白のプレリュード② side - 柴 八戒 八戒が大寿と久しぶりの再会をしたのは、高校を卒業した日だった。
『卒業祝いを渡したい』
高校生活最後の日、三ツ谷から送られてきたメールを見て、八戒は目を輝かせた。
都合がいい日を訪ねてくる三ツ谷に、八戒は迷わず『今日空いてるよ! 今すぐいくね』と打ち込む。ついでに千冬や武道達と卒業記念に撮った写真も添付して、送信ボタンを押した。
「タカちゃんがお祝いしてくれるって言うから、オレ先に帰るね」
千冬と武道に声をかけ、卒業証書をカバンに放り込む。元々学校には大して荷物を持ってきてはおらず、他に持ち帰るものはない。
もう何も残っていない学校を背に、八戒は軽いカバンと足取りで三ツ谷の家に急いだ。まだ昼前だ。運が良ければ、三ツ谷の作った昼食も食べれるかもしれない。
「ターカーちゃん! 着いたよー!」
僅かな下心と共に辿り着いた三ツ谷の家の前で、八戒はいつものように大声を上げた。
すると直ぐに視線を向けていた家の戸が開く。けれど中から出て来た三ツ谷は普段と違い、驚いて目を丸くしていた。
「八戒?!」
「うん! 来たよ、タカちゃん!」
「お前、卒業式は?」
「もう式は終わってたし、後はホームルームくらいだったから帰って来た」
「マジか……」
どうにも煮え切らない三ツ谷の態度に、八戒は首を傾げる。いつも笑顔で迎えてくれる兄貴分は、今日はどこか困っているようにすら見える。
「もしかして、タカちゃんオレのメール見てない?」
「メール……?」
言われた三ツ谷は、ポケットから携帯を取り出した。待ち受け画面には、新着メールの通知が一件。中身を確認してみれば、しばらく前に届いていた、八戒からのメールだった。
「悪い、気づいてなかったわ」
「ううん、別にいいよ。それより、今日は都合悪かった?」
「……そういうわけじゃねぇが……」
言いながら携帯で時間を確認すると、三ツ谷は頭をかいた。ダメな時はハッキリと言う三ツ谷にしては、こんな中途半端な態度は珍しい。
「……いや、……そうだな。夕方とかに……」
三ツ谷がそう言いかけた時、八戒の背後から野太い声がした。
「八戒……?」
それは八戒にとって数年ぶりに聞く声だった。
たった一言、名前を呼ばれただけ。けれどその一言だけで、誰の声か理解するには十分だった。
「たい……じゅ……」
絞り出すように言いながら、なんでここに? と、そんな疑問が湧き上がる。けれど驚きと共に身体が反射的に凍りつき、口に出すことはできなかった。
その様子を前に、三ツ谷は困ったように眉を寄せる。そして目を伏せ、僅かに悩んだそぶりをした後で、何かを決意したようにグッと拳を握った。
「今、プレゼント持ってくるから、ちょっとだけ待ってろ」
「え……?」
あからさまに不安そうな顔をする八戒に、三ツ谷はふわりと笑って見せる。
「大丈夫だから、な?」
それは八戒に言ったのか、さらにその後ろへと向けたのか。
咄嗟のことで振り返る勇気が出なかった八戒には、その答えは分からない。けれど三ツ谷の柔らかな笑顔を見たら、固まっていた身体は、自然と力が抜けていた。
「これ、卒業祝いのスーツな。ひとつくらいシンプルなの持ってると便利だからさ」
言った通り直ぐに戻ってきた三ツ谷は、紙袋を一つ八戒に手渡した。
中を見れば、タグのついていないチャコールグレーのスリーピーススーツと、深い海のような色のネクタイ。
自分のためだけに作られた手製のスーツが嬉しくて、徐々に表情が和らいでいく。
「すげぇ! タカちゃんありがとう!」
もっとちゃんと見たいと、スーツに手を伸ばす。するとそこで、紙袋の中にもうひとつ、小さな箱が入っているのが見えた。
