捕食 暗いジメジメとした自室。年中つけっぱなしのエアコン。手の届く距離に置かれた必需品。僕の城。いや、寮だからいずれは手放すわけだけど。でも3年もほぼ自室にいれば実家も当然。むしろ実家より安心感がある。部屋の主、イデア・シュラウドはパソコンから顔を上げるとゲーミングチェアをギシ、とならし背中を伸ばした。オンラインゲーム、特に最近リリースされたMMOは時間が溶けるのが早い。資金調達、オンライン交流、ギルド戦などなど、1日24時間あっても足りない。
ふとタブレットに目をやると新着メッセージが一件来ていた。1時間前に入っているメッセージは『これから会える?』だった。バスケットシューズがアイコンの、フロイド・リーチからだ。イデアは『気づかなくてごめん いいよ』と返信すれば、ものの数分で既読がつき『雪で遊んでた!』と返される。カーテンを少し開けると、少しばかり雪が積もっていた。1時間も外に居たのだろうか。それは悪い事をしてしまったな。イデアはこれから来る客人のためにエアコンの温度を2度上げた。
イデアとフロイドの意気投合はひょんな事から始まる。2年と3年の合同授業でイデアとフロイドはペアになった。その時のイデアはタブレットでの参加ではあったが、2人は難なく錬金術の課題をこなし他の生徒の完成を待っていた。フロイドがふと「暇だな」と呟いた。それもそうで、今回の課題となっている鉱物の錬成はとっくに出来ており、することといえば実験器具の片付けぐらいであった。ほかの人たちはと言うと、あぁでもないこうでもないと試行錯誤の最中。つまりはイデア・フロイドペアがあまりにも早く課題を終えてしまったのだ。フロイドが暇で段々機嫌が悪くなっていくのをタブレット越しでも察知したイデアはついでまかせに「面白いこと出来ますぞ」と言ってしまった。余った材料を違う手順で鍋の中へ入れ、やがて出来上がった鉱物をもう一度他の材料と混ぜ合わせて……。ここまで来ると察しのいいフロイドはイデアが何を作るか分かったらしい。ゴーグルを掛けて2歩後ろへ下がる。
「それじゃあフロイド氏、最後の大役は任せましたぞ」
そう言うとイデアのタブレットもまた、フロイドの陰に隠れた。フロイドはにまりと笑って魔法を唱えた。ボンッッッ!と音がして大釜から花火が次々に上がる。降ってくるのはレアメタルやら希少鉱石で、アズールに渡したら喜びそうな代物ばかりだ。
「アハ!すげ〜ホタルイカ先輩!どうやって調合したの?!」
「一つ一つの材料の価値をアップグレードさせると出来るんですわ、ちな呪文は自作」
「すっげ〜〜〜!!!!!」
ド派手な花火を起こし、バラバラと鉱物を錬成し続けるイデア・フロイドペアにクルーウェルの怒号が飛ぶ。
「BADBOYS!!勝手に課題以外のことをやるな!!」
二人してめちゃくちゃに怒られたものの、どうやらフロイドはイデアの事をいたく気に入ってしまったらしい。そう言えばアズールが「フロイドは自分より秀でている人に懐きますよ」と言っていたことを思い出した。
え、もしかして拙者がフロイド氏の中でふーんおもしれぇ男認定されちゃった……?
