末っ子まんばと神域三日月この本丸の山姥切国広は顕現するのが遅かった。
具体的にどれくらい遅かったのかというと、なかなか顕現しづらいとされている山姥切国広の本歌である山姥切長義よりも後に顕現されたほどなのだ。こういった理由で『山姥切』の名で呼ばれているのは、希望通り本歌の山姥切長義が呼ばれ、山姥切国広は『切国』と呼ばれていた。
そんな『切国』は今日も審神者の命によりせっせと畑仕事に勤しんでいた。
「今の本丸はいろいろな刀剣を育てる余裕がないんだ。切国には悪いんだけどしばらくの間我慢してほしい。出陣しない間は本丸の畑仕事を頼みたい」
顕現したばかりの時、そう言って審神者から頭を下げられた。来たばかりの切国にとって、そうやって真摯に対応してくれる審神者の頼みを断る理由はない。もちろん、本質は刀剣なので戦うことは好きだ。でも、戦いに出られないからといって死ぬわけではないし、審神者のしばらくという言葉からそのうち戦場に出られるのだろうと思っている。本丸の刀剣男士たちの活躍を見ていれば日頃、審神者たちがどれだけ頑張っているか理解しているつもりだ。
「分かった。俺の力が必要になったら言ってくれ」
審神者にそう一言だけ返してから、日々命じられた畑仕事を黙々とこなしている。しかし、畑を耕しながらふと、ある不安が頭の隅をかすめていく。数々の名剣、名刀といわれる刀剣男子たちの中で自分の存在は意味があるのだろうか。話すことは苦手で誰かを元気づけたり、笑わせたりすることもあまり得意ではない。戦力としても練度も低く、役に立てそうにない。本丸内で役立ちたくても、手伝い程度ならできるが料理が得意というわけでも、手先が器用というわけでもない。
何より、ここには本歌である山姥切長義がいる。写しである自分は本当に必要なのだろうか。審神者やほかの仲間たちの負担になって迷惑をかけているのではないかと思ってしまう。ずぶずぶと沼のように引きずり込まれていく暗い考えが巡り、これではダメだと頭をブンブンふって振りほどき、切国はその思考に蓋をする。
「暫く待ってくれ」と審神者は言ったのだ。その時までしばらく待つしかない。それまでは、まず自分にできることをしよう。手の中にある鍬をもう一度ぐっと握り直し、今までの思考を振り払うように思い切り地面に向けて突き刺すのだった。
***
そうやって内番を日々こなしていたある日、審神者の命によりついに切国が出陣することになった。同行する仲間たちは経験豊富な刀剣男子たちだ。切国にとっては待ちに待った出陣だった。少しでも仲間たちの役に立とうと気合を入れる。しかし、切国にとって初めての戦闘、他の刀剣男子たちが次々と敵を倒していく中、思ったようにうまく戦うことができない。
「くっ…」
初めての戦闘に苦戦し、負傷しながらであるが、他の仲間に助けられながら敵を倒し、無事に任務を終えることができた。だが、切国の表情は曇っていた。
初めての実戦だからはいえ、自分は他の仲間たちの足を引っ張っている。戦場でも迷惑をかけてしまっているという思考が脳裏をかすめる。
「…俺なんて、いなければ」
顔を俯かせ、共に出陣している仲間たちに聞こえないように小さくぽつりと呟く。
「では、俺のところに来るか?」
「は…?」
突然、この戦場にはふさわしくない低く、優しげな声に驚いて、はっとして切国が顔を上げて振り返ると、そこは先程までいた戦場の跡など影も形もなくなっていた。代わりに自分が立っていたのは、立派な日本邸宅の前であった。その邸宅の前には微笑みながら立っている人物がいた。
「あんたは…」
「三日月宗近、打ち除け多い故、三日月と言われている。天下五剣の一振りだな」
邸宅の前に微笑みながら立っていたのは天下五剣と名高い三日月宗近だった。自分たちの本丸には三日月宗近はまだ顕現していない。なぜ、目の前に三日月がいるのか。ここは一体どこなのか。『切国』は少し戸惑った表情を見せ、警戒するように辺りを見回す。
