コインランドリーの恋②「やあ、山姥切くん。また会ったな」
翌週の金曜日、二十二時半。
山姥切がコインランドリーに行くと、にっこりと笑顔で親しげに声をかけてくる三日月がいた。
その両手には先週の何倍も多い量の洗濯物がある。
名指しで声をかけられてしまった山姥切は思わず動きを止めてしまった。
かろうじて声を出し、状況を理解しようとする。
「な、なにしてるんだ……」
「聞いてくれ。どうやら俺はここの洗濯機にとことん嫌われているらしい。先週教わったとおりに利用してみたのだが、蓋は閉まらなくなるわ、水は止まらなくなるわ、端末にエラーが出て決済はできないわ……まあ散々でな!」
表情をこわばらせる山姥切の前で三日月は先週己の身に起こったコインランドリーでの惨事を語り、声を上げて笑った。
それから改めて山姥切へにこりと笑みを浮かべる。
「だからおぬしにまた手伝ってもらいたいと思って毎日ここで待っておったのだ」
「は、はあ……?」
どういう理屈だ、別に俺じゃなくてもほかの客に聞けば…と思いつつ山姥切は逃げ場を探して店内を見回したが、自分のほかの客は三日月だけだ。
つまり、貸切状態だった。
だからこそ山姥切はあえてこの曜日、時間を狙って利用していたのだが、いまのこの現状には全くありがたくない。
というか、本当にこの三日月という男に妙な懐かれ方をされてしまった。
先週、彼が務める先の社長の名刺を渡され、洗濯物ができあがるまでのわずかな時間に建築関連の話をしたが、この三日月という男はきちんと知識を持って実践、実績を積んでいる人間であると、学生である自分が感じるほど素晴らしい人だと山姥切は思った。
むしろ、叶うなら建築に関しても不動産に関しても、もっと話を聞きたいと思う。
しかし、それとこれとは別だ。
身になる話と変人を相手にするのを天秤にかけるのはリスクが大き過ぎはしないだろうか。
山姥切は内心冷や汗を浮かべ口の端をひくひくとさせながら、さりげなく一番近場の洗濯機に洗濯物を放り込む。
手早く蓋を閉めて端末を操作し、用意していたスマホアプリで決済をしてどうにかこの場から離れたいと思った。
思ったのだが、ふと三日月を見てしまえば彼は山姥切のことをまだにこにことした笑みを浮かべて見ており、山姥切が自分のことなど見捨てていくはずがないと、必ず手伝ってくれることを前提として待っている。
そしてその足元に置かれているのはカゴに入れられ山を成した洗濯物。
「う、うぐ……」
人とは関わりを持ちたくないというのにお人好しである心根の優しい青年の気持ちがぐらつく。
「っ、こ……」
「……うむ?」
「今回だけだからなっ……!」
拳を握りしめてそう言い放った山姥切は隣の洗濯機の蓋を開けると三日月に洗濯物を入れさせた。
この宣言がものの十数分後にはなかったことになるとも知らずに。
「いやあ、先週に引き続きすまんな。とても助かった、ありがとう」
「……はあ。べ、別に……」
ゴウンゴウンと音を鳴らし洗濯物を回し始める洗濯機の前で、三日月は二台分の領収書をシャツのポケットに入れながら礼を述べた。
山姥切はふいと顔を逸らし、自分の洗濯物ができあがるまでまた勉強をしようとカバンから参考書を取り出して、腰かけたベンチに持参したステンレスマグを置く。
そうすると、三日月もなぜか山姥切のあとをついて来てベンチの前に立つ。
あまり関わりを持ちたくないと思いつつ、しかし目の前に立たれては気になってしまい山姥切はそろりと活字から目を上げた。
途端に、にこりとほほ笑む目と目が合ってしまい、山姥切は咄嗟に参考書を持ち上げて視線を遮る。
そんな失礼な様子も三日月は気にしていないようで、ふと思い出したように声をかけた。
「そうだ。山姥切くん、腹は空いておらんか?」
「え、は、腹……?」
「手伝ってくれた礼に飯でも甘味でも酒でもなんでも奢ろう。この時間なら居酒屋かどこかはまだ開いておるだろう?」
ご飯。
その言葉に誘われるように、山姥切の目が再び三日月を向く。
自分でも現金だと思った。
思ったのだが、学生という身分ゆえに自由に使えるお金はそんなにない。
その上、先日急に教授が教材を増やしてきたせいで財布の中身がピンチだった。
バイトはしているが月末までまとまったお金は入らない。
