11月22日 『いい夫婦の日キャンペーン』
精肉・鮮魚全品30%オフ!!
そんなポスターを見かけたのは、帰り際のスーパーだった。
へぇー。今日は11月22日。語呂合わせでいい夫婦ね。なるほどな。でも肉と魚にいい夫婦の日って何か関係あんのかな?2人で美味いもん食えって事か?
まぁ、特売してくれんなら別に何の日だってありがたいけど。
でもこの前まではポッキーの日なんてポスターが貼られていた気がする。よく色々考えるもんだな。
この世の中には色んな日が溢れてる。
そんな事を思いながら、俺はプラスチックのカゴを逆の手に握り直して食料品売り場に足を向けた。
今日は思いがけず、予定してた仕事が早く片付いた。夕飯の時間まではもう少しある。いい夫婦の日。久々に手が込んだ料理を作るのも悪くない。
数種類のスパイスをカゴに放り込み、サラダ用の野菜を見繕い、常備用の卵や牛乳を選んでから、最後に厚めの豚肉を手に取った。
今日のメニューは卵と野菜のサラダ。それと俺特製のめちゃくちゃ辛いカレー。それに分厚い豚カツも乗せてやろう。せっかくのいい夫婦の日キャンペーン精肉30%オフだ。
ありがとう。いい夫婦の日。
俺は白いスーパーのビニール袋をフラフラさせながら、少し浮かれた足取りで家に帰った。
ドラケンと結婚して3年目。
結婚というか、区にパートナー申請ってものを出してから3年目。
柄でもないがお揃いのリングも買ったし、俺の保険金の受け取りにドラケンの名前も追加した。きっとドラケンの事だから、俺の家族に全部渡しちゃうだろうけど、それでも一度パートナーに残せるってのが俺の中でかなりデカい。
そんな俺たちも夫夫でフウフと読んでいいと思う。
いい夫婦の日なんて知らなかったし祝ったこともないけれど、せっかく知ったのだから一度くらいは乗っかりたい。
ドラケンの事を考えながら丁寧に作るカレーが段々とスパイシーないい匂いを立ち上げる。
あぁ、なんだか少し心の奥がくすぐったい。
ちょうどいいタイミングで仕事から帰ってきたドラケンに「おかえり」と声をかける。
ドラケンが笑いながら「ただいまー」と返事をする。二人で暮らすこの部屋にはよくある風景。
それでもなんだか、今日はそれすらも俺を浮かれさせる。
ドラケンが「これ」と言いながらドラッグストアの小さなビニール袋を渡してきた。中を覗けば、きれかかっていた俺のヘアワックスで、俺の朝の小さな呟きを覚えていたのかと俺の心はまた一段と浮かれ出す。
ほんと、俺にはもったいないくらいよくできた旦那様だなオイ。
シャワーを浴びたドラケンと食卓を囲んだ。
俺の特製カツカレーに大喜びしてくれて、汗だくになってモリモリ食べる姿に俺はなんだか大好きがダダ漏れそうになって、なんならカレー皿を掻き分けて飛びつきたくなって、さすがにそれはヤバイと自分を叱咤する。
日頃何となく見ている姿。けれど、これが自分の旦那なんだなぁと思いながら改めて見ると、もう、かなりたまらないものがある。
いい夫婦の日。
きっと商売上手な人達が勝手に決めた記念日なんだろうけど、こうやって一つ一つ改めて色んな事を噛み締めるには、いいきっかけな気がした。
俺がシャワーを浴びている間にドラケンが洗い物を済ませていてくれていた。ドラケンはついさっきまで仕事してて疲れてるだろうに。俺は「ありがとう」と声をかける。ドラケンは「なんのこれしき」と戯けたように言いながら俺に小さなキスをくれる。
このやりとりが始まってから何年くらい経つだろうか。
最初はなんか、映画かドラマかの真似がきっかけだった気がする。
それが何年か掛けて2人だけのルーティンになった。
「ありがとう」「なんのこれしき」
そしてチュッだけの小さなキス。
あぁ。うん。そんなのもちょっと、ちゃんとフウフっぽい。
それから俺達は軽く一本だけビールを呑みながら、2人でぴったりとくっついて、借りていたアクション映画を観た。あぁ、うん。こんな時間も凄くいい。穏やかであったかくて一番安心できる場所。
映画がエンドロールに入った。俺はテレビを消してドラケンの手を引く。
手を引いて寝室まで行って、ドラケンをベッドに押し倒して馬乗りになる。