「ここは一体どこだ?俺はさっきまで戦場にいたはずだ。仲間たちはどこにいるんだ…?」
「おぉ、説明していなかったな。ここは俺の神域だな」
戸惑った切国と裏腹に三日月は終始穏やかな雰囲気でここはどこなのか教えてくれる。三日月の神域…周りは豊かな木々に覆われ、風も穏やかに葉っぱを揺らしている。目の前にいる三日月の神域に相応しい雰囲気だ。しかし、なぜ自分が三日月の神域に いるのだろうか。そもそも切国は、三日月と接点があるような覚えはない。
「なんで俺は三日月の神域に突然来てしまったんだ?俺はあんたに呼ばれるようなことした覚えはない。それに…」
「俺なんていなければ、とお前は言っただろう?だから、俺が呼んだのだ」
俺ごときが天下五剣である三日月に呼ばれることなんてありえない。そう続けようとした切国の言葉を遮るように三日月は答えた。
「えっ…」
「ずっと、もの苦しそうな顔をしていたのでな、気になっておったのだ。だから、お前が帰りたいと思うまでここに居れば良い」
ここに居ていい。優しげな声色で三日月は言った。どうして、今まで関わったこともない俺に気にかけてくれるのだろう。何もできない俺をこんなにも見てくれるんだろうと切国は思う。三日月に声をかけられて、いつも暗い気持ちになっていた切国の心を温かい気持ちにしてくれる。仲間たちに声をかけられたときは申し訳なさを感じていたのに、こんな温かい気持ちになったのは切国は初めてだった。
「しばらく…世話になってもいいか?」
「もちろんだ、気が済むまでゆっくりしていくといい」
遠慮がちではあるが切国は三日月の神域でしばらく滞在することにした。本丸に帰らないといけないのは分かっているが、帰る方法もまだわからないし、今の自分は本丸で足手まといになってしまう。ここでしばらく修行するのもありだと思う。それに、もう少し三日月と一緒に過ごしてみたい。初めて覚えた気持ちを確かめてみたいのと思った。
「三日月…ともに鍛錬などもしてもらってもいいだろうか…?」
「おお、かまわんぞ。俺もたまには戦わねば鈍るしな。だが、今は来たばかりだ。まずは茶でも飲んでゆっくりすればいい」
そういって三日月は家の中に切国』 を日本邸宅の中へ手招きする。三日月に誘われるがままついていくと縁側まで招かれた。
「好きなところに座るといい。俺は茶を取ってくる」
そのまま三日月は廊下の奥に消えていった。切国は縁側のふちに腰掛け、目を瞑って三日月の神域の空気を感じ取る。自分のいる本丸とは違う清閑な雰囲気。澄んだ空気に覆われ三日月らしい神々しさを肌から感じる。目の前にある庭もある程度は手入れされているように見えるが、どこか寂しい気がするのは気のせいなのか。
「どうやら物思いにふけっているようだな」
気が付いたらお茶を持ってきた三日月が戻り、切国の隣に座っていた。
「…気を使わせてすまない」
「かまわんさ。さぁ、茶も準備できた、たんと飲め」
優しく微笑む三日月に言われるまま、いてれ貰ったお茶を頂くことにした。
「うまい……」
一口飲めば温かな緑茶がのどを通り、体の中に染みるように広がっていく。美味しさに思わず声が出てしまう。
「そうか、それはよかった」
切国の言葉に三日月は嬉しそうに微笑む。三日月が淹れてくれたお茶はとても美味しかった。顕現してから本丸で出されて飲んでいたお茶もうまかったが、三日月が淹れたお茶は何か違った気がした。
お茶を飲みながら三日月と色々な話をした。切国は話下手であったが、三日月は相槌を打ちながら、楽しそうに話を聞いてくれる。話しているうちに切国の表情は少し明るくなっていた。
「どうだ、少しは心が晴れたか」
「ああ、あんたのおかげで少しだけ軽くなった気がする」
切国は三日月と話して心の奥で燻っていたものが少しマシになったような気がした。誰かに話したことで自分がどんなに卑屈になっていたのか実感した。
「そういえば、あんたが言っていたが…俺はずっと苦しい顔をしていたのか?そんなつもりはなかったんだが…」
