しゃべらねぇで、場地さん…!③(完結)「拗ねんなよ。お詫びに何でもひとついうこと聞いてやるから」
「別に……」
「遠慮してねぇで、ほら、言えって」
だから、命令されたら身体が勝手に動いてしまうと言っているのに。
無邪気に言ってくる場地は分かっているのかいないのか。
どちらとも分からない場地の言葉にまた身体を支配された今、千冬がグッと歯を食いしばろうと無駄だった。
「次に喧嘩するときは……ぜってぇ、オレのこと連れて行ってください……」
「ん、分かった。約束な」
場地ににこりと微笑まれ、千冬は顔を真っ赤に染めながら、悔しそうに唇を噛み締る。
とはいえ嬉しそうにする場地に文句が言えるわけもなく、千冬はやり場のない気持ちをため息として吐き出した。
「……つうか、これでオレが帰るって言った意味、分かりましたよね」
「まぁ、どんな状況かは分かったけどよ、帰る必要無くねぇ?」
「あります。何度もこんな命令されたら、心臓持たないっす」
一緒にいたいと言った気持ちに嘘はないが、これ以上は自分の心が耐えられないと千冬はすぐさま首を振る。
場地の言葉には耳を貸すそぶりは微塵もなかった。
「……んだよそれ。別に、オレが言わねぇように気をつけりゃいいんだろ」
「場地さんに、そんな迷惑かけらんねぇっすよ」
何を言っても頑なに首を振る親友に、場地の眉間の皺が色濃くなっていく。
千冬にこの決断をさせたのは、他ならぬ場地の一連の命令だと言うのに、本人にはその自覚はないらしい。
「いつ迷惑だって言ったよ。それくらい問題ねぇっつの」
「でも……」
本心は違うくせに。
それが分かっているからこそ、どうして素直にオレを頼らねぇんだよと、場地は面白くなさそうに唇を尖らせる。
「じゃぁ、オマエ以外のやつ誘って喧嘩して、学校行って、遊んだりしていいんだな?」
「……」
「イイかダメか、どっちかで答えろよ」
そう聞いてくる場地の目は真剣で、千冬はワザと命令口調で聞いてきたのだと察した。
こんな質問、初めから答えは決まりきっている。
千冬はグッと両手を握りしめ、勝手に動く唇に抵抗はせず、けれど渋々とした声色でその答えを口にした。
「ダメ、です……」
「ならオレが気をつける、で問題ねぇよなぁ?」
「……っす」
イエスしか受け取らない、そんな圧を含んだ声で聞かれれば、千冬は頷く事しかできなかった。
満足そうな場地が金色の頭をガシガシと撫でる。けれど千冬は素直に笑いかえすことができず、釈然としない気持ちが心の真ん中で膨れ上がる。
どうにもさっきから、自分ばかりが損をしている気がしてならなかった。
仮にこのまま一緒にいて、また何か命令されてしまったとしても、恥を掻くのが千冬であることは明白だ。
そのくせ場地が言葉選びを失敗したところで、場地自身が損をする事は考えにくい。
(なんか、ずりぃ……)
そう思って恨みがましい目を向けてみたものの、上機嫌な笑顔を返されてしまい、千冬は息を詰まらせた。
こうやって何も言えなくなる自分も良くないのかも知れないが、それでも、尊敬する相手の嬉しそうな姿に水を差す事はできそうにもない。
「つうか さっきからずっと喋ってるけど、大したことにもなってねぇし、大丈夫だろ」
「オレには十分、大したこと有ったんすけどね……」
「あ? んだよ、コマケェな。別にいいだろ。抱きつけ、とか、キスしろ、とか言ったわけじゃねぇんだから」
「えっ……」
「ん? ……あっ」
一瞬よく状況が飲み込めていなかった場地だったが、目を見開き「信じられない!」と今にも叫び出しそうな千冬の表情に、直ぐにその意味に気づいたらしい。
「マ、マジで何言ってんですか!」
「わりぃ……」
謝られても、気にしないで下さいと返す事はできなかった。なにせピリピリと痺れる身体は、既に場地の元へと動き出そうとしているのだから。
「こうなるから場地さんは無理って言ったんすよ!」
「あ?! 馬鹿にしてんじゃねぇよ!」
「どう考えてもバカでしょ!」
先程までの、迷惑をかけたくないとしおらしかった千冬はどこへ行ったのか。
けれど明け透けな態度になってしまう程、千冬には余裕がなかった。
