社畜俺超有能夫得幸福天天③ 魏無羨と藍忘機は、姑蘇藍氏の座学で出会い、岐山温氏との戦いを経て一度はその運命を別たれてしまった。その後十三年の日々を過ごした後、再び二人は運命の出会いを果たす。それからも様々なことがあったが、観音廟での一件の後、正式に道侶となる誓いを交わし、その後は雲深不知処で半隠居状態の日々を送っていた。
世家との外交は藍啓仁と閉関を終えた藍曦臣に任せ、困りごとを解決するのは藍思追と藍景儀を中心とした門弟たちに任せ、忘羨は気の向くまま、彼らに手を貸したり、遊歴に出掛けたり、夜狩に出たりする暮らしをしていたのだ。
そうして、何年もの時が過ぎたが、いくら彼らが双修に励もうと、修行を重ねようと、魏無羨が結丹を果たせないまま病に倒れてしまった。
魏無羨は確かに歳を重ねていたが、修行の成果がある程度あったためまだ若々しく、門弟の誰もが彼の病をただの風邪だと思っていた。魏無羨自身も変な風邪だとは思っていたが、身体は動くのでいつも通り夜狩の指導をしたり、少々息苦しくなることがあっても好きで笛を吹いたりしていた。藍忘機は医者を呼ぶことを何度か言ったが、魏無羨はやんわりとそれを断っていた。しかし彼の空咳は長引き、丹薬を飲ませても微熱を繰り返すようになったところで医者を頼ることになった。
「残念ながら、この病は今の医術では治せません。もし仙侶様のお命を永らえたければ、雲深不知処の外に出さないように。それから、只人にはうつる病ですので、くれぐれも修行の浅い者を近付けぬようにしてください」
藍忘機が説明を受けたことは、魏無羨の命のともしびは段々と弱まっていくということだったのだ。藍忘機はそれを聞いたとき、ただ目を閉じて深呼吸をしただけのように見えたが、その拳は血が出そうなほど固く握られていた。
藍忘機は魏無羨に安静にして養生するように努めるように話した。魏無羨は数日は藍忘機の言うとおりに過ごしていたが、次第に違和感を覚えた。
「なあ藍湛。どうして俺の世話をお前がずっと焼いているんだ? 仕事が溜まっているだろ? この咳はいつまで経ってもあまりよくならないけど、俺は元気だよ?」
「退屈か?」
「治らないから仕方ないのは分かってる。でも、莫玄羽の身体は本当に弱すぎるよ」
藍忘機は何か言おうとしたが、思いつくのは「すまない」「申し訳ない」といった、魏無羨との間で言わないことにしている言葉ばかりだった。しかし、魏無羨がぽつりと、
「――藍湛、お前にいっぱい無理させてごめんな」
と言ったので、彼ははっとした表情で魏無羨の方を見てしまった。
「君と私の間に、その言葉は不要だ」
「ハハハ、でもさ、藍湛。俺が結丹できてればって思ったら、やっぱり謝りたいよ」
「ならば、私も君に謝らなければいけない」
「ハハッ、品行方正、公明正大の含光君が邪知暴虐の化身の夷陵老祖に謝らなきゃいけないようなことって何だ?」
魏無羨は藍忘機の白い頬に手を伸ばして笑った。
「――藍湛、俺が病になってから、お前はすっかり笑わなくなっちゃったな」
「魏嬰、私は、……、君に謝らなければいけない」
「泣くなよ。――俺の病は、もう治る見込みが無いんだろ?」
「…………なぜ」
「なぜって、俺の身体のことだ。お前や医者が分かって、俺が分からないことがあってたまるかよ」
魏無羨は全てを飲み込み、それでも朗らかに笑った。
「――なあ、藍湛。笑ってよ。――俺は、最近朝から晩まで忙しかったお前と四六時中一緒に過ごせて、この暮らしも悪くないと思ってるんだから」
