行きつけのキャバクラを出て家路に着こうかと足を踏み出した時だった。聞き覚えのあるご機嫌な鼻歌が聞こえ、ギョッとして目を向けるとそこにはふらふらとした足取りで往来をゆく真島がいた。こちらに気づいたら面倒だなと思った瞬間に目が合い、桐生ちゃんや!と呼びかけられた。殴りかかってこないか警戒したが、酔っ払いの顔をした真島はどうもそんな気分ではないらしい。喧嘩がらみでなく話しかけられる珍しさもあって、一軒行こうや、なんて肩を組まれてもあまり悪い気はしなかった。
どこそこ構わず襲ってくるから忘れていたが、ドスさえ持っていなければなかなか話せる男である。酔いに任せた会話は思いの外弾み、真島のペースに合わせて飲めば自然と舌も軽くなる。足元が軽くふらつくほどには酔っていた真島だったが、桐生が先ほどまでどの店にいたのかはちゃんと見ていたらしく、話題はキャバクラの話に及んだ。
「ほんまにキャバ好きやなぁ。そんなとこで遊んでばっかおるみたいやけど、決まった相手はいいひんのか?」
「生憎からっきしだ。俺みてえな極道崩れのムショ帰りと一緒になってくれるような女なんてそうそういやしねえよ」
「何いうとんねん。おまえみたいな色男、女の方が放っとかんやろ」
「嘘は言ってねえ」
実際そうだった。街で出会った女と話すうちに流れでホテルへ行く。そこまではいいのだが、その後はどちらからともなく連絡が途切れてそれっきり。そういったことを幾度となくくりかえすばかりで、特定の一人と長い関係を続けた経験はなかった。
「ほぉん。ま、確かに桐生ちゃんはええ男やけど、付き合ったらつまんなそうやもんな」
「どういう意味だ?」
思わずむっとして聞き返した。想定外の反応だったのか、真島は驚いたようにぱちりと瞬きをしてから、愉快げに話し出した。
「そのまんまの意味や。あまぁい言葉で女を口説いて、なぁんでも受け止めてやるみたいな態度とるやろ。最初のうちは女も『桐生さん、器大きくて素敵やわぁ〜』ってメロメロかもしれへんが、ずっとそんなんばっかりやと飽きんねん」
あんまりな言い草に言い返そうと開いた口からは、しかし、なんの反論も出てこなかった。誤魔化すようにウイスキーを煽ると、図星やな、と真島が笑った。
「桐生ちゃんの気持ちも分かるでぇ〜。女の好みってのは俺らにはなかなか理解できひんもんな。話が合わんならせめて聞いてやろうっちゅう心構えはええが、受身に徹するのはあかんで」
いたずらにこき下ろすばかりかと思いきや、至極真っ当な指摘をしてくる。感嘆の唸りとともに、その通りかもしれないなと素直に同意する。深刻みを帯びてきた悩みの答えをこの男なら導きだしてくれるかもしれない。
「なにかいい解決策はないか?」
期待を込めて聞くと、真島はふふんと鼻を鳴らし、突き立てた人差し指を揺らしながら得意げに切り出した。
「肝心なのは同じ熱量で相手と向き合うことや。例えば、一緒の時間を楽しみたくていろいろ話題を出しても、相手がノってこうへんかったら萎えるやろ」
「確かにそうだな。じゃあ相手に話を合わせればいいってことか」
「あまいで、桐生ちゃん! おまえはそんな器用なマネできるような男やない。その場限りの取り繕いをしたって、本心から出てへん薄っぺらい言葉はすぐに相手にバレてまうで」
「なるほど、そういうものか」
「それに長く関係を続けるにはノリのいい会話だけじゃ足りひんで。言葉よりもっと熱いもんをぶつけ合えば愛はより深くなるっちゅうもんや。ここまで言えばあとはもう分かるやろ?」
「つまり……、どういうことだ?」
真島は大袈裟な身振りで頭を抱えて、桐生の察しの悪さを嘆いてみせた。
「愛する男女がやることと言ったらただひとつ、本気の喧嘩以外にないやろが!腹の底から湧き上がる想いを拳に乗っけて殴り合ってこそ、ふたりは固く結ばれるんじゃ!」
「女相手に殴り合いの喧嘩なんかできるわけないだろ……」
真剣に聞いていただけに落胆して身体の向きをテーブルに戻した桐生の肩を黒革の手がぽんぽんと叩いた。
「ひとりだけおるで! 本気の喧嘩ができるごっつええ女が……!」
満面の笑みでそう告げた真島の顔に重なるように、桐生の脳裏にはショッキングピンクで彩られたとあるキャバ嬢が浮かんだ。
「今度紹介したるな!」
「それには及ばねえよ。あんたが言うそのいい女とはもう面識はあるし、拳も交えた」
「なんや、もうええ相手がおるんやないか。桐生ちゃんも隅に置けんな!」
放っておいたら寂しいで、とご機嫌で肘で小突いてくる真島を見ていると、つられてこっちの頰も緩んでくる。
真島の持論も案外いいとこをついてるかもしれないと内心認めてしまったのはアルコールのせいだろうか。これ以上飲むのはやめておいたほうがいいのかもしれない。でも、もう少し真島とこの夜を続けたくて、空いたグラスを片手に次の一杯を注文した。