「まぁ、最初は何もなさそうだったのだがな。自覚はしてなかっただろうが、だんだんと表情が暗くなっていたな。だから、呼んだのだ」
「なぜ…あんたは俺なんかのために……」
「俺がお前を気に入ったからだ。自己評価が低いくせに、周りの者たちを大切にしているのがよくわかる。その矛盾さがとても興味深い。それに自分を無価値と思っているにも関わらず、仲間を守りたいと思う気持ちが強いことも。実に不思議だ」
くすくすと楽しそうに笑う三日月だったが、優しげな雰囲気が突然険しいものに変わった。
「だが、お前は自分などいない方がいいと言っただろう?それがどうしても許せなくてな。だから、俺の神域に招いたのだ」
「………」
三日月の言葉を聞いて切国は顔を背け、苦しそうな表情に変わる。そんな切国の様子を見て、三日月はふっと表情を緩め、穏やかな声色で切国に伝える。
「お前は自分が思っている以上に周りに必要とされているぞ。自信を持て」
「そんなことは…ない…出陣しても何もできなかった…」
「何を言う。初めての出陣なのだから当たり前だ。そもそも、おぬしが必要でなければあんな手練れだけを連れて出陣するはずないだろう」
「でも……俺は写しだ。偽物じゃないけど、本歌と比べられるくらいなら……俺なんて……。それに、俺みたいな写しがいたら、きっと迷惑がかかる。本歌の汚点になるかもしれないし、俺の存在自体が許されない。それに、主だって俺のことを疎ましく思うに違いない。こんな俺がここにいること自体間違っているんだ……」
切国は布を深くかぶって体を縮こませる。すると、隣にいたはずの三日月の姿が見えなくなった。不安になって布の隙間から覗いてみると、三日月は庭に降り立ち、真っ直ぐにこちらに向かってきていた。
「何を言っているのだ?」
「ひっ……」
いきなり至近距離に現れた三日月に驚いてしまい、切国は後ろに下がろうとして縁側から落ちそうになるが、それを三日月に受け止められる。そしてそのまま三日月に抱きしめられた。
「なっ…!?」
「おぬしが何者であろうと関係ない。おぬしの本丸にいる刀剣たちはみな優しいだろう。皆がおぬしのことを案じている。おぬしの存在が否定されることなどない。おぬしが傷つくことなど絶対にさせない。だから、もう二度とそのようなことを言うでないぞ」
三日月はぎゅっと力強く切国を抱きしめる。その言葉を聞いた瞬間、切国の目頭が熱くなる。
(なんで、俺は泣いてるんだろうか)
自分でもわからない感情が溢れてくる。涙が止まらない。
「おや、どうした。泣きたくなってしまったか」
三日月は切国を抱きしめたまま頭を撫でる。切国を撫でる三日月の手はとても優しくて、気持ちが安らいでいく。
「…すまない。これは悲しくて泣いたんじゃない。ただ、胸がいっぱいになっただけだ。俺には勿体無い言葉をたくさんもらった。あんたの言葉は温かいな」
「そうか、それはよかった」
「それに、あんたに抱きしめられていると安心する…」
今まで感じることもなかった気持ちに切国は少し戸惑いを感じていた。だが、それ以上に三日月に抱きしめられて安心しているのも事実だ。とても心地よくて、ずっとこうしていたい気持ちになる。
「それならばいい。あと、おぬしに一つ忠告しておく」
「なんだ…?」
「おぬしはもう少し自分に自信を持った方がいい。自分を卑下するのは良くないことだ。それに自分のことを好きになれずとも、誰かを大切に思うことはできるだろう?まずは自分の存在価値を認めることから始めてみよ。まあ、すぐにとは言わないが、少しずつでもいいから変わっていけたら良いと思うぞ」
「…わかった」
「よし、では頑張れ。応援しておるぞ」
そう三日月は言ってぽんぽんと子どもをあやすかのように切国の背中を軽く撫でていく。
「あの……三日月……」
「なんだ」
「そろそろ離してくれないか…?さすがに恥ずかしくなってきたんだが…」
「おお、そうか。すまんな」
そう言いつつも三日月は切国を放そうとしない。むしろ先ほどより力が入っている気がする。