魏無羨の病はしばらくの間、決して良くはならないが、急激に悪くなることもなかった。しかし、ある時魏無羨が激しく咳込み、そこに血痰が混じってからは、短期間の間にすっかり痩せてしまって発熱に苦しむことが多くなった。藍忘機は魏無羨が呼べば声をかけ、彼ができる限り苦しまないように身体を冷やしてやり、霊力を与えた。
「藍湛、……苦しいよ。胸がすごく痛い」
「うん。痛くないようにする」
「ずっと手を握ってて」
「うん。握ってる」
魏無羨が苦しいとき、辛いとき、痛いとき、藍忘機はずっと傍らで魏無羨を励まし続けてくれた。けれども、それから数日の後、魏無羨は亡くなってしまった。
藍忘機は、魏無羨が亡くなった後に閉関し、魏無羨の菩提を弔いつつ、数十年後に長い長い生涯を終えた。彼の葬儀は姑蘇藍氏らしい極めて質素なものであったが、多くの参列者が世家から訪れたという。
「――以上だ」
藍忘機が告げると、魏無羨はおぼろげながらも前世の記憶を少しずつ思い出した。
「俺は、……お前を随分長い間ひとりにさせたんだな」
藍忘機は首を振った。
「私は、君と長い時間を二人で過ごし、幸せな生涯を終えた」
魏無羨はそう言われると少し気恥ずかしくなり、何も言えなくなってしまった。心がじわりと温かくなって、口元が油断すると緩んでしまいそうになる。
「折角また会えたんだ。よろしくな、藍湛」
「うん」
それから一週間、魏無羨は穏やかな日々を過ごした。藍忘機は起きるのが早いので、身体の上からそっと降ろしてもらい、藍忘機が仕事に行く少し前に起きて朝食を食べる。藍忘機がいない間は読書やインターネットをして過ごし、藍忘機が一日だけ休みだった時には藍忘機の車で博物館に出掛けた。博物館では『仙門世家とその時代』と題した展示が行われていたが、自分たちがよく知っている誰かの剣や刀、それから鞭なんかは後の世に描かれた絵での紹介だった。唯一『忘羨』(個人蔵)という曲譜が展示されており、「姑蘇藍氏は音律を修める一門として有名であった。本品は、姑蘇藍氏の秘曲中の秘曲とされるが詳細は不明。」と紹介されていた。
「あれ、この曲ってさ、お前がよく弾いてくれたやつだよな?」
「うん。展示で家から貸し出したものだ」
藍忘機が小声で言うと、魏無羨は思わずぷっと吹き出した。しかしすぐ、魏無羨は何かを考えている様子に戻ったので、藍忘機は尋ねた。
「どうした?」
昔のものを見ると体調が悪くなる人がたまにいるから、藍忘機は魏無羨も気分が悪くなってしまったのかと思って展示室の隅の椅子に座るよう促したが、魏無羨は「大丈夫だよ」と言った。
「――それよりさ、どんな曲だったっけ。すごく大切な曲だったのに、まだ思い出せないや……」
藍忘機は魏無羨の肩をポンポンと叩いた。
「魏嬰、昔のことを無理に思い出す必要はない」
「うん。…………」
「会期が終わったら見せる」
「ハハハ、それまでに思い出せるように頑張るよ」
そして、魏無羨はこの一週間、夜は当然のように藍忘機の身体の上で寝ていた。魏無羨は一度そこで寝てから、決して寝心地の良いとはいえないであろうその場所が自分にとって妙にしっくりきて、藍忘機も断ってこないのでそこで寝ることを選んだのだった。この姿勢だと、どういうわけかぐっすり眠れて、次の日に藍忘機が仕事へ出かけても、一日落ち着いて過ごせるのだ。そして、藍忘機はいつも夕方の五時半過ぎには帰ってきて、魏無羨に料理を作ってくれた。出会った頃、何も言っていないのに魏無羨の好物ばかりが並んでいたのは、きっと前世の自分のことを覚えていたからだと魏無羨は思っている。
「藍湛、お前が俺の好物を知ってるのは、お前が前世のことを覚えていたからなの?」