「え、もしかして、まだプレゼントあるの?」
八戒の言葉に口角を上げる三ツ谷。それをイエスととった八戒は、綺麗に個装がされた小さな箱を取り出した。
真っ青なリボンがかけられたオレンジの箱。そこには、誰もが知っている高級ブランドの名前が書かれていた。
「タカちゃんこれ……」
「まぁ、開けて見ろって」
そう促され、ひとまず言われるがままにリボンを解く。しっかりとした厚手の箱を開ければ、星のような形の花をあしらったネクタイピンが入っていた。
白仕上げのシルバーで作られたそれは、マット加工を施されているせいもあり、装飾の割に落ち着いた印象を受ける。もらったスーツと合わせれば、きっと上品に纏まるだろう。
「スーツ着るってんなら、やっぱあった方がいいだろ」
「嬉しいけど……、スーツも貰った上に、こんなブランド品まで貰えねぇよ」
「いいから貰っとけって。豪華なのは、お前の兄貴が二人いるせいだから、気にすんな」
「え……」
八戒の背後から、ほんのわずかに息を呑むような音がした。
その気配に、八戒の心臓がドクンと跳ね上がる。一体どんな返事をすればいいのか。返す言葉も思い浮かばず、黙ってしまう。
「使わなくてもいいし、どうするかはお前に任せる。ただ、とりあえずでいいから、貰ってくれると嬉しい」
三ツ谷の真面目な顔に見つめられ、手の中にあるプレゼントが、急にズシリと重く感じた。
けれど思っていたほど嫌ではなく、八戒は手にした重みをしっかりと握りしめる。
「……タカちゃんがくれたのに、使わないわけねぇじゃん。……プレゼントありがと」
「こっちこそ、貰ってくれてありがとな、八戒」
そう会話をしたところで、八戒は背後から感じていた気配がふっと軽くなるのを感じた。
恐る恐る振り返ってみれば、まるで初めから誰もいなかったかのように、ただ見知った景色があるだけ。
けれど改めて前を向けば、三ツ谷が困ったように笑っていたから、ここに居たのは間違いではないのだろう。
「……今度さ、柚葉も誘って、オレとお前と大寿くんと、四人で昼メシ食べに行ったりしてみねぇ? もちろん、無理にとは言わないけど」
「……」
三ツ谷からの提案に、八戒は手の中にあるネクタイピンを見る。
言葉にするには、胸を占める感情はあまりに複雑で、直ぐに返事は出来なかった。けれど一蹴できなかった時点で、すでに答えは出ていたのだろう。
それからランチの日取りが決まるまで、あまり時間はかからなかった。
初めてランチをして以降、さらに一つ二つと積み上げて、今日、四回目の会食は、初めてのディナーを迎えた。
場所は、翌週からオープンとなる、大寿が経営するレストラン。資材が残ったりしている可能性もあるけれど、今なら貸切にできて気が楽だから。三ツ谷はそんな説明をしていたが、実際には、直ぐにでも客を入れられそうなほど店内は完成していた。
真っ先に視界に入る巨大な水槽はもちろん、高級店の佇まいに相応しく、いたるところに生花が飾られている。
日持ちがする鉢植えだけならまだしも、切花の装花まで飾ってある店内は、とてもオープン前とは思えなかった。
クリスマスシーズンが近いからか、エントランスには、白と赤のポインセチアで作られたフラワースタンド。ホールには白いポインセチアのアレンジメント。
赤よりもクリスマスらしさは薄れるものの、真っ白なポインセチアは、水槽の青を静かに受け入れホールに馴染んでいた。
きっと什器と一緒に、花も三ツ谷が選んだのだろう。
煌びやかというよりは、品良くまとまった高級感のある内装に、八戒は一人納得をする。