「おい、三日月…いい加減に離してくれ…!」
苦しくなって抗議の声を上げると、ようやく解放してくれた。
「うむ、やはりおぬしはそういった顔の方がよい」
「それはどういう意味だ」
「そのままの意味だが」
「……」
三日月はニコニコと微笑んでいる。まるで悪びれる様子もなく楽しそうにしている。それがなんだか悔しくて思わず三日月を睨んでしまう
「そう怖い顔するでない。せっかくの男前が台無しだぞ」
「そんな事言われても嬉しくない…」
そう言いながらも切国は不思議と悪い気はしなかった。
(本当に不思議な刀剣だな……)
そんなことを考えているうちに、切国はだんだん眠たくなってくる。
「今日はもう疲れただろう。まずはゆっくり休むがいい。お前は頑張りすぎているのだ。明日から鍛錬でもしよう。おぬしもやりたいと言っていたしな。俺がいくらでも付き合ってやろう」
「…………」
切国はうとうとして返事をする元気もなかったが、三日月は気にした様子もなく、切国を寝室まで案内して、そのまま自分の部屋に戻っていった。
それから二人は三日月の神域で毎日一緒に過ごした。時には二人で神域内の山を散策したり、ともに稽古をしたり、切国が三日月のために食事を作ったりもした。些細なことでも三日月は切国に「有難うな、切国」と優しく、嬉しそうに礼を言ってくれる。
三日月が礼を言うとあまり目立たないが切国の口角は少しだけしか上がる。頬をうっすら染めて目を輝かせて切国なりに嬉しそうに微笑んでくれる。
また、鍛錬の成果もあって、切国は初めて出陣した時と比べたらかなり動けるようになった。だが、それでもまだ三日月には敵わない。まだまだ精進が必要だと改めて感じた。
切国は基本無表情だったが、以前よりも表情が出て笑うようになった。
「切国は笑顔のほうが似合うぞ」
「それは褒め言葉なのか……?」
「もちろんだとも。俺はいつものおぬしの顔も好きだが、笑っている顔も愛らしいと思うぞ」
「……そういうことはあまり言わないでくれ……。恥ずかしい……」
「ふむ、なぜだ。本当のことだというのに……」「余計恥ずかしくなるんだ…!あんたはよく平然とそういうことが言えるな…」
「俺は思ったことを言っただけだぞ。恥ずかしいことなど何もないではないか」
「あんたが言うから恥ずかしいんだろう……!」
顔を赤くしながら少しだけ怒る切国をよそに、三日月はにこにこと機嫌良さそうに微笑んでいた。
***
ある日のこと。
切国が一人で鍛錬をしていると、「邪魔するぞ」と声をかけて三日月が入ってきた。
「あんたか……どうしたんだ」
「少し話があってな」
そう言って三日月はゆっくりと切国に近づく。そして、そっと彼の頭を撫でながら話しかけてきた。
「なあ、切国よ」
「なんだ」
「おぬしはこの先、どのように生きたいと思っておる?このままずっとここにいるのか?それとも、元いた場所に戻りたいか?」
「……それは……」
一瞬迷ったが、答えはすぐに出た。
「正直、わからない。今はここから離れるつもりはない。離れる理由もないからな……」
「そうか」
「だが、いつかまた元の場所に戻れるなら戻りたいとは思っている……」
「そうか……」
「ああ……」
沈黙が流れる。しばらくして、三日月がぽつりと呟くように言った。
「おぬしは帰りたいのだな……」
その一言を聞いて、なぜか胸の奥がちくりと痛む。
(なんでこんな気持ちになるんだろうか……)
そんなことを考えていると、突然後ろから抱きすくめられた。驚いて振り返ると、三日月が切国の首筋に顔を埋めていた。
「ちょ……おい!?何をしている……!」
「切国……」
「放せ……!」
切国が慌てて引き剥がそうとすると、逆に抱きしめる腕の力が強くなった。
「……放さない。もうしばらくこうさせてくれ……」
「はぁ……?」
わけがわからず呆れていると、切国の肩口に三日月の涙が一滴落ちる。それを見て思わず固まる。
(泣いている……?)