まだちょっとだけ残る羞恥心故に、俺から誘う事はあまり無くて、ドラケンは「どうした?」と、少し驚いた顔をした。
確かに、俺から誘うのは珍しい。しかも明日もお互い仕事。セックスするのは大体2人とも休みの前の日だから、そりゃドラケンがビックリするのもわかる。
けれど今日はいいフウフの日。
俺もいいフウフの日キャンペーンだ。
「ドラケン、今日なんの日か知ってっか?」
馬乗りになったままそう聞いてやる。
「あぁ、知ってる。」
ドラケンのその答えに、今度は俺がビックリした顔になる。
このこういった事にはとことん無骨なドラケンが、記念日なんかも特に気にしていないドラケンが、いい夫婦の日を知ってるとは思ってもいなかった。
俺もさっきスーパーのポスターで知ったばかりだからデカい事は言えないけど。
まぁでも、知ってるなら話は早い。
いい夫婦の日に甘ったるく愛を確かめ合うのもいいだろう。
俺はドラケンの上で四つん這いになって、ドラケンの顔ににじり寄る。これから始まる行為に腰と尻が勝手に揺れる。
「何の日か知ってんなら話は早ぇな。ねぇ、ドラケン。そーゆうセックスしよ?」
いいフウフの、ベタッベタに甘ったるいセックス。
もうちょいで唇と唇がくっつきそうになった時、俺の体はドラケンの太い手で押し剥がされた。
「イテッ!」
顔を急に後ろに押されて首が反り返って、俺の口から咄嗟にそんな声が漏れる。
「あー…ワリィ。つーか嫌なんだけど。」
ドラケンはそう言いながら眉間に皺を寄せた顔で俺を見る。
え?ドラケン、今、イヤって言った?
「イヤ…なの…か?」
「そんなプレイみてぇなのしたくねぇ。」
プレイ?
待って待って待って!プレイ?
いいフウフの甘いセックスがプレイ?
いつもはそんな事しないくせに、いい夫婦の日だからってセックスに誘ったのがいけなかったのか。
まぁ、そりゃそうだよな。これじゃ日頃なんの努力もしないくせに、いいところだけ掻っ攫おうとする輩と何の変わりもない。
あぁ、とてつもなく恥ずかしいし申し訳ない。
俺はドラケンの上から退いた。それと同時にドラケンも起き上がる。
「セックスはまぁ大歓迎だけどよ。変なプレイじゃなくて…もっとこう…」
「ワリィ、ちょっと出てって。あ、いや、俺が出てく。ごめん。ほんとごめん。」
ドラケンの言葉を遮って、俺は早口で捲し立てる。
まだ脱ぐ前でよかった。シャワーの時に自分で準備してきたけど、それも言う前で本当によかった。こんな日だけやる気満々とか思われたらもっと引かれてたかもしれない。
違う。本当はいつもやる気満々なんですけどね。ちょっとまだ恥ずかしいんですよ。
俺の片想い歴の長さと拗らせ具合をナメないで欲しい。
足早に出ていこうとする俺を、ドラケンの腕が引き止める。
「オイ、三ツ谷。待てって…」
「ちょっとゴメン。無理。今色々無理だからゴメン。何も言わないでマジで。」
ドラケンの声を聞くのが怖くて、俺は自分の耳を塞いでまたその声を遮る。
あーでも…なんか悔しくなってきた。
プレイって…。
そんなつもりじゃなかったんだけどな。いい夫婦の日を口実に、改めてお互いを確かめ合うってのがしたかっただけなんだよな。
ベタベタくっついて笑い合って楽しく気持ちよくなって仲良くしたかっただけなんだよなぁ。
なのにプレイって何?
イヤってなんでよ?
意味がわかんねぇ。くそっ。
何か言おうとするドラケンを、俺はまた先制攻撃で遮る。
「俺の事引き止めんならこの部屋からドラケン出てって。じゃなきゃ俺が出てく。どっちか選んで。」
あー。わがまま。俺めっちゃわがままじゃん。
俺はドラケンが座るベッドの片隅にふて寝するように寝転んで、毛布を引っ張って丸まった。
どっちか選んでって言ったくせに、これじゃドラケンに出てけって言ってるようなもんだ。
でもなんだか悔しくて悲しくてやりきれない。
背中の向こうからドラケンのため息が聞こえてきて、それからすぐ寝室を出て行くのが気配でわかる。
そんなに広くないアパート。
リビングに行ったドラケンが冷蔵庫を開けるのがわかったし、その後ちょっとしてから、家を出て行く音も聞こえた。
あー!なんで家まで出ていくんだよ?