そんな店内を見ていると自然と背筋は伸び、気を引き締めるようにチャコールグレーのスーツの襟を正して、マリンブルーのネクタイを整えた。
「八戒、何してんだ?」
「あ、ごめん、今いく!」
内装に目を取られていた八戒は、慌てて水槽の前にいる三ツ谷達の方へ駆け寄った。
高級感溢れる店の中でも、きっと一等席だろう、巨大水槽真正面のボックス席。そこには四人分のカトラリーと白いポインセチアのアレンジメントが飾られていた。
「ほら八戒、奥行きな」
「うん」
柚葉に言われるまま、八戒は奥の席に腰掛ける。その隣には柚葉、向かいには三ツ谷が座り、大寿は一番最後、八戒とは対角上の席に座った。
八戒が大寿となるべく離れた席に座ろうとしているのを、三ツ谷も柚葉も、そして大寿もどことなく察していた。
「八戒」
「な、何?」
席に着いた途端、大寿に名前を呼ばれて、八戒は思わず声が裏返る。わざと離れた席を選んだ心中を見透かされた気がして、腹の底がヒヤリとした。
「お前、ワインは飲めるのか?」
「う、うん……。多分、大丈夫」
二十歳になったばかりの八戒を気遣うような質問に、戸惑いながらもゆっくりと頷く。
はたしてこれで返事が合っているのか。そんなことを迷っていたら、三ツ谷が話を広げはじめた。
「先月のお前の誕生日会で、いろいろ試してたよな?」
「う、うん。ビールとかは苦くて微妙だったけど、甘いワインとかカクテルとかは美味かった」
「お子様なんだから、八戒は」
「柚葉こそ、日本酒とか焼酎ばっか飲んでるとモテねぇからな」
「あ、アタシの事はいいの!」
八戒と柚葉が話している脇で、大寿がウェイターに何かを伝える。するとブドウの房のバッチをつけた店員が、シャンパンボトルを手にやって来た。
確認と説明をかねて店員がボトルのラベルを見せると、三ツ谷と柚葉は、え…、と言葉にならない声を上げ、顔を引きつらせる。
そんな二人の様子に、八戒だけは、何かおかしいことでもあったのだろうかと首を傾げた。
説明を終えると、店員は慣れた手つきでコルクを抜き、中身をグラスに注いでいく。
キラキラと煌めく泡を含んだ琥珀色の液体が、全部のグラスを満たしたところで、三ツ谷の合図に合わせて乾杯をする。
光が当たるとまるで宝石みたいだと思いながら、八戒は初めてのシャンパンを口にした。
「うわ! これ、すげぇ飲みやすい!」
甘過ぎず、フレッシュさのある味に、果物と花の香りが抜けてくる。初めて体験する美味しさに、八戒はついゴクゴクと飲んでしまう。
「シャンパンって美味しいんだね、タカちゃん」
「まぁ、だろうな……」
すぐにグラスを空にしてしまった八戒の向かいで、三ツ谷はなかば呆れたように笑った。
「タカちゃんは、シャンパン好きじゃないの? 美味しくない?」
「いや、美味いよ。ビックリするくらい」
「だよねぇ。あ、店員さん、これもう一杯ください」
気軽にお代わりを頼む八戒に、三ツ谷は思わず息を飲む。
そんな三ツ谷の様子に八戒が再び首を傾げたところで、シャンパンのおかわりと前菜が運ばれて来てた。
そう言えば、先ほどもシャンパンの話題の時、柚葉と三ツ谷は微妙な顔をしていた事を思い出す。
(このシャンパン、飲みやすいけど、実はめちゃくちゃ度数が高くて、心配してくれてるとか?)
柚葉と三ツ谷がどこかスッキリしない表情を浮かべる理由を考えながら、八戒は前菜とシャンパンを口にする。料理と合わせると、よりお互いを引き立てあうような味と香りになり、ますますグラスは傾いていく。
(まぁいいか。何かあったら、タカちゃんは言ってくるだろうし)
美味しい料理を前に、細かいことを考えるのも面倒くさくなった八戒は、そう一人で納得しながら、二杯目のシャンパンを空にした。