ソーダ味の夏 ソーダの味にはかけらも似ていないソーダアイスの冷たさ。プールサイドを歩くときの足の裏の熱さ。あの頃はずっとそういうものが夏だった。それでいまでも夏はそういう、浮き足立った雰囲気を含んでいる。
夏休み、盆の時期の烏養は、いつだって商店の外のベンチに座っている。炎天下に水を撒いたり、掃き掃除をしてみたり、追い立てられるようにいろんなことしてみる。なんとなく外に出ていたくて。手持ち無沙汰なのだった。さすがに高校生たちも夏休みだから、いつもの元気な声はしない。
いろいろ試して結局は、ビールの泡を舐めるように呑む。そんな怠惰な午後にはいつも、かつての教え子が訪ねてくる。菅原孝支。いまは大学生。烏養がコーチを務めるバレー部の副主将だった。
ここに来る時の菅原は、分かりやすい夏をまとっている。ショートパンツと白いシャツにバケットハット。やっぱり外にいたんですかと、ソーダアイスの水色を咥えている。おまえまだそんなん食うの、と、すこし呆れて笑ってしまう。菅原も快活に笑ってから、ゆるいシャツの襟を胸元まで引っ張る。日に焼けてない、シャツの中身が覗く。思わずそこから目を逸らして見つめた、その口元から笑みは消えている。じっとりとした上目遣いの湿度だけが、そこに漂っているのが分かる。
倒れるように重なっている。商店の2階は静かで、でも、風鈴の音がときどき鳴っている。口づけた皮膚は赤く染まった。内出血していても弾力のある肌。菅原の閉じられた瞼、血管の青く浮く白い腕。そういうものをすべて、ひどく日に焼けた畳の上で蹂躙している。ああ、そうか、まだ子どもなんだよな。罪悪感が胸を染める。烏養は瞬きして、その考えを追い払うのだった。
この夏が終わったら離れなきゃいけない。分かってはいるんだけど、そういうふうにもいかないのだろう。烏養さんには無理だよ、と言って、アイスを舐めたあとの唇で菅原はキスする。ソーダの味には、かけらも似ていない。
うつろな目、みだらに開く唇の赤。こういうことしてたらすぐに日は暮れる。
ね、これ終わったら花火行こうね。子どもじみた希望が、その唇から漏れる。
昨日もふらふらと夕刻出かけた。近くの神社の風鈴まつり。水色の風鈴をひとつ持ち帰ったのだった。木組のアーチに吊り下げられた風鈴は、風が吹くたび鳴りつづけてる。