『──ゴーーール!勝ったのは!フランスのレ・ヴァンクールだぁ!』
ファイターの声がスタジアムにこだまする。
キャアアアアと女どもの黄色い声がうるさい。
「アーム。ほら、手を振ってやれ。ファンサービスくらいしてもいいだろう?」
ディアナに小突かれ、俺は渋々と客席に向かい手を挙げる。
きゃー!アームさまぁ!
途端に幾人かが悲鳴のようにそう叫んだ。
うんざりだ、こんなのは。
「レース、お疲れ様でした」
不意に聞こえてきた声、聞きなれたそれに俺は振り向いた。
そこではディアナが、今日の対戦相手のサバンナソルジャーズコーチ、カイと握手を交わしていた。
当然俺に掛けられた言葉だと思ったのに、カイが話し掛けたのは、ディアナだった。
──コーチとリーダーなのだから、何も不思議ではない。
「速かったですね、革命を掲げるだけのことはある。でも、次は負けませんから」
「ふふ、こちらとてそう易易と負けはしないさ」
鋭い声音でカイに答えるディアナ。
迎え撃つカイの表情は、好戦的ではあるものの、尊敬を込めたどこか穏やかさを感じるもので。
………あんなカイ、俺は知らない。好きじゃない。もっとギラギラと、全てを切り裂くまでレースは終わらない、そう言い放つカイしか、俺は知らないんだ。
「アーム。そろそろ控え室に戻ろう」
レゾンがするりと俺の腰を抱いてきた。
びくりと俺は一瞬硬直し、突き飛ばすようにレゾンの胸をドンと押して身体を離した。
試合前、仮面の下の素顔を見られ、レゾンにキスをされた屈辱的な瞬間がフラッシュバックしたのだ。
「……つれないな?」
レゾンは気にしたふうもなく、肩を竦めた。
「アーム!レゾン!早く戻って、出待ちしてるファンに顔を見せてやろうぜ」
クラージュがぽんとレゾンの肩を叩きながら控え室に戻ることを促す。
「そうだな」
レゾンはあっさりとクラージュと肩を並べて歩き出した。
俺は、というと、眩い陽射しに目が眩んだような目眩と動悸を感じて胸をぐっと押さえて立ち尽くす。
あんなの、忘れてしまえ!ほんの一瞬、唇が触れただけじゃないか!
「……あの。どうかしましたか」
「!」
いつの間にディアナとの立ち話が終わったのか、カイが心配そうな顔でこちらを向いていた。
「体調が悪いなら、救護室に行った方が……」
人の良さそうな、よそ行きの顔で、カイは
俺に話し掛け続ける。
この仮面が相当優秀なのか、カイですら俺の素顔は見抜けないらしい。
口惜しいような、それでいいような、複雑な思いで俺は唇を噛んだ。
「アーム!なにをしているんだ?戻るぞ」
助け舟のつもりなのか空気が読めないのか(おそらくは後者)、ディアナが朗らかに声を掛けてきた。
その一歩後ろに付き従っていたシャリテが、
「心配ありがとう。アームは、大丈夫」
それ以上の追求は許さない、と言わんばかりににこっと微笑んでカイの手をきゅっと両手で包み込むように握った。
キャアアアア!!!いやぁぁぁ!!!
途端に上がった悲鳴はシャリテのファンからなのか、──カイのファンからなのか。
ずるい!
離れてー!
客席の声を気にしたわけでもないのだろうが、シャリテはぱっと手を離し、ディアナの傍らにまたぴたりと寄り添う。
「シャリテ、私の目の前でひとの手を握るなんて……妬けるな」
「あら…うそつきね、リーダー。ほんとはちっとも妬いてくれていないんでしょう?」
うふふ、とシャリテはしなを作って笑い、ディアナもはははと笑う。
こいつら特有の芝居がかったやりとりにカイはぽかんとしたあと、何かまだ言いたそうだった口を閉じた。
「さあ、ロッカールームに戻ろう」
ディアナが歩きだしたから、当然シャリテもそれに従う。
俺も、ボロが出る前にカイから離れた方が良さそうだ。
そう思ったのに、カイは、「あの」と声を掛けてきた。
「……なんだ?」
「次は、負けませんから。完全なる勝利は、僕達が手に入れます」
わざわざ呼び止めて言うことはそれか。
そんなにチームが、サバンナソルジャーズが、あの女どもが大切なのか?
「それから、救護室、行ってくださいね」
付け加えられた言葉に、俺はますます苦い顔をする。
お前はそんな良い子ちゃんじゃなかっただろう?
「お前の言うことをきいてやる筋合いはないな」
わざと冷たく突き放すと、カイは少し寂しそうに眉を下げた。
「そうですけど。あなたは、僕の大切なひとにどこか似ているから、心配になってしまうんです。すみません」
ふふ、と頬を染めて笑ったカイに、どきっと心臓が鳴った。
大切なひと。そんなやつ、お前にいるのか。誰だ。
──俺、のことだろう?そうだろう?
発したはずの声は、むぐっとくぐもってカイには届かなかった。
いつの間にか戻ってきて背後に立っていたレゾンが、俺の口を手で塞いでいた。
「敵チームのコーチが、うちの参謀になんの用があってこんなに引き止めているのかな?」
レゾンはいつもの甘ったるい声で、カイに向かって言った。
「別に……大したことでは」
「ふぅん。じゃあ、返してくれよ、俺の大切なアームを」
そう言ったレゾンは俺の口を塞いだまま、こめかみにチュッと音を立てて。キスを、しやがった!
ぎゃああああああああ!!!!!スタジアムが揺れるほどの、観客の声。
「ふふ、ファンの子たち、あんなに喜んでる。な?アーム」
立て続けに今度は頬に。チュッ。と。
「……っ」
怒りよりも驚き、屈辱。それと、僅かな恐怖。俺は石のように固まってしまったが、カイは少し驚いた顔をしたものの、
「さすが、愛情表現豊かですね」
と笑うと、「お邪魔してすみませんでした」と背を向け、自分たちの控え室のある方へとあっさり去ってしまった。
嘘だろう?
俺が、お前の目の前で、他の男に絡みつかれて、あまつさえキスまでされているのに!
「さあ、戻ろうアーム」
レゾンは口を塞いでいた手を離すと、その手で俺の肩を抱いた。
ぐっと強い力の込められた手。チャラチャラと甘ったるい台詞を調子よく放つこいつからは想像しにくい執着をその手から感じてしまったのは───自意識過剰なのだろうか。それとも…自己防衛本能が警鐘を鳴らしたのだろうか。