリビングに戻ってソファに座るとそのまま眠気が襲ってくる。
結局、パジャマもパソコンの近くに置きっぱなしにしたことに気づく。真っ黒なテレビに不安を感じてしまうのは職業病か、音の無い空間に違和感がある。
自分でも、ここまで疲れを認識するのは珍しい。自然と身体は横になる。地球の上にいる以上逃れられない重力に全身が引っ張られるのが、鬱陶しい。
今回の反省と次回の備え。水中で息が泡となって上っていくように、当たり前に浮かぶ。もう慣れたものだな、と感心する余裕もなく、只々それを繋ぎ合わせていく。掬い取るようなその作業は全てアイドルの為。そう分かっていても自分の為になることは無いだろうか、と頭をよぎる。
それでも、アイドルの笑顔を見ることが私の幸せだから。
自分の手で輝かせたアイドルを。
今日の瞬く光の足音が耳から入るも、それは脳に届かず、瞼が閉じられた。
「ただいま〜?」
暗い玄関。ありえない。
電灯のスイッチを押して、腕のデジタル時計を覗くと、1月1日22時15分の文字。
そのまま床に鞄を置く。廊下を忍び足して空の洗濯かごに靴下を投げ入れる。薄く明かりをつけて、むりやり引き伸ばした突っ張り棒に掛かる針金ハンガーにコートを被せる。伊達の丸メガネを外して顔を洗う。横に用意されたふわふわのタオルで水分を取り除く。ハンガーの横にそれを上手くぶら下げることに成功すれば、ルーティーンは完成する。
もう一度玄関へ向かい、鞄を回収して、明るいはずだったリビングルームの扉を開いた。
澄み渡る空気の中で、秒針の音だけがいつも通り進む。暖房さえ使わずにいるから外と比べてもあまり変わらない。風は防げているとしても、コートを脱いでしまっていて、自然と鳥肌が立つ。
そんな部屋のソファの上にスーツ姿の同居人を認める。きっと少し前に帰宅してそのまま沈み込んだのだろう。相変わらずのワーカーホリックぶりに思わず嘆息する。床に無造作に置かれたタオルケットを広げて、ゆっくりと乗せた。
こたつとストーブを稼働させてキッチンへ。鬱陶しい明るさから1リットルのペットボトルの水とガラスのコップをふたつと、カラフルな金平糖をぎりぎりで持つ。慎重にまたソファに戻って、そばのテーブルに置く。僅かに残された、端のクッションに腰掛けて、コップに水を移す。
つい先程まで酷使された足は投げ出され、脳は糖分を欲している。なるべく、音を立てないように。そう意識しても金平糖を噛んでしまえば、こり、と部屋中に染み渡る低い音が鳴る。小さなそれは、ついつい手を伸ばしてしまう優しい甘さをプレゼンするだけあって、こんな状態なら止まらない。
気づけば、ひと袋の半分ほどを無心で食べていた。
「んん…スバル、くん?」
「おはよー、あんず」
広めのソファのほとんどを占めていたその華奢な体が起こされる。朝から変わらない服装に窮屈そうな表情を見せる。
「ごめんね、寝ちゃって」
「ううん、これ、飲んで」
水を手渡しながら、腕時計を見ると、もう23時。
さすがに、この暗い中ぼーっとしている訳にもいかない。そう思ってやっと電気をつけた。
眩しそうに、目を細めて、こっちを向いて、微笑む。ありがとう、と。今日も帰ってこれて良かった。
明るくなったのを良いことに、散乱する書類に手が伸ばされる。一箇所に整えて机の上に置くとまだ足りないとばかりにスクラップブックの詰まった本棚へ向かう。
「はい、没収〜☆」
「え?あ、明星くん!」
ずれをなくしたばかりの紙を取り上げてクリアファイルに突っ込む。スクラップの隙間に押し込んで、もう仕事はさせないアピールをとっておきの笑顔と披露する。
「名字じゃなくて名前ね!ス、バ、ル!咄嗟に出なかったのでこれは返しませ〜ん」
「ちょ、ちょっと!」
「はいはい、駄目だよ〜。座って!」
渋々、とまた空気はもとに戻る。
訪れる沈黙は、息苦しいものではなく、不思議と優しさまでも感じ取れてしまう。心地良い。
「ねえ、あんず」
スル、と手にとったコップの中は少しぬるい。
ただのミネラルウォーターもほんのり甘かった。
「なあに」
ぽん、ぽん、ぽん。
三ヶ月前、馴染みのスタッフさんに頂いた、Trickstarの壁掛け時計。五つの小さな光が取り囲む針は頂点で重なり合っている。柔らかい音は様々な音を響かせる。
今、は、始まりの曲『ONLY YOUR STARS』。
脳裏に流れ出すのは、駆け抜けた青春の日々。メロディは五年前の一歩の記憶を呼び起こす。静かな高音のオルゴールはそれを鮮明にするのを手伝っている。
飴色に染まった軌跡の積み重ね。それもきっと共有している。何故なら、触れる指先から感じる熱が同じだから。そこにはまる宝石にさえも、伝わっているから。
「あけましておめでとうございます」
「一日、遅いけどね。おめでとうございます」
静かな後味を残して、また針は進んでいく。
新しい思い出が刻まれていく。
これからも、きっと。
「明日の仕事、どうしよっか」
澄み渡る空気の中で、輝く星はどんなものにも例えられる。不規則で、不自然な、形に。それでも、想う姿を描くために輝き続けるから。だって、輝きたかったんだから。
明けた空に、うっすらと、プレアデス星団が見えた。