かろうじて家賃や電気代などと合わせて洗濯をする分のお金は取り分けてあるので平気だが、食費がごっそりと削られた。
健全な男子大学生の山姥切は食べることが好きだし、それがおいしいものなら、なおさら好きだ。
じっ、と三日月を見てしまえば彼は小首をかしげる。
「ん? どうする? 和食、洋食、中華、なんでもいいが、この近くに店はあったかなあ」
「……ここから駅に向かう途中にラーメン屋がある」
ぼそりとつぶやくように言うと三日月はにっこり笑ってうなずいた。
「うむ。ではそこへ行こう」
ふーっ、ふーっ、はぐっはふはふっ、ずる、ずるるるっ、もぐもぐもぐ…ごくん。
「……山姥切くんはよく食うなあ」
あっという間に具材マシマシ大盛りとんこつラーメンの替え玉まで食べきった山姥切を見て三日月は感心したようにしみじみと言う。
コインランドリーの裏手にある道を少し行ったところにあるラーメン屋。
二人はそこに来ていた。
三日月の前には醤油ラーメンがあり、中身がようやくなくなりそうだ。
山姥切はスープをひと口、それから別で頼んでいた餃子もひょいひょいと腹に収める。
ひととおり食べ終えるときちんと手を合わせてご馳走様をつぶやいたのち、山姥切はむず痒そうに眉を寄せた。
「その、山姥切でいい……。くんって呼ばれるとなんかこう、慣れていなくてゾゾッとする……」
そう言いながら身を震わせる山姥切に三日月は最後の麺をすすってから笑う。
「おおっそうか。では山姥切」
「な、なんだ……」
改めて名前を呼ばれ、山姥切は身を固くした。
もしや食べ過ぎただろうか。
三日月が勧めてくれたとはいえ、トッピングの増量に、替え玉、それから餃子を二皿も頼んで、実はこのあとに食後の杏仁豆腐も運ばれてくる。
いまから自分の分は自分で払えと言われても、とても困るのだが。
財布の中にいくらあっただろうか、と考えていれば三日月が口を開いた。
「週に三回、いや二回でもよいから俺の洗濯の監督をしてくれぬか?」
「……は?」
「いやあ、一人でコインランドリーも利用できないとは情けないが、このまま利用を続けて洗濯機を壊してしまったら、おぬしを含むほかの利用者に迷惑がかかるだろう?」
「は、はあ……」
まあ、たしかにコインランドリーが使えなくなるのは困るのだが。
「報酬は、そうだな……。洗濯、乾燥が終わるまで飯を奢りつつおぬしの勉強を見る、でどうかな? 割のよすぎる短期バイトだと思ってくれれば……ああでも、俺の手伝いをしてくれるのは今回だけだと……」
「やる」
即答だった。
むしろ食い気味に返事をしてしまったところへデザートの杏仁豆腐が出される。
おいしいものに目がない山姥切だ。
もし犯罪的なことをされそうになったら三条グループに訴えてやると思いつつ、山姥切は杏仁豆腐を手に意気込んだ。
「いやしかし、おぬし先ほど『今回だけだからな』と言っておっただろう?」
目を丸くした三日月が驚いたように山姥切を見る。
そう言われて少し前の己の言葉を思い出し、山姥切はもごついた。
たしかに自分は今回だけと言ってしまった。
しかし、こんなおいしい話をみすみす逃すわけにはいかない。
「っ、て、撤回する……。今後もあんたの洗濯の手伝いをさせてくれ」
苦い顔をして訂正を口にする山姥切の姿を三日月は上機嫌で眺めて笑う。
「そうかそうか! 受けてもらえてよかった。では、今月いっぱいだけだが、よろしく頼む」
「こちらこそ……」
「そうさな。金曜日以外は一日二日ほど日を開けてくれればおぬしの都合のよい日で構わん」
そう言うと三日月はスマホを取り出し、メッセージアプリを開いた。
「連絡先を交換してくれ。これで山姥切が来てくれる日時を教えてくれればよい」
「あ、ああ。そんな適当でいいのか?」
山姥切もスマホを出して同じアプリを開く。
「昼は仕事をしているし、おぬしも学業があるだろう? 夕方夜くらいであればいつでもよいのだ」
友達追加をするとさっそく三日月から頭を下げる黒猫のスタンプが送られてきた。
山姥切は杏仁豆腐を食べていた手を止めて自分も同じようにスタンプを送り返す。
アプリ内でのやり取りに三日月がくすりと笑みをこぼし、スマホをしまった。
「さ、時は金なり。腹が満たされたようなら、さっそく勉強をしようか」
金曜日 二十二時 四十七分
こうして山姥切は割のよい短期バイトと臨時の家庭教師をゲットした。