「思い出したきっかけは君で、今まで見かけると買っていた調味料だが使っていなかった」
藍忘機は、よく覚えていないが何となく必要に駆られて、魏無羨の好きな辛い調味料を賞味期限が切れる度に買い直していたらしい。
「ハハハハ、相変わらず辛いものは好きじゃないんだな」
「君の作ったものなら食べる」
魏無羨はそう言われて、ムクムクと喜びが込み上げて、藍忘機のことを呼び、愛を叫びたくなった。けれどもすぐに彼が今の世ではまだ「前世の記憶を持つ親切な他人」であることを思い出して、大げさに上げようとしていた両手を下ろし、食事に戻った。
もう一週間、魏無羨は藍忘機にすごく良くしてもらっている。
魏無羨は、養子ということもあって、借り物もらいものでの暮らしに遠慮もあった。もちろん江家はよくしてくれていたが、それはあくまでも魏無羨が江夫妻の言いつけを守ってきたからに他ならない。尤も、学生時代ははじけすぎて、こっぴどく怒られることもあったけれど、それも怒られて済む程度のことだったし、魏無羨の過失が百のことはなかった。ようやく自立してからは自由を手に入れたけれど、孤独を感じることが増えていたし、認めたくはないが心をかなり蝕まれていたように思われた。仕事をして稼いだ金でそれを埋めようとしても、なにも埋まらないと分かってからは、金は貯まる一方だった。好意を向けてくる人に、自分の誠実さや愛を伝えようとは思えなかった。
藍忘機と出会ってからは、なぜかそんな日々ががらりと一変し、ほんのひと月ばかりの間に不思議なことが何度も起こった。彼は魏無羨に朝食を作り、魏無羨がいる部屋をきれいに保ち、魏無羨が退屈しないようにしてくれて、魏無羨が好きなものを何でも用意してくれた。魏無羨はそのお蔭で健康を取り戻しただけでなく、いつも崖の縁に立っているような状態から抜け出せた気分になった。
藍忘機は無私の人で、魏無羨には何も求めてこない。けれども、魏無羨は藍忘機に何かしたいと思って仕方なかった。でも、何をしたら喜んでくれるのか全く分からなくて、内心で途方に暮れた。
「もういいのか?」
「うん、いっぱい食べたよ。残った分は明日食べよう」
「分かった」
魏無羨は、夢に見た前世の日々のように、藍忘機とずっと一緒にいたいと思った。けれども今の世では、藍忘機は名家のお坊ちゃんであるだけでなく、有名企業を率いる社長でもある。魏無羨は藍忘機にこれからのことを聞きたいと思ったが、聞いてしまったことで今の幸せな暮らしが崩れてしまうことを考えたくなかった。
風呂に入って藍忘機と同じシャンプーで髪を洗い、藍忘機の上で寝るのがすっかり当たり前になっても、魏無羨は新たな種類の不安が大きくなるのを感じて、この日はあまりよく眠れなかった。
翌日、魏無羨は藍忘機の家から出勤した。彼の家の鍵を持たされ、当然のように帰宅時刻を伝える。出勤時間が違うため、魏無羨は藍忘機に教えてもらった駅までの道を歩き、地下鉄で見慣れた職場に出社した。
「ああ、お久しぶりです! 魏先輩!」
仕事はオンラインで進められることを少しずつやり、チームの面々とは時折打ち合わせていたので、一週間休んでいてもさほど影響はなかった。彼が久しぶりに来た机の上のお菓子の差し入れの山を見て苦笑しつつ、プロジェクトの進捗と成果を確認して山ほどのメールを返すと、午前中の業務はあっという間に終わった。
「昼行きましょうよ」
久しぶりに後輩に誘われて、昼食に出掛ける。魏無羨は後輩数人と大好きな蘭州麺の店に久しぶりに顔を出して、店主と軽く世間話をし、少し肉を多めにしてもらった麺を食べてオフィスに戻った。その途中、すれ違った社員たちから奇妙な話が耳に入った。