どうやらイデアのその読みは当たっており、何かとフロイドがちょっかいを出すようになった。タブレット通学していれば「その仕組みどうなってんの〜」とタブレットを隅々まで観察されたり、合同授業があれば真っ先にペアを組みにやってきて「また面白いことしてよ」と強請られる始末である。
ある時イデアがどうしても走らなくちゃいけないゲームのイベント前にフロイドに捕まり、早く帰りたい一心で「そんなに知りたいならまた後日寮に来なよ…教えるから…」と言い残し、そそくさと帰った事があった。その2日後、本当にフロイドが寮、しかも自室に訪れるとは思わないじゃないか。モストロラウンジのシーフードキッシュを片手に191cmの男が自室の扉の前に居たのは今でも夢に見る。その日、部屋に上がったフロイドはイデアの部屋を隅々まで探索し、キッシュを食べ、オルトと雑談して帰った。
それから数回、イデアはフロイドを自室に上げているし、なんなら連絡先まで交換している。コミュ障が大した進歩である。接してみるとフロイドは思っていたより大人だった。かなりの気分屋ということを除けば、自分が何故怒っているのか、嬉しいか、接して欲しくないかの理由を言うし、相手の秀でている所は素直に賞賛する。そして、自分もやると決意すると寝食を犠牲にして努力出来できる子だった。
イデアの中でフロイド・リーチという存在は日に日に大きくなっていった。子供のように真っ直ぐな姿が、イデアの兄心的なものを揺さぶったのだと思う。何回か自室に上げ、ゲームや適当な時間を過ごしているうちに、何だかそれだけでは足りなくなった。人間は欲深い。近くで見ていた花を今度は自分のものにしたくなるのだ。
そんな訳で、後輩に下心を持っているイデアは今日も今日とて相手が甘えてくるのをいい事に、自室に上げるのであった。設定温度を2度高くした室内はイデアにとっては少し暑く感じ、厚手のパーカーを脱ぐ。長Tシャツ1枚でMMOの資材集めに勤しんでいると、ドアを叩く音が聞こえた。鍵がかかってないことを知っている彼はノックした後普通に部屋に入ってくる。前までは何のアポも無しにやって来たから大した成長だ。
鼻の頭と耳を真っ赤にしたフロイドが少し湿ったターコイズの髪をプルプルと払った。そして「この部屋あちぃ」と呟く。
「い、いらっしゃい…あ、こら人間は濡れたままいると風邪引くから…着替えは?」
「ないよ」
「じゃあ…僕ので良ければ貸すから…濡れてるもの脱いで。エアコンの下にでも置いておけば乾くでしょ」
イデアは先程まで自分が着ていたパーカーを差し出す。あ、でもこれまずかったかな。さっきまで自分が着てたもんな。でもフロイド氏の背丈に合うのってこれしかないんだよなぁと考えていると、平然とした顔でフロイドは既に袖を通していた。
「ごめんそれさっきまで僕が着てた……」
「いーよ別に。ホタルイカ先輩の匂いする」
ひょえ。喉から変な声が出た。リアルでそんなセリフ言える人いるんだ。フロイドが自分の着てた服を温風の当たる所へ置く。視界の端でちらっと見えてしまった。
「フ…フロイド氏…スラックスは…?」
「びっちょだから乾かす」
フロイドはその白くて長い生脚をイデアの紺色のパーカーから伸ばしていた。イデアが着てもオーバーサイズなそのパーカーは、フロイドにも多少大きいようで、ミニスカワンピースみたいになっている。いや、目のやり場に困る。これが俗に言う彼シャツならぬ彼パーカー?そんな関係じゃないけど。フロイドがイデアのベッドにごろりと転がる。いつもの定位置だが、今回は格好が格好なので邪な気持ちが抑えられない。小悪魔というか悪魔だ。インキュバスだ。童貞を虐めてくる。
再度言おう。イデアはフロイドに下心を抱えている。イデアとて年頃の男。絶好の餌を目の前にして我慢できない。某怪盗ごとくダイブしてやろうかと思ったが如何せん勇気がなかった。このくそ童貞陰キャコミュ障!イデアは元気になったイデアジュニアを隠すためゲーミングチェアの上で片膝を立てた。
しばらくフロイドの漫画をめくる音と、マウスのクリック音、エアコンの風の音だけが部屋に響く。ちらり、と何気なくフロイドの方を見てみるとうつ伏せになり、足を曲げて足の裏が点を向いている状態だった。パーカーの隙間から、紫のボクサーパンツが見えた。イデアはぎゅるっと頭を元の位置に戻す。心臓が頭にあるのかと言うくらい鼓動がうるさい。
(お、襲いて〜〜!!!!!)