「み……三日月……?」
恐る恐る名前を呼んでみると、三日月はさらに強く切国を抱き寄せた。
「………おぬしを本丸の仲間の元へ帰そう」
「えっ………」
急に言われたことに頭がついていかない。どうしていきなりそうなったのかわからなかった。
「なっ……どういう意味だ……?」
「そのままの意味だ。これ以上無理強いするつもりはない。俺もそろそろ潮時だと思っていたところだしな」
「突然なんだ……?一体あんたは何を言っている……?」
困惑する切国に構わず、三日月は淡々と続ける。
「おぬしは強くなった。俺の神域に来たばかりと比べて相当強くなった。もう自分を卑下することもない。おぬしならきっと仲間の役に立てるだろう。自信を持て」
「だから、それが何の話だって聞いているんだ!それに…三日月はどうするんだ…!」
「案ずることはない。ただ元の形に戻るだけだ。何より、もうおぬしの迎えが近くまで来ている」
「えっ………」
その時、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「兄弟!」
「偽物くん!!」
「……この声は……まさか……」
声のする方へ振り返れば、『切国』の本丸の仲間達ががこちらに向かって走ってきていた。
「みんな……!」
「無事でよかった……!!」
兄弟である山伏国広と堀川国広が真っ先に駆け寄ってきて、切国を強く抱きしめた。
「うむ、大事ないようで安心したぞ」
「本当にごめんなさい……僕たちがいながらこんなことになってしまって……」
心配していた二振りに、切国は申し訳なさそうに謝る。
「すまない、迷惑をかけたな……。それと、ありがとう……」
「そんなことは気にしないでいいんだよ!大切な仲間だし、兄弟でもあるんだから!でも、これからは何かあったらすぐに僕らに相談してほしいかな……」
「そうだな」
久々に兄弟たちと再会して嬉しそうな切国たちであるが、その一方で穏やかな雰囲気とは反対に山姥切長義は明らかな敵意を三日月に向けて対峙していた。
「三日月宗近……」
「ほう……これはまた懐かしい顔が来たものだ」
「貴様……よくもこの子に手を出してくれたね……」
怒りに満ちた目を向ける長義に対し、三日月は特に動揺することなく答える。
「手を出したつもりはないが、まあ、多少は手助けくらいはしたかもしれないなぁ」
「なんだと……?」
「はっはっは、冗談だ。しかし、心が弱っていた切国をここまで強くしたのだ。多少のことはしてもバチは当たらんだろう」
「ふざけるな!!そもそもお前が無理やり連れてきたんじゃないのか!?」
「それは誤解だ。むしろ、俺は彼を助けたのだ。でなければ、今頃彼はここにいなかっただろうよ」
「なんだと……!?」
三日月の言葉にますます苛立ちを募らせる長義であったが、それを気にすることなく三日月は切国に声をかける。
「さぁ、そろそろ戻る時間だ」
「あっ……」
そばにいた三日月が離れていくと切国は自然に三日月へ手を伸ばす。
「……三日月……」
お前は一緒に帰らないのか…と表情に出すことが少ない切国が今にも泣きだしてしまうような悲しそうな表情で三日月を見つめる。
そんな表情の切国を見て、三日月はふっと微笑んだ。
「俺は自分の神域から離れることはできぬ。それに、俺はお前たちのいる本丸にまだ顕現していないのだ。だから共に行くことはできん」
「………………」
寂しい気持ちを押し殺しながら切国が俯いていると、三日月はそっと切国の頬に触れた。
「大丈夫だ。俺はいつでもおぬしの傍にいる」
「えっ……?」
三日月は懐から取り出した小さな包みを切国に渡した。
「これは?」
「俺が作ったお守りのようなものだ。持っていたらきっと役に立つだろう」
「お守り?これが?」
切国が渡されたものを不思議そうに見つめていると、三日月は優しく頭を撫でた。