「なあ、部長が娘の見合いを申し込んだの知ってるか?」
「ああ! 藍グループの宗家だろ?」
魏無羨は急に足を止め、サッと体温が下がったような気分になった。
藍忘機が見合い。相手は、うちの次期取締役の筆頭。
頭が真っ白になり、それからの話は、よく聴こえなかった。
「でも藍忘機はもう十回以上断ってるらしいぞ」
「部長の娘を?! 俺一回見たことあるけど才色兼備じゃないか。あの家資産家だし、お似合いじゃないのか?」
「先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、うん……一瞬店にスマホ置いてきたかと思ったんだ」
「ハハハ、手に持ってるじゃないですか」
魏無羨は何とかデスクに戻ったが仕事はあまり手につかず、こっそり社内の人事公募を見て北京の本社の空席を見つけて応募することにした。給料も上がるし業務は今以上に忙しくなりそうだ。
藍忘機も人の子なのだ、見合いの一つや二つあるだろうし、藍グループを存続させるためならきっと現世の幸せを望むだろう。魏無羨は、これは仕方がないことだと思おうとした。しかし、藍忘機が自分に言ってくれなかったことだけは残念で、せめて「水臭いな、お前の浮いた話だって聞いておきたい。北京に行くのの土産話になるしな」と言ってやりたくなった。
魏無羨が社内ネットワーク経由で応募すると、すぐに担当者から明日面談したいというメッセージが届いた。魏無羨はいつでも空いているので好きな時間に呼ぶよう返事を打つと、最低限の仕事をして定時に退社した。藍忘機の家に帰るのは非常に足が重かったが、折角なら今まで買ってもらった服や生活用品を持って帰ろうと思ったのだ。
藍忘機が帰宅すると、魏無羨が荷物をまとめていた。
「魏嬰、どこへ?」
「どこって、もう出ていくよ。お前、結婚するんだろ?」
藍忘機の表情は無表情からすぐに怒りの色を帯びた。魏無羨は何でお前が怒るんだと尋ねた。
「俺は北京に転勤することにした。お前が男と一週間でも一緒に住んでたとなれば、先方が何て言ってくるか分からないだろ? だからさ、こういうことは早く言えよ。大事なことじゃないか。水臭いな」
「――魏嬰」
「何っ、――!!」
藍忘機は自分の荷物を乱雑に放り投げると、床の絨毯の上で座って荷物を整理していた魏無羨を押し倒した。
「…………っ」
「藍湛、ど、どうしたんだ…………? だってお前、本当は俺がいたら迷惑なんだろ……? 大丈夫だよ、一人で生きるのは慣れてる。俺は前、……いや、前々世で乱葬崗でも暮らしたんだぞ!」
「君は、どうしてそんなことをするんだ!」
「どうしてって、お前は結婚するのに他人とも一緒に住むのか!? そっちのほうがどうして!」
「そんな話はひと月前に断った!! でたらめだ!」
藍忘機は、魏無羨の腕を押さえつけると、強引に彼の唇に自身の唇を重ねた。噛みつくように貪られ、魏無羨は訳が分からないまま涙が出てくるのを感じた。藍忘機のことが、酷く恐ろしく獰猛な獣のように思えて、すごく心地の良いキスなのにそれに溺れてはいけないと全身が魏無羨に告げている。
「…………っ、んんっ……や、やめてよ…………っ」
魏無羨がようやくそう言えたとき、藍忘機はやっと我を取り戻したらしく、彼は青ざめた表情で魏無羨から離れた。
「…………私は、私は…………君のことを…………」
藍忘機が我を失っていたことは魏無羨にも分かっていたので、彼は藍忘機を傷つけないように話した。
