カラスが鳴いている。
愉しそうに、悲しそうに、つまらなそうに、それでいて、嘲笑うように。こんなにもちっぽけな自分には広すぎる、地球の上には、俺と兄者とカラスだけ。
この星の人間はとうの昔に死んだ。
俺たち一族は決して死ぬことの出来ない身体で生まれてしまう。だから、人間と同じ時を共有してはならないのだ。どうしても、情が湧いてしまうから。
ずっと、後悔してきた。
「凛月、ちょっとよいか」
「なに」
「また、昔の事でも考えておったのか」
ふたりだけになってから、こいつは昔を想うことにあまり良い顔をしない。兄者に人間と関わらせられたようなものなのに。
「別に。あんたには関係ない」
「早く断ち切るんじゃよ」
「兄者だって、その口調やめられてないじゃん」
「そうじゃな…」
ふたりだけになってから、楽しい話なんてしたことはない。たとえ話題があったとしても、気分は黒いままだから。
「なあ、凛月。我輩、もう逝こうと思う」
ふたりだけになってから、兄者の雰囲気は更に読み取れなくなった。いつかは来ると感じていた瞬間でも、覚悟していたはずの台詞にも、笑って返すことはできなかった。
母のお腹で胎児と同じように生成される液体は、不死身である吸血鬼を殺す役割を持っている。それは生まれるとき、子どもにまとわりついてくる。それを取り除いて小さな瓶に詰める。死にたいときに飲めば、いつでも死ぬことができる。自分の意思で。
俺たち以外の親族はもうそれを飲んでいた。専用の部屋の棚に静かに収まっているそれに、何度、手を伸ばしたことか。蓋を開けたことだってあった。それでも、まだまだ未熟な俺には決断することが出来なかった。世界の人々が、呆気なく消えていって、ここには俺たちだけが残された。苦しくて、無気力にただ眠る日々が続いたときでさえ、飲めなかった。
俺たち一族は、子どもから大人へ身体の成長を完全に終えるとそこから歳を取らなくなる。
みんなが『高齢者』になってから、俺は身を隠した。通信手段も全部捨ててきたから、たまにカラスが運ぶ手紙が外を知る唯一のものだった。先輩から、後輩から、Knightsのみんなから、ま〜くんから、あんずから。沢山届いた。山になるくらい沢山。文字からエネルギーを貰えた。進化した時代には使われないであろう、手書きの文字。
しかしそれは徐々に減り、明るい話題から暗い話題へと変わった。みんなが、死んでいった。
なんで俺は人間じゃないんだろう。思い浮かんで消えることのない疑問。俺が人間だったら、きっと誰にも見てもらえないなんの取り柄もない人間だ。だから、生まれ変わってしまうのが怖い、のかもしれない。
「ねえ、俺には兄者を埋められないから、自分で埋まってよ」
「うむ、それなら、穴を掘ってその中で飲んでみようかのう。そうしたら後は土をかけるだけじゃよ」
「めんどくさい」
「なにをいう。時間はたっぷりあるじゃろう?」
「…………っ」
「あとは、よろしく頼むぞ」
そうして、朔間零は死んだ。
ひときわ目立つ大きな石。それは最後の人間が死んだとき、一族で造ったものだ。その周りには、あの液体を飲んだ仲間の墓。零の墓もそこに作った。沢山の、命が宿る場所。
そこにはピアノを置かせた。
そっと、指を置く。
兄者が、どうやって最後の精算を終えたのか、俺には分からない。淋しそうな目を見てしまったら、受け入れるしか方法がなかった。
知っている曲でとびきり難しい運指。低音から高音へ行ったり来たり、それしか考えられなくなるくらい大胆に。
静かな世界に、響いていく。
みんな、いずれ死ぬ。
そんなことは、はじめから理解っていたことだった。だから、人と関わらないように努めていた。
あの時までは。
ま〜くんは、無愛想な俺にもかまってくれた。兄者を追いかけるように、人に愛されなければならない、アイドルになった。Knightsの五人での活動が楽しく思えた。打ち込める物のある日々が続くと勘違いするほどに。
仲間たちとの日々が俺を変えた。
成長が止まった頃には、不審に思われないように芸能界を去ろうとした。
でも。それなのに。
「リッツはおれたちの仲間だ!!抜け駆けは許さないぞっ!」
「一緒にやるって、決めたでしょぉ?」
「アタシが完璧なメーキャップを施してあげる♪」
「凛月先輩がいなくては、我らは完成しません」
「お前はそれでいいのか、凛月」
「凛月くんは、私の大切な人だよ。ずっとそばにいて、ね?」
なんで人間という生き物は、こうなんだろう。
俺には、人間が分からないよ。人間として、生きようとしていたのに。
「我輩はな、馬鹿みたいな人間だからこそ、それを愛したんじゃよ」
誰もいない、一人だけの世界で、俺だけが音を発する。
どうしても、くだらなくて、重くのしかかることを頭が呼び起こす。
「ねえ、あんず。みんながアイドルじゃなくなったらどうするの?」
この森に籠もる前、最後に交わしたあんずとの会話。自分でも、何の意味があるのか分からない質問に、こう即答した。
「私はいつまでも『プロデューサー』だよ」
この意味がずっと、わからなかった。アイドルがいなくなったら、プロデューサーだってなくなってしまう。それは必然のことだ。
でも、今。ひとりになった今。
理解ったように思う。
だからこそ。
ごめん、みんな。まだそっちに逝けそうにないや。