「ああ、持っていろ。決して失くすでないぞ」
「わかった……」
三日月は最後にもう一度切国をぎゅっと抱きしめると、彼の身体が淡い光に包まれ始めた。
その様子に気づいた切国は、慌てて三日月を引き留めようとする。
「待ってくれ!もう少しだけ……!」
だが、三日月は首を横に振った。
「駄目だ。そろそろ時間切れだ。それに、皆がお前を待っているぞ」
「そんな……」
もう会えないと思うと急に不安になり、切国は彼の服を掴んだ。
「三日月も一緒に来てくれ…!お願いだ……!」
涙を浮かべながら必死に引き止める切国の姿に、三日月が優しく微笑む。
「心配せずともまた会うことが出来る。そのお守りさえ持っていればな」
三日月は切国から手を離し、穏やかな表情を浮かべていた。『切国』は再び三日月へ手を伸ばすが、次第にその姿は薄らいでいく。
「待ってくれ…!まだ…!!」
「ではな、切国。達者で暮らせよ」
「みかづきぃー!!」
切国の叫び声とともに、三日月はその神域とともに姿を消した。
その後、切国はもとの本丸に戻り、審神者たちと政府の役人に事の顛末を説明した。
最初は戸惑っていた担当官や本丸の仲間達は、彼が無事であったことに安堵した。
そして、居なくなっていた間のこと詫び、改めてこの本丸の役に立てるように決意した。
三日月の神域から戻って、切国は三日月がくれたお守りを取り出して眺めていた。
「これがあれば、また三日月に会うことができるんだよな……」
そう呟きながら、切国は貰ったお守りを大切に握りしめた。それからというもの、切国は毎日のようにお守りを持ってどこかへ出かけるようになった。
「どこに行くんだ?」
「ちょっとそこまで散歩してくる」
「あまり遅くなるなよ」
「わかっている」
切国の様子を心配する仲間たちであったが、本人は「なんでもない」の一点張りだった。
そんなある日のことだった。
切国がいつものように部屋を出て、縁側を歩いていると、本丸が少し騒がしい。
「なんだ……?」
何があったのか気になった切国は、そのまま庭に出て辺りを見渡すと、そこには以前見慣れた背中を見つけた。
「あれは……まさか……!!」
切国が声を掛けようとした瞬間、切国の存在に気付いた人物が振り返る。
「久しいな、切国」
そこにいたのは紛れもなくあの神域にいた三日月だった。
切国は自分の目を疑った。何故なら目の前にいた人物は間違いなく自分の知っているままの人物だったからだ。
「ど、どうなっているんだ……!?」
驚きを隠せない切国に対し、三日月はにこやかな笑顔を向ける。
「はっはっは、驚いただろう?実はつい先ほどここの本丸に鍛刀されてな。本来なら神域にいる俺は顕現されないが、切国に渡したお守りに俺の霊気を込めていてな。それを辿ってこの本丸に来たのだ」
「ほ、本当なのか……?」
「うむ」
三日月は切国の元へ近づくと、そっと抱き寄せた。
「だから言ったであろう。俺はいつでも傍にいると」
「ああ……」
切国は三日月の胸の中で涙を流しながら答えた。
「会いたかった……三日月…」
「それはこちらも同じだ。さあ、これからはずっと一緒だ」
「うん……」
切国は三日月の胸に顔を埋めながら何度も「三日月、会いたかった」と繰り返した。
「見ないうちにずいぶん甘えん坊になったのだな」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「はっはっはっ」
三日月は嬉しそうに笑い、切国も釣られて少しだけ嬉しそうに口角を上げる。
「あの時より、さらに強くなったのだろう?今度は俺が世話になる番だな、切国」
「ああ、もちろんだ。今度は俺があんたに色々教えてやる」
二人はお互いに微笑み合うと、手を繋いで審神者の元へ向かう。
こうして、今度はこの本丸で二人の物語が始まった。
【終わり】