イデアにも理性はあった。ここで襲ったら不合意、レイプ魔、相手はあのオクタヴィネル寮。イデアはもう何も手につかなくなっていよいよ椅子の上で体育座りをして頭を膝に突っ伏した。
「ホタルイカ先輩?具合悪い?」
ぎし、とベッドから軋む音が聞こえる。あ、やめてこっち来ないで。フロイドがすぐ横まで来た気配がした。
「ホタルイカ先輩?」
ちら、と横目で見ると丁度すらっと伸びた足が目に飛び込んできて再びぎゅうと目を固く閉じる。フロイドには悪いがこのままシカトを決め込んで……。
「…ホタルイカ先輩の意気地無し。つまんねぇの、俺帰る」
「え?!?!!?」
「あ、何だ生きてんじゃん」
「い…意気地無しとは一体…あの…フロイド氏の気に障ることしたなら謝りますので…」
「…いや、なんつーか」
そう言ってフロイドが言い淀む。部屋の照明が逆光になっていて表情がよく分からない。
「…人間ってこういうの好きなんじゃねぇの?」
ぴら、とパーカーの裾を掴む。もにょ、とフロイドが更に続けようとして言葉を飲んだ。
「いや、いや!人間、特に男はそういう格好に弱いですぞ、同人誌でもよく彼シャツやら彼パーカーなどがジャンルとして確立されてるぐらいでもありますし…でも女性が好ましいというか、いや拙者は全然別にどっちでも美味しく見させていただきますけどもはい」
「ホタルイカ先輩は」
「はい?」
「ホタルイカ先輩は俺のこの格好どう思う」
イデアは天を仰いだ。これは挑戦状か。無理っすわwwなんて言った日には彼の兄弟や幼なじみにボコボコにされそうである。逆に似合ってるよ、っていうのもおかしな話ではないか。フロイドが一体何を求めているか分からない。コミュ障には難易度が高いよこの質問。
「…ど、ドスケベだと思う?」
「ドスケベ」
「あ゚ッッッ!待って気分を害さないで欲しいんだけど、ほら!フロイド氏足が長くて白いから!ほら拙者のパーカーがより短くなってワンピースみたいだなって!!あ!違う!ダメだ殺してくれ!!」
口が滑ってどころの話じゃない。口が厄災だ。もうダメだ。そんなイデアにお構い無しにフロイドは再びもにょりと口を動かす。
「もっと近くでよぉくみてよ」
「は、はひ…」
「どぉ?」
「正直興奮します…えっちです…」
「そっか」
「はい…気持ち悪くてごめんなさい死にます…」
「えっちする?」
「はい……え?っえ、は?」
うちゅ、と額に柔らかな感触。あれ、なにこれ。フロイドは今までに見た事ない柔らかい顔でイデアを見下ろしている。
「えっち、すんの?しないの?」
「え、いや…あの、からかってるならやめてもろて…笑えないジョークですぞ」
「あ?オレが冗談で交尾すると思ってんの?」
「えっいや!そうじゃないけど、その、そんな都合のいい世界あっていいんかって…」
「もうまどろっこしいな…ホタルイカ先輩はオレとえっちしたいのしたくないの?!」
「し、したいです!出来ることなら夢でもなんでもいいんで!」
「必死かよ」
ふは、とフロイドが破顔する。タレ目のおかげかその顔は幼く見えて可愛いとさえ思った。やっぱり、フロイドのことが好きだ。
「いいのフロイド氏」
「ホタルイカ先輩だから、いいよ」
うぬぼれていいだろうか。ええいままよ。イデアはチェアから立ち上がる。フロイドは後ろのベッドに身を投げて、その長い脚でイデアの腰を引いた。