「エーリッヒってさぁー、」
つまらなさそうに髪を一束摘んで弄りながら、ミハエルが呟いた。
「はい?なんでしょう」
エーリッヒは首を傾げ、資料の束から視線を上げる。
シュミットが敵情視察で不在の、とある日のことだった。
「シュミットのこと、どう思ってるの?」
ミハエルは、パサッと髪を落として、そう尋ねた。
「どう…………とは…」
困惑するエーリッヒは、微笑みを浮かべようとして失敗したような、なんとも言えない顔をしていた。
「好きなんでしょ?なのになんで何も行動しないの?」
「!」
ミハエルの鋭い目がエーリッヒを見据える。
「エーリッヒがシュミットいらないなら、僕が貰っちゃうよ」
ガチャン!と食器が鳴った。
動揺したアドルフが、ティーカップをソーサーに置き損ねていた。
ヘスラーは先程から、関わりたくないとばかりに気配を消してただ静かにそこにいる。
「…………それは、あなたもシュミットを好きという意味ですか?」
エーリッヒの声が低くなる。
「好きだよ」
ミハエルの瞳は揺らぎもせずエーリッヒを映したまま。
「そうですか」
エーリッヒは、ぎゅっと眉間に皺を寄せ、しかし、直ぐにぱっと平静な顔に戻る。
「あれ、冷静だね」
「いいえ、驚いていますよ。とてもね」
エーリッヒは、資料の束にまた視線を落とした。
「ふぅん」
ミハエルはそれ以上、エーリッヒには何も言わなかった。
その代わりに席を立ち、伸びをする。
「じゃあ僕、シュミットのところにいこーっと」
「駄目ですよ、ミーティングが終わってません」
「君たちで適当にやっててよ。どうせ最終ミーティングじゃないんだし。シュミットもいないしさ」
じゃあね、とミハエルはひらひら手を振り、ミーティングルームを出て行った。
ヘスラーが詰めていた息を吐く。
アドルフは恐る恐るエーリッヒを見た。
エーリッヒは怖いほどに無表情だった。
******
スタジアムの出入口付近に立つシュミットの姿を見つけたミハエルは、勢いよく駆けて行き、シュミットにぼすんと抱きついた。
「わっ!?」
シュミットの華奢な身体は勢いを受け止めきれずよろける。
それをがっちり抱きしめて、ミハエルはえへへと笑ってみせた。
「びっくりした?」
「しましたよ、もう」
シュミットは溜息をついたが、ミハエルを引き剥がしはしなかった。
「ミーティングは終わったんですか?」
「抜けてきた」
「またあなたは、もう」
「お小言なら後で聞くよ。それよりさ」
ミハエルは少し背伸びをして、シュミットに顔を寄せる。
「?内緒話ですか?」
シュミットは身を屈めて、ミハエルの口元に耳を持っていった。
「ねぇ、シュミットは、エーリッヒのこと好きだよね?」
「なっ………なに、言って……!?」
シュミットは弾かれたように身を起こし、口をぱくぱくさせる。顔が真っ赤だ。
「あれー?違うの?だったら、エーリッヒは僕が貰ってもいい?」
「えっ!?……だ、駄目ですっ」
反射的に大きな声を出したシュミットの反応に満足し、ミハエルは笑った。
「やっぱり、好きなんだね」
「ぅ………どうして分かったんですか……」
「さぁね。超能力かな?」
嘯いてみせるミハエルに、シュミットは困惑顔をして、
「本気ですか…?エーリッヒを、貰うって…」
と尋ねた。
「どうかな。でも、君がもたもたしてたら、エーリッヒは誰かに取られちゃうかもね」
モテるから、エーリッヒ。
そう言ってミハエルはにんまり笑って下からシュミットを覗き込んだ。
シュミットはきゅっと唇を引き結び俯いてしまった。
「そんな顔しないでよ。せっかくの美人が台無し」
「誰の……せい、ですか」
「僕のせいだね。ごめんね」
ミハエルは、ちょいちょいとシュミットを手招きする。
「まだ何か?」
シュミットは再びミハエルに顔を近づける。
「大丈夫。もうすぐきっと、いい事あるよ」
言われてシュミットは目をぱちぱちとさせた。
「どういう意味ですか」
「予言だよ」
「…?」
「ねぇ、シュミット。僕はね。何よりも、君たちの幸せを願っているよ」
そう笑ったミハエルの笑顔は屈託がなく、シュミットはますます混乱する。
「あなたは何がしたいんだ?」
「さぁね。秘密ー」
ところで、とミハエルはスタジアムで行われているレースに視線を向ける。
「次の相手の情報は得られたの?」
急に話題を変えられて、シュミットは着いていけないと頭を振った。
******
暫くひとりで行動してみてよ。
ミハエルに言われたシュミットが、人気のない廊下でエーリッヒに捕まったのは、その日のうちだった。
「シュミット、ちょっと話があります」
「何だ?改まって」
きり、とエーリッヒは表情を引き締めている。
(モテるから、エーリッヒ)
頭の中にミハエルの声が響く。
そりゃそうだよな、この容姿で、その上優しいし、実力だってある。
なんだか自分がエーリッヒにベタ惚れしているみたいな評価だな。と、シュミットはどこか他人事のように思った。
「話って?」
シュミットは自分よりやや背の高いエーリッヒを見上げた。
シュミットの傍に立ち尽くし、エーリッヒは歯切れ悪く、「あの……、」とか「ええと、」とか言っていた。
シュミットの顔が曇った。
まさかとは思うが、ミハエルとの交際報告だったりするのだろうか。
「ミハエルか?」
シュミットは鎌をかけるつもりで名を出した。
エーリッヒがはっとした顔になる。
「……ミハエルと、何かあったのか」
「いえ。……………なにも?」
エーリッヒは曖昧に言って、口元を手で覆った。
とられた。
シュミットはそう思った。
だが、もともとエーリッヒはシュミットのものではない。
とられた、なんておこがましい。
シュミットは俯き自嘲した。
「あの。シュミット。………あなたは、ミハエルのことをどう思っていますか?」
エーリッヒは意を決したように尋ねてきた。
シュミットは、すぅ、と息を吸い、目を閉じ、
「尊敬している」
とだけ短く答えた。
「たとえば、その………恋愛感情、とかは」
エーリッヒが続けざまに訊く。
ああそうか、可愛い恋人を、私が取ると思って?