「藍湛、俺がお前を怒らせちゃったのは分かる。俺が早とちりして、勝手に出ていくとか騒いだら吃驚するよな? ――ちょっと、頭冷やしてくる…………。その、お前は、悪くないから…………。俺がお前に嫌な話を思い出させちゃっただけだ。ごめん」
魏無羨は財布とスマートフォンを持って、茫然とする藍忘機を置いてふらふらと家を出た。行き先は思いつかない。何も持たないで会社に行けば怪しまれるだろうし、地下鉄には乗ったが、窓ガラスに映る顔はよく見ると酷いありさまだ。目は充血して涙の跡があり、唇はさっき怒りに我を失った藍忘機口づけされて赤く腫れぼったくなっている。彼はひとまず会社の最寄り駅で地下鉄を降りた。急に心にぽっかりと穴が開いて、身体が寒くなってきた気がした。単に夜なのに上着を着てこなかったせいなのだが、それ以上に寂しさが襲ってきて、魏無羨はどうしたらいいか分からなくなった。
「そうだ、酒でも飲むか」
魏無羨はとりあえずふらふらと暫くご無沙汰だったコンビニに立ち寄ると、暫く飲んでいなかったアルコール度数の高い酎ハイの缶をカゴに入るだけ入れた。そして、肉まんと唐揚げを買い、公園に向かう。夜のプリン山は魏無羨を待ちわびていたようで、彼は裏手の階段を悠々と登り、酒の缶を開けた。
「俺、ここに住もうかな。ハハハハハ…………」
久しぶりに喉に流し込んだ酒はひどい味がした。化学調味料で出来た柑橘系の味に、ほんの少しだけ含まれた果汁の気配は全く感じられない。少しの爽やかさに、たくさんの甘ったるさ。それは、まるで自分が随分長い幸せな夢を見ていたような心地を一気に現実に引き戻す味だった。魏無羨の目には涙が溜まり、それどころか雨がぽつぽつと降ってきた。
魏無羨は藍忘機が結婚を断ったことに安堵していたが、同時に今の世でも彼を縛っていいのか全く分からなかった。それに、藍忘機は本当に縁談の話を聞きたくなかったのだろう。魏無羨は自分が藍忘機を怒らせてしまったせいで、彼にとんでもないことをさせて傷つけてしまったと思っていた。
「俺が何にも言わなければ、ずっと藍湛と友だちで暮らせたのかな……。俺は藍湛と一緒にいれたら良かったんだから、どうして怒らせて、あんなことをさせてしまったんだろう……」
そこで魏無羨は、自分が本当は、前世のように藍忘機と仲睦まじく暮らしたかったのだということを改めて思い知り、落胆した。藍忘機の親切心につけ上がり、前世での日々のように彼が自分を幸せにしてくれるのだろうと思い込んでいた。好きな人にキスをされるのは嫌なことではなかったはずなのに、藍忘機の気持ちが分からなくて拒絶してしまった。
雨は次第に無視できないものになってきて、魏無羨は空き缶の山に囲まれながら途方に暮れた。酒を飲んでいた時は体温が上がっていたが、今はもうだいぶ冷たくなってきて、酔っているせいもあってすごく寒い。魏無羨は居心地の良かったプリン山から天候を理由に追い出されることを余儀なくされた。雨粒がぶつかって様々な音を奏でていた空き缶を回収し、指先にゴミ袋を提げてよろよろ立ち上がる。彼は足を一歩進めようとして、プリン山の縁にその足を滑らせてしまった。
魏無羨はうっすらぼんやりと、「あ、死んだな」と思った。
重力に身を任せ、身体のことは衝撃に任せるしかないと思った。もう寒くて、全然いうことを聞かないし、酷く酔っているのか意識も飛びそうだ。
その時、誰かが叫んでいるのが聞こえた。いつまで経っても魏無羨は衝撃を感じず、何があったのかと目を開けた。ひょっとすると、ここはあの世なのかもしれない。