悔しくて悲しくて信じられない気持ちで一杯だ。
なんでこうなちっちまったんだろ。
仕事頑張って、いい夫婦の日知って、カレー作るの楽しくて、俺には勿体ないくらいの旦那を再確認して、本当だったら今頃は二人で仲良く気持ちよくなってたはずなのに。
流れ出る鼻水をズビズビ啜りながら、ドラケンの匂いのする毛布に包まってたら、俺はいつの間にか眠ってしまった。
起きたらもう朝だった。
ドラケンは俺の隣には居なかった。
まさか家を出たきりなのかと少し焦ってリビングへ続く戸を開ければ、ソファーで寝ているドラケンを見つけ少しだけホッとした。けど、でも、俺と同じベッドでは寝なかったんだなぁ。と、俺の心はまたショックを受けた。
壁掛けのちょっとオシャレなデジタル時計を見上げる。
今は朝の5時。時間の下に表示される日付けは11月23日を示している。
いい夫婦の日は終わってしまった。
まぁ、俺の中でもポッと出の記念日だからそれに対して大きなダメージはない。でも、俺から誘った行為へのドラケンのあの対応に対しては、まだちょっとダメージが残っている。
あんな変な誘い方はダメだったんだろうなぁ。俺みたいにしなやかでもねぇ男が四つん這いになって迫ってみても気色悪いだけだよな。難しいもんだなぁ。やっぱり自分から誘うなんて俺には向いてねーのかも。
ワガママ言って追い出しちゃったし。
ドラケンが起きたらどんな顔して謝ろう。
ドラケンが眠るソファーを背もたれにしてペタリと座って、ドラケンの寝顔をじっと眺めた。
鼻高ぇな。今は閉じられた切長の吊り目も、薄めの唇もバランスがいい。
童顔の俺とは違って、男らしくてカッコイイ。本当に、俺にはもったいないくらいのイイ男だ。
長めの黒髪の隙間から顔を出す龍と目が合った気がして慌てて目をちょっと下に逸らすと、ドラケンがパチリと目を開いた。
「あ…」
「あ…」
一瞬だけ二人一緒に固まって、俺の脳みそが一生懸命に謝る言葉を探していると、ドラケンが黙ったままムクリと起き上がる。
そしてやっぱり黙ったまま、夕べとは逆に俺の手を引いて寝室へと行き、俺をベッドへと押し倒す。
ずっと険しい表情で黙ってるドラケン。
怒ってんのかな?そりゃそうだよな。
昨日の夜はあんな変な事しちまったし、変なワガママ言っちまったしな。別れるとか言われたらどうすっかな。パートナーシップ解消も離婚になんのかな?
あぁ、やだなぁ。別れたくねぇなぁ。
不意にポロッと溢れた俺の涙に、ドラケンが「はっ?」と声を上げた。
あっ。ごめんごめん。泣くつもりなんか無くて、これは勝手に出てきたやつで、ドラケンは何も悪くねぇし、俺が悪くて。あー。ゴメン。でも俺はただ仲良くしたかっただけで…。
頭の中でそう言うけど、俺の口は嗚咽しか出てこなくて、あー。困った。またドラケン困らせるし怒らせるじゃん。こんなの。
ふと、ドラケンの長い腕が俺の体を抱きしめた。そのままゆっくりと抱き起こされる。そして鼻をズビズビさせてる俺の頭をドラケンの大きな手がヨシヨシと撫でる。
「ゴメンな三ツ谷。」
なんで謝るんの?ドラケンが謝るところなんかねぇだろ!嫌な予感。あー。それ以上は聞きたくねぇよ。
「俺も腹括ったからよ。悪かったな。」
なんの腹括っちゃったんだよ。勝手に変な覚悟決めんなよ。やだよ俺。
ドラケンが俺の背中をポンポンと二回叩いて、そっと俺から離れた。
そして俺を一人残して寝室を出て行く。
あー。くそっ!なんだこれ。
こんな終わり方ってあるかバカァァァ!