何しろ場地からの命令を実行するまで身体の自由を取り戻せない事は、千冬自身が一番、身をもって理解をしているのだから。
「くっ……!」
場地の元へ向かってしまう身体を逆方向へと捻り、千冬は懸命に抵抗を始めた。
けれどいくら反対方向へ力を入れても、無駄だと嘲笑うように、場地の元へと身体が吸い寄せられてしまう。
とは言え止めるわけにはいかなかった。どうにもならないと分かっていても、もしかしたらと懸命に身体をよじる。
とその途端、バランスが崩れ身体が傾いてしまう。
「あっ……!」
倒れる。
そう確信した千冬は、咄嗟に目をつむった。
「千冬っ……!」
そんな千冬の耳に聞き慣れた低音が響いたと思ったら、次の瞬間にはドサッという大きな音が鳴っていた。
思いの外響いた音に驚きながらも、千冬は急いで目を開ける。
自分の身体を包む、柔らかな温もり。畳とは明らかに違うその感覚に対する予感は、目を開ければ直ぐに確信に変わった。
「場地さん! 何してんすか?!」
「何って、オマエがコケるからあぶねぇと思って……」
「こんな庇い方して、場地さんが怪我したらどうすんですか!」
場地に抱きかかえられるように助けられた千冬は、その勢いで尻餅をついてしまった場地が心配で仕方がなかった。
自分の不注意で大切な人が怪我をしてしまったら、後悔してもしきれない。そんな思いから、千冬の語気が荒くなる。
「大丈夫だって。ちゃんと尻から転んでるし。オマエと違って鍛えてっから」
慌てる千冬とは反対に、場地は落ち着いた表情でフッと笑うと、まるで猫でも宥めるかのように金色の頭を撫で回した。
「ちょっと、やめて下さいっ。つか、誤魔化さないで下さいよ!」
「誤魔化してねぇよ。本当だっつの。喧嘩の時だって殆ど怪我しねぇの知ってるだろ」
「それはそうっすけど……」
心配が見え隠れする声音で言いながら、千冬はゆっくりと場地の背に手を回した。
それが怪我を探るような手つきに感じて、場地は安心させるよに千冬の顔を覗き込む。
「だから、どこも怪我してねぇって」
「いや、あの……、怪我はもちろん心配なんすけど……、これは、身体が勝手に……」
言うと同時に、千冬の両腕がギュッと場地を抱きしめる。
「あっ、さっき言った事、まだ効いてんのか……!」
「効いてますね……。言われた通りに動くまでは……」
その言葉通り、千冬の身体は遠慮なく場地に擦り付き、より密着するように両腕でしっかりと抱き込んでいた。
「……ってことは、もしかしてもう一つのも……」
「はい……。後それしか残ってないです……」
「……」
二人揃って、まるで死刑宣告でも受けたかのような青ざめた顔を浮かべると、直ぐに距離を取ろうと身体を動かす。
けれど普段からは考えられないほど千冬の力は強く、場地の身体を離さない。
「クソッ、まじか」
「ど、どうしましょう、場地さん……」
「どうしようったって……」
いくら頑張っても、千冬の顔は命令を完遂しようと勝手に場地へ近づいていく。
慌てた場地がいくら離れようとしても、それは千冬の両腕に阻まれてままならなかった。
それどころか二人の顔は近づくばかりで、次第に場地の視界は困り顔で瞳を潤ませる千冬で埋まってしまう。
そんな千冬の視界も、焦りから珍しく余裕のない場地の顔で満たされていた。
二人の喉が、思わずゴクリと鳴る。
近い、近い、近い。
突然の事態に、二人の頭は既に正常に動いてはいなかった。
状況は理解をしているのに、どうしてか相手の表情が強く心に突き刺さって、身体が抵抗を忘れている。
視線は釘付けになり、体内を巡る血液がじわじわと沸き立って、全身が熱くなっていく。
このままではマズイ。
鼓動はまるで警鐘のように早鐘を打つものの、逆転の一手は何も思いつかなかった。
もう鼻も触れそうな距離だというのに、ろくな抵抗も出来ず、唯一の救いといえば不快に感じない事くらいだ。
そこでふと、二人は同じ疑問が頭に浮かぶ。
ーー あれ、でも、嫌じゃねぇなら、なんでマズイんだ?
どちらとも言えない心の声が、お互いの瞳に現れ絡みつく。
心の奥底からドクンドクンと高鳴る音に、身体は震え、脳が痺れる。
そして答えは導き出せないまま、二人の距離はゼロになる音がした。