「魏嬰」
「藍湛? 俺、死んだ?」
藍忘機は首を振った。魏無羨が目を向けると、藍忘機は途中まで傘を差していたらしいが、それを投げ捨てて魏無羨を助けてくれたらしい。魏無羨は、いつかのように藍忘機に横抱きにされていた。
「家へ帰ろう」
藍忘機は一言だけ言った。けれども、魏無羨はそれだけで心が温かくなって、同時にきゅっと寂しくなりよくわからなくなった。
「藍湛、俺、…………」
「帰ったら聞こう」
そう言われたが、魏無羨は道路に藍忘機の車のライトを見つけて、車の中であれこれ考えるよりも今すぐに言いたいと思った。
「いや、ダメだ。今聞いてよ。これは酔って言ってるわけじゃないからな? ――あのさ、俺、あの時お前にキスされて、嬉しかったんだ! 本当はお前のことが好きで、ああ、前世とか関係なく、今の俺がお前と一緒にいたいんだ! 俺は、お前とヤりたいって思ってる。そのくらい本気で、お前が好きなんだ。だから、お前とは友だちでいられない。家に帰ろうって言ってくれたけど、お前が俺のことをそういう意味で好きじゃなかったら、ここに置いて帰ってよ」
「…………魏嬰、君は、本当に…………?」
藍忘機は、魏無羨がこの雨の中で何を言い出したのかと思っているのか、それとも酔っているのかと思っているらしい。本気で、ゆっくり、きちんと言わなければならないと魏無羨は感じて、もう一度藍忘機に言った。
「そうだよ。俺の告白は前世も今も全く格好がつかないけど、これはお前へのからかいとか、感謝とかそういうのじゃないんだ。とにかく、他の余計なしがらみなんてどうでもいい。本当にお前とヤりたい。あんなキスじゃ足りないよ。お前以外誰も欲しくない。お前じゃなきゃダメなんだ。お前が俺にしたいことなら、なんでもしていい。思う存分好きにしてよ。全部嬉しいんだから」
藍忘機は抱いている魏無羨を見つめて暫く茫然としていたが、ゆっくりと口を開いた。
「私は、…………君を、好いている…………」
「うん!」
「君を愛している」
「うん!」
「君が欲しい…………君から離れられない……君以外誰も欲しくない……君でないと駄目だ!」
藍忘機は、魏無羨を抱きしめると、魏無羨も藍忘機の首元に腕を回した。
心臓の音が重なり、二人は降り続く雨も構わずキスをした。それは深い口づけに変わり、魏無羨も藍忘機も、ずっと忘れていた大事な何かを全て思い出したような気持になった。
「家へ帰ろう」
「うん」
二人ともずぶ濡れで藍忘機の車に乗りこみ、車の中に藍忘機が入れていたタオルで何とか顔と頭を拭いた。
「藍湛。家に帰ったら、久しぶりに一緒に風呂に入ろうか?」
「君の酔い覚ましが先だ」
そう言った藍忘機の口調はとても柔らかく、少しだけ微笑み混じりの横顔が見えた。彼の耳は赤く、魏無羨はすごく嬉しくなった。藍忘機も気分が良いのか、珍しくカーオーディオをつけて曲を流した。
魏無羨は、どうして今までずっとこの曲を忘れていたのだろうと思った。
「ねえ、この曲…………」
「思い出したのか?」
「うん! 『忘羨』だろ? 思い出した!」
藍忘機は「そうか」と短く言うと、少しだけ音量を上げた。美しいピアノの音色が雨音を撫でるようにやさしく響いた。
「藍湛、これは誰が録音したの?」
「…………私だ」
「へえ、藍湛。お前今はピアノを弾くのか。ハハ、俺、今笛を吹いたらちょっとは上手く弾けるのかな」
「今度、試してみよう」
信号待ちでそんな言葉を交わし、魏無羨は藍忘機を見つめた。藍忘機も、信号が変わるまでずっと魏無羨から目が離せなかった。
(社畜俺超有能夫得幸福天天④へつづく)