どんなに苦しい時も、はたまた楽しい時も、等しく時間は過ぎ去るもの。
準備期間も含めたら、とても長い間生徒たちの話題の中心だった文化祭も、今夜で終わりだ。
後夜祭、学年クラスの垣根を越えて交流する面々を尻目に、斗和はいつものように蒼の姿を探して会場内をうろうろしていた。
まさか自分の目の届かないところで、告白イベントでも起こされていたら……と、斗和は気が気ではない。
文化祭最終日、後夜祭の喧騒を遠く感じながら、静かなところで告白を──なんて、いかにもありそうで恐ろしい。
蒼に彼女が出来ようが彼氏が出来ようが、幼なじみに過ぎない斗和には口を出す権利はない。
蒼が選んだひとであるならば、斗和は笑顔で祝福しなくてはならない。
とは言えそれが蒼に相応しくない相手だった場合、ありとあらゆる手段を使って別れさせるつもりではある。
ただその場合、蒼は失恋ということになり、少なからず心に傷を負うことになるだろう。
それは斗和の本意ではない。
蒼が傷つかず、また、悪い虫が寄ってこないよう、斗和はいつだって出来る限り蒼にくっついていて、蒼に気のある素振りを見せる人物から蒼を遠ざけてきた。
斗和は、スマホを取り出し、蒼のアカウントを表示する。
電話か、メッセージか。
この後夜祭会場は騒がしいので、声がよく聞こえないかも知れない。
取り敢えず、斗和はメッセージを送る。
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蒼兄様、いまどちらですか?
後夜祭、参加してますか?
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既読は直ぐに付いた。
返事を期待していると、予想外に電話の着信がある。
「もっ…もしもし?兄様?」
『斗和?ごめん、僕、ちょっと先生に呼ばれてて』
周りのうるささで聞き取りにくいが、蒼の声を聞けて斗和はほっとした。
「そうなんですか。先生のお手伝い、ですか?オレもお手伝いしましょうか」
そう申し出た斗和に、蒼は居残りで課題を片付けていると言った。
2年生の課題なら、1年生の斗和に手伝うことは出来ない。
『斗和は先に帰ってて。バイオリンの練習、サボっちゃ駄目だよ』
「はーい……」
ぷつり。
蒼の方から通話が切られる。
蒼のいない後夜祭、楽しめる気がしない。
斗和はとぼとぼと会場を後にした。
帰宅した斗和は、日課であるバイオリンの練習をしていた。
自分は天才ではないと知っている。
だから、努力しなくてはいけない。
なのに。
なのになのに。
『先に帰ってて』と告げた蒼の、素っ気ないともとれる態度がどうしてもこころにひっかかり、集中ができない。
同じところで間違うこと実に十数回。
「……やめた。」
斗和は弓を下ろし、今日の練習を終えることにした。
防音室から自室に戻った斗和は、またスマホを手に取り、画像フォルダを開く。
凛としたメイド姿の蒼の写真を見て、自然とため息が零れた。
「この蒼兄様めっちゃ美人。楽しかったなぁ、文化祭」
本当なら、後夜祭名物のキャンプファイヤーを見つめながら、文化祭の思い出話を蒼としたかった。
色々なクラスの展示や出店を回ったが、やっぱり女装メイド喫茶での蒼の女装は、斗和の心にくっきりと残っている。
周りの人達、ざわついていたなぁ。
まあ兄様すごく似合ってて綺麗だったしな。
思い出して、斗和はもやっとした。
それは紛れもなく独占欲なのだが、斗和にとっては“兄離れ”できない自分が情けない、としかまだ自覚はできていない。
ピロンッ
写真を写した画面に、メッセージの受信を告げるバナーが現れた。
蒼からだ。
斗和の心臓がどきりと跳ねる。
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後夜祭、一緒に出られなくてごめん。
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一言だけのメッセージだった。
でも、斗和はじわじわと口許が緩むのを抑えられない。
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居残り課題お疲れ様です!
蒼兄様、もうおうちですか?
後夜祭は参加したんですか?
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即座にメッセージを返すと、斗和はぼふっとベッドにダイブした。
「早くお返事来ないかなーぁ」
足を無意味にばたばたさせて、何度も受信したメッセージを眺める。
後夜祭で、蒼がフォークダンスでも踊っているのだとしたらどうしよう、と斗和はふと思いあたった。
女子生徒と手を繋いで踊る蒼を想像すると、すごく嫌な気持ちになる。
斗和が最後に蒼と手を繋いだのは、いつだっただろうか。
メッセージを貰って嬉しかった気持ちを塗りつぶすように、斗和の心に焦りが生まれる。
後夜祭でなくとも、クラスの打ち上げで告白イベント…という可能性もなくはない。
蒼が、自分でない誰かのものになるなんて。
「あーーーーーっ!!!!!ヤダヤダヤダヤダ!!!!!だめーーーーーっ」
斗和は嫌な想像を、頭をぶんぶん振って追い払った。
蒼は、ピアスバチバチな割に真面目なところがある。
だから、告白されて、すぐ付き合うなんてことはきっとしない。
そう思いたいのに、蒼の優しさ故に流されやすい一面を知っている斗和の頭の中では、困った顔をした蒼に、見知らぬ女の子がぐいぐい迫るのをやめない。
『あおくん、すきよ、だいすき』
『そんな事言われても……』
『キスしてくれないとなくわ』
『泣かないでよ。いいよ、キスくらい……』
「………っっっっ!!!!絶対だめ!!!!!!」
斗和は自分の勝手な妄想に我慢出来ず大声を出す。
「蒼兄様とキスなんて!そんなのだめっ、ずるいっ」
ずるい、だなんてワードを無意識に口にしていることに気づかない斗和。
明らかに兄のように慕う範疇を超えている。
ピロンッ
顔を覆って大騒ぎする斗和の耳に、メッセージ着信の音が届いた。
がばっと飛び起きて、スマホに齧り付く。
思った通り、それは蒼からのメッセージだった。
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後夜祭には結局行ってないよ。
いま家に帰ってる途中。
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ほっと斗和は胸を撫で下ろした。
告白イベントは結局起きなかったらしい。
でも、いつか、蒼が“斗和の蒼兄様”でなくなる日は必ず来るのだ。
遅かれ早かれ、きっと。
今回文化祭を一緒に回り、斗和は自分が見た事のない蒼の一面を少しだけ見ることになった。
そのことが、斗和の意識を少しだけ変えた。
自分以外にも慕われる蒼。
親しく言葉を交わす同級生の存在。
男女問わず蒼に話しかける者は多かった。
1年遅く生まれてしまったばかりに、と、斗和は溜息をついた。
その日、蒼が何をしていたのかも知らず、斗和は蒼の純潔を守るのは自分の使命だと、気持ちを新たにしたのだった。
守り続けた純潔を、自分の手で汚したい、そんな欲望こそまだ芽生えずだが。
斗和が、はっきりと蒼への感情の意味を知るのは、もっと斗和が大人になってからの、──遠くはない未来の話。