「ないよ、そんなの。……心配するな、お前たちの仲を引き裂こうなんて、思っていない」
言いながら、シュミットは泣きそうになり顔を上げられなくなった。
「?なにか、勘違いしていませんか」
エーリッヒは、そっとシュミットの頬に触れる。
シュミットはびくりと身体を震わせた。
「ミハエルに恋愛感情がないなら、僕にはどうですか」
「え?」
唐突な質問に、シュミットはフリーズし、そしてのろのろと視線を上げる。
真剣な瞳がシュミットを突き刺した。
「僕のことを、男として見てください。…あなたの、恋愛対象にしてください」
「エーリッヒ?」
シュミットの目が大きく見開かれる。
「何を言っている?それではまるで……お前、私のことを………すき、みたいじゃないか」
「みたいもなにも、好きなんですよ」
エーリッヒは少し苛立ったような、それとも切ないような、焦れた口調になった。
「うそだ」
シュミットは、エーリッヒの自分を見つめる視線から逃げきれず、目を合わせたまま唇をわななかせた。
「嘘じゃありません。どうしたら信じてくれますか」
「どうしたら、って……だって、お前みたいなやつが、私なんか相手にするわけ……」
はぁっ、とエーリッヒは大きく溜息をつく。
シュミットは、いたたまれずまた俯いた。
「僕なんかがあなたに、釣り合うわけないって、分かっています。でも、ちゃんと気持ちは伝えたかった。なのに、信じてもくれないなんて」
はっとシュミットが視線を上げると、傷ついた表情をしたエーリッヒが、それでも真っ直ぐシュミットを見ていた。
「違う、そうじゃなくて……!」
「違うんですか?」
「違う。………すまない、そんな顔しないでくれ」
シュミットは胸が苦しくなって、上手く言葉が出てこなくなった。
「なんと言えばいいのか。……釣り合わないのは、私の問題だ。私にお前は、勿体なさすぎて」
「どういう意味ですか……?僕は、遠回しに振られたんですか」
「違うっ!」
シュミットの上気した頬を、一粒涙がころりと転がり落ちた。
「その……お前が、私でいいなら。お前が後悔しないなら。私は……お前のものに、なりたい」
「!シュミット…!」
がばっ、と、エーリッヒはシュミットを抱きしめた。
シュミットは居心地悪く、身動ぎする。
「やめてくれ、エーリッヒ。こんな、抱き心地も良くない身体を」
「何を言っているんですか。最高の抱き心地ですよ」
「馬鹿なことを言うな。柔らかくもない、男の身体だぞ」
「でもあなたの身体です」
エーリッヒは熱に浮かされたようにそう言って、離してはくれなかった。
「好きです、シュミット」
******
「……以上が、今回の作戦だ。なにか質問は?」
その翌日、ミーティングで。
シュミットはいつも通りはきはきと作戦の説明をし、ぐるりとメンバーを見回した。
「はーい。質問」
ミハエルが手を挙げる。
珍しいな、とシュミットは呟いた。
「シュミットとエーリッヒは、結局付き合うの?どうなの?」
ミハエルの質問に、場の空気が凍った。
真っ赤になったシュミットが資料を取り落とす。
アドルフとヘスラーが、目を見合せ、そしてミハエル、シュミット、エーリッヒを順番に見た。
「……ええ。お付き合いしています。昨日からね」
ぐい、とエーリッヒが隣のシュミットの肩を抱き寄せて、にこやかに答えた。
「そっか」
にこにこと、ミハエルは笑った。
「そうです」
にこにこ、エーリッヒも笑っている。
だが、その笑顔が怖いと、アドルフとヘスラーは思った。
「あなたには、あげませんから」
「そう?残念」
シュミットは困惑し、エーリッヒとミハエルを交互に見、小さく「エーリッヒ?」と名前を呼んだ。
「シュミットは、僕のものですよ」
「ちょ……皆の前で、何を……」
シュミットは、もう耳まで真っ赤だ。
「かわいー、シュミット。動揺してる?」
ミハエルにからかわれ、シュミットはぐいとエーリッヒの身体を押し退けて、
「してませんっ!」
と叫んだ。
「ね、僕、予言したでしょ?」
「昨日の……!」
はっとシュミットは思い出した。
ミハエルに、もうすぐいい事があると言われたことを。
「昨日?何かあったんですか」
エーリッヒがシュミットを見る。
「言っちゃダメ」
ミハエルが、ぱちんとシュミットにウィンクなんてして見せるものだから、エーリッヒから表情がすうと無くなった。
何だこの時間。
早く解放してくれ。
そう思っていても、アドルフにもヘスラーにも、口を挟むことは出来なかった。