結婚朝、一緒に起きて、コーヒーを淹れて、朝ごはんを食べる。
七時二十分になると僕は出勤して、相手は家でのんびりくつろいでいる。
休みの日は掃除と洗濯をして二人で買い物に出かける。
昼ごはんはその日の気分によってパスタやラーメンを作り、たまには牛丼をテイクアウトしたりする。
共通の趣味は特にないので、午後はだらだらと暇を持て余して、好きな音楽を聴きながら一緒に過ごす。
僕が夕食の支度を始めると、相手は洗濯物を取り込む。
出来上がったごはんを食べて、順番に風呂に入り、スマホをチェックしてから寝る。
それがこの一か月間の僕らのルーティンだった。
「まるで結婚生活みたいですね。」
島崎が不意にそんなことを口にした。
眠るための部屋で、僕たちはベッドを背にして隣に座っていた。
スマホをいじっていた手を止めて、相手の方に視線を向ける。
島崎の超能力が使えなくなった。
先読みも、テレポートも、単なる念動力すら使えずに、窮地に陥った島崎は外部の敵からの襲撃を恐れ、僕を頼りにしてやって来た。
そういう事情でやむを得ず、超能力が元に戻るまでという期限付きで、僕の自宅で同居することになったのだ。
本人は至ってごく普通の顔で過ごしていて、仕事もできない有様なのに、生活費は気前良く出してくれる。一体どんな職業ならそんなに蓄えられるのだか。
「結婚って言葉ほどアンタに似合わないものはないよね。」
僕がそう返すと、
「君はしないんですか、結婚。先月お友達が式を挙げたそうですね。」
島崎は感慨深げに言った。
先日、影山君の結婚式に出席した。
相手は僕も会ったことのある人で、華やかな顔立ちに誠実な受け答えが好ましい女性だった。
「なんで知ってるんだよ。僕の交友関係はアンタには関係ないだろ。」
つっけんどんに返事をすると、
「そうですね。」
島崎はあっさりと引き下がった。
島崎との付き合いはそこそこ長い。
中学生の時に遭遇し、高校二年生の時に再会した。
突然現れた因縁の相手と当然のように激しい戦闘になり、若干島崎の優位でそれを終えたあと、なぜなのかはわからないが強引に抱かれそうになった。
必死に抵抗してその企みを阻止すると、「時間の無駄だった」というあからさまな捨て台詞を残して男は消えた。
それから何年も経って、僕がとっくに成人したあとに二度目の再会をした。
その際はこれまでのような挑発や敵意は感じられず、警戒しながらもバーで一緒に酒を飲むという不自然な展開に至った。
そののちに、勢いで島崎と性行為をした。
相手が男だということや、そもそも昔自分を強姦しようとした相手であるという認識は年月とともに薄れており、それよりも他人と性的な接触をすることに興味があったし、相手の誘い方が巧みだったとも言える。
とにかく僕たちはあくまで合意の上でセックスしたのだった。
してほしいことは全部してくれた。
そしてその結果、僕はどうやら島崎との行為しか受け付けない体になってしまったようだった。
僕を好いてくれる女性と二、三回試してみたのだが、駄目だった。
それゆえに、身近な相手から告白される場合にはいつもこう答えることにしている。
「ごめん。僕の恋愛対象は女性じゃないんだ。」
「えっ…………」
彼女は絶句する。
しばらくして、
「私、絶対に誰にも言いません。花沢さんがすてきな人に出会えるよう、お祈りします。」
そのように激励されることが多い。
おかげで、職場は僕をゲイだとみなす人とそうでない人に分かれている。
性的指向が極端に歪んでしまったことに不満はあるが、それは僕自身が選んだものだという可能性も少なからずあった。
島崎と会うのは多くてもひと月に二回程度で、それも必ず行為を伴う。
僕の自宅に泊っていくことはあっても、二日以上一緒にいたことはない。
もちろん旅行なんて行ったこともない。
島崎がそうしたいと思う時に、いきなり現れて突然消える関係でしかなかった。
僕はなんて都合のいいセックスフレンドなんだろう。
それでも、そうさせているのはやっぱり僕自身なのかもしれなかった。
「君が結婚したら困るなあ。」
『嫌だ』でも『許せない』でもなく、『困る』という表現を選んだところに島崎の驕りを感じた。
「アンタが始めた話題じゃないか。それに、僕は結婚するつもりは、」
「ずっとこんな毎日が続けばいいのになあ。」
そう言って島崎は宙を仰ぐ。
その言葉にどんな思惑が潜んでいるのか、僕には感じ取れなかった。
「何言ってるの。居候される側の身にもなってよ。だいたい、力が使えなくて不自由なのはアンタの方だろ。」
ベッドが狭いとかいうこと以外に、困っていることを特に思いつかないまま口にした。
「それに、アンタはひとつの場所に留まり続けることはできないし、」
ずっとってなんだよ。 なんで今そんなこと言うんだよ。
怒りのような気持ちが湧いてきて、
「……してほしくもない。」
それから悲しくなった。
「テルキ君、どうしたんですか?」
島崎がこちらを覗き込む。
「どうして泣いているんですか?」
「……わからないよ。」
当たり前のように島崎がそこにいる毎日が、本当は苦しかったのかもしれない。
「君が私の前で涙を流すのは、初めてした夜以来ですね。」
「そうだった?」
「覚えていないんですね。『怖い』と言って泣いてましたよ。」
「でもやめなかったんだね。」
「ええ。」
島崎がにこっと笑った。
「何が怖いのか、本人もわかっていないようでしたし。」
「島崎は怖いよ。」
僕はぽつりとそう呟く。
「もう、寝よう。」
そう言うと、布団をめくってベッドに横になった。
島崎もそれに続く。
ベッドの中で向かい合うと、何も言わずに島崎が僕の首すじに唇を押し当てた。
「ごめん、そんな気分じゃないんだ。」
僕は相手に背を向け、手足を抱え込んで丸くなった。
そうすると、島崎は後ろから腕を回して僕の体を抱きしめる。
うなじに顔をうずめて、手を握って、脚まで絡ませて、離そうとしない。
抱かれるのは今も怖い。
欲しくなるから。
手に入らないことを思い知るから。
まるでそれが聞こえたみたいに、島崎が、
「君は私のことが好きだからなあ。」
ぴったりとくっついた体を揺すって笑う。
「……アンタこそ、」
最初からずっと、僕を失うことを怖れてるくせに。