新刊1冊目『猫と霊幻と二人の男』からサンプル冒頭部分です。……どうしてこうなった。
ため息とともに視線が左右へ向かう。セミダブルベッドをぎゅうぎゅうに詰めて横になる三人の男。霊幻新隆は数時間前に起こったことを思い返そうとするが羞恥心が思考を遮り、枕に顔を伏せる。
左側にも男、右側にも男。霊幻は生まれたままの姿になけなしの理性を働かせて毛布を巻く。横の男たちは狭いベッドで身を寄せ合うように霊幻を腕に引き寄せていた。
黒い上下に身を包む男たちは同じ顔をしていた。頭の上には黒い耳が生え、先端が割れた二本の尻尾は霊幻を離すまいと白い脚に蛇が絡むように巻き付いている。長身の霊幻よりさらに大柄な男たちは、筋肉質な腕を見せつけるように霊幻の腰を抱いていた。
……どうしてこうなった。
小さな寝息を立ててぐっすりと眠る男たちを見下ろしてみても答えは出ない。鼻筋の整った顔立ちは霊幻よりも幾分年上の様子だ。同じ顔をした男たちは、満たされた笑みを口端に浮かべて眠っていた。まさに安らかという顔で眠る男たちは、小さな寝息を立て時折
頭の上についた猫耳をひくつかせている。
「俺が知ってるお前たちは可愛かったんだ……。
ちっちゃくて可愛いエクとまもはどこ行ったんだ」
横の男たちは小さくない。可愛くもない。霊幻よりおそらく五センチは背が高く、かなり大柄な身体をしている。人間ではない男たちの正体は霊幻が拾った双子の黒猫、ではなく猫又の双子の兄弟だった。名前をエクボと護という。確かに数時間前までは小さくて可愛い少年の姿をしていた二匹の猫が突然巨大化してよりにもよって飼い主の自分を襲うなど信じられない話だ。しかし。
霊幻の身体には吸い付きまくった紅い痕がいくつのいくつも残っている。ワイシャツで隠れる事を願うが噛み痕もひどい。全身が痛々しく噛まれて蹂躙され尽くした跡が残されている。
数時間前までは確かに可愛い子猫の面影を残していた猫又の兄弟は、霊幻を餌にして思うまま食らい尽くした。満たされて眠る兄弟の顔の上には登り始めた朝の光がカーテン越しに差し込んで、伸びた鼻筋や薄い唇を照らす。目を閉じていても顔の端正さが際立つ。霊幻が思わず悔しくなる程に水際立った男ぶりを見せるエクボと護は、霊幻が起きた気配にも気づかぬ様子で眠り続けている。
「まあ……助けてもらったってのはあるけど」
数時間前、霊幻は命の危機にあった。平凡な人生を送っていた男の身の上に起きた青天の霹靂のような出来事であったが、それを救ったのは紛れもないこの双子の妖怪たちなのだ。しかしその代償は想像以上に大きい。
何度ついたか分からないため息とともに朝の気配は強くなる。どんな事が起きても朝は平等に訪れる。幸い今日は休みだ。動かない身体を言い訳に二度寝を決めても許される、と霊幻は毛布を頭の上まで引き上げた。平和な朝の訪れが近づいていた。
……どうしてこうなった。
本日三回目のつぶやきは頭の上まで被った布団の中に吸い込まれて消える。霊幻はこの二匹を拾った時の記憶を思い出しながら浅い眠りの中に身を浸そうとしていた。