そう叫びそうになった瞬間、ドラケンがまた寝室へと戻ってきた。
手には薄手の黄色いビニール袋。街中で見慣れたペンギンが俺を見て笑っている。
俺と向き合うようにベッドへと座り、これ。と言ってその袋を渡される。昨日のヘアワックスの件を思い出して、俺はまた泣きそうになる。
あのなんて事ないやりとりの時、俺はきっと幸せの絶頂だった。
俺は小さく深呼吸してから、黄色の袋の中を覗いた。
「…ん?…なにこれ。」
「やりたかったんだろ?」
俺は袋に手を突っ込んで中身をそっと取り出した。
モフモフの猫耳のカチューシと、犬耳のカチューシャと、猫髭のタトゥーシールと、犬の付けっ鼻みたいなやつと、なんだろコレ。こっちの突起を尻の穴に突っ込むと猫のシッポになりますみたいなアダルトグッズ…。
はぁ?!なんだこれ?!
「俺はできれば普通のセックスしてぇんだけど、三ツ谷はこーゆうのやりてーんだよな?お前の気持ち考えてなかったな。ゴメンな。」
俺の頭をまたポンポンするドラケンに、今度は俺が「はっ?」と声を上げた。
「何?え?全然意味がわかんねぇ…!」
俺の絞り出したような声に、ドラケンはキョトンとした顔をする。
あー、その顔すると急に幼くなるよなドラケン。
「だって昨日、ワンワン・ニャーニャーの日だろ?そーゆうセックスしようって言ってきたじゃねーかよ。」
千冬んとこの店にポスター貼ってあったわ。
ドラケンの言葉に目眩がした。
「夕べ、これ買いに出かけたのか?」
「あー。まぁな。とりあえずお前に寝室出されて、ちょっと考えたら俺が悪かったなって思って、とりあえず景気付けにビール飲んで腹括ってドンキ行ってきた。」
あれは家を出た音じゃ無くて、これを買いに行った音だったのか…。
「でも帰ってきたらお前グースカ寝てっからよ。同じベットで寝たら絶対襲っちまいそうだったしこっちで寝たわ。」
「襲うの?」
「バカか。あんな誘い方されて我慢できるわけねーだろ。でも、お前のやりたいプレイにちゃんと付き合ってやりてーからな。襲うのはダメだなって我慢したんだよ。ほら、付き合ってやるから猫でも犬でも好きなの選べよ。」
あー。本当に目眩がする。
どんな腹の括り方して、どんな顔でアダルトコーナー物色してどんな顔で猫のシッポをレジに出したんだ?
俺のためにしたってよくやるなぁ。
本当、俺にはもったいないくらいの旦那様だよ。
しかし、なんだこのすれ違い。
コントかよ。
ひでぇもんだな。
ちゃんと聞かなかった俺も悪いけど。
「なぁドラケン。昨日はな、犬でも猫でも無くて、いい夫婦の日なんだってよ。」
「んあ?」
「俺も昨日初めて知ったんだけど、いい夫婦の日だったんだよ。」
だからいいフウフらしく、イチャイチャ仲良しセックスしたかったんだよ俺は。
ドラケンの耳元でそう言えば、ドラケンは一瞬だけポケッと放心した後、はぁぁぁ?と大きな声を上げた。
あー。わかるわかる。そうなるよな。
俺はドラケンの左手に光る少し細めのリングに、キュッと触れる。
バカだなぁ俺ら。本当バカ。
「三ツ谷、時間どお?一回くらいは出来るか?」
お互いの仕事が始まるまで、あと数時間。
「いつも通りのやつなら。」
「じゃ、イチャイチャドロドロ仲良しセックスは帰ってからだな。それとお前の猫シッポも。またあれやって、四つん這いでお尻フリフリするやつ。」
「やだよ恥ずい。てか、あのシッポ俺が付けんの?」
「俺も腹括ったんだから、お前も夜までに腹括っとけよ。」
「えー!」
そう言いながら、俺は込み上げる笑いを堪えることができない。
あーしかし、離婚されなくて良かった。
本当バカだなぁ俺達。
ある意味、凄くいいコンビでいい番でいいフウフなんじゃねぇかな?って思う。
本当ある意味だけど。
とりあえず、『いいフウフの日』と『ワンワン・ニャーニャーの日』は今夜仕切り直しだ。
俺達はとりあえずいつもの普通のセックスをする為に、ペロリと互いの唇を舐め合った。