ちょうぎが花を吐く話最近長義が政府へ出入りしていると聞いた。普段から特に会話はないが、会えないのは寂しいものだな…と思っていたある日。国広は主の部屋から出てきた長義を見かけるが、それはこの本丸に所属している長義ではないと本能で悟った。纏っている雰囲気が違う気がする。廊下で見かけすぐに詰め寄り「あんた…この本丸の本歌じゃないな」と問い詰める。長義はしばらく国広を見つめて小さく肩をすくませた。「…さすがにバレるよね」あっさりと認めた。「俺はこの本丸の山姥切長義に頼まれてここに通っているだけなんだけれどね」「本歌が政府に出入りしている理由を知っているのか」よその長義は困ったように笑う。「知っていると思うけれど、俺はとてもプライドが高い」「ああ」「…そういうことだ」「話が見えないな」「霊脈を知っているかな。霊力が弱った時にそこへ行けばその土地から湧き出す霊力を得て自分の霊力を取り戻せる」「聞いたことはある。確か本丸の裏山にもあると……もしかして、本歌はそこにいるのか」「お前にその気があるのなら、行ってみてはどうかな。俺はオススメしないけれどね」
国広は駆け足で外へ出た。馬小屋から勝手に馬を拝借し、飛び乗って本丸裏の山へ向かう。山の入り口までは馬で行けたがそこから先へはある木でなければならない。国広は馬を置いて自分の足で向かうことにした。草木をかき分けていくと、木にもたれかかっている人影をみつけた。「…本歌、なのか」と近づく。即座に「来るな!」と怒鳴られ、その気迫に身体が強張った。ごほごほと苦しそうに咳き込む彼は紛れもなく自分の所属する本丸の本歌山姥切に違いない。「体調が優れないのか?薬研に看てもらった方が…」とゆっくり近づき、肩を掴み顔を覗き込もうとしたときだった。長義の口からハラリと菫のような小さな花弁が零れ落ちるのを見て、国広は目を疑った。ただ事ではないと察するも、長義はその場から動こうとはしなかった。ただ一言「……帰れ」と吐き捨てる。「…俺にできることはないのか」と聞いても答えてもらえない。長義は明らかに国広がここへ来てから咳が酷くなっている。それに気付いた国広は沈痛な顔をしてひとりその場を去り、とぼとぼと本丸へ帰ることにした。待たせていたはずの馬は帰ってしまっていた。「あれはプライドが高いから、お前には絶対に弱いところを見せない」いつの間にか隣にいたのはもう一人の長義だった。「…教えてくれ。あれはどうすればいいんだ」国広の言葉にもう一人の長義は苦笑した。「そうだね……接吻でもすればいいんじゃないかな」あっけらかんと他人事のように言う。「せ……っぷん?」「口づけ。キスだよ。知らないのかな」「いや、知ってはいる…が……そんなことをしたら、あんたは怒るだろう」「お前にその覚悟があるなら」その言葉に国広は立ち止まり、踵を返した。もう一人の長義は国広の背中を見送った。「…そうだよ、結局は笑い話になるんだ。やれやれ、とんだ面倒な同位体だよ」そう呟いて本丸へ戻っていくことにした。
先程の場所まで全力で走った国広は息を切らせながら、長義に駆け寄った。その肩を掴み、ぐいっと自分の元へ引き寄せる。怒られるだろうか。写しである自分が、この美しい本歌に対してこのようなことをするのは、あまりにも無礼ではないだろうか。色んな考えがよぎったものの、咳込みすぎて目に涙を溜めてぜえぜえと息を乱している、今にも泣きだしそうなその顔を見て、思い切って顔を近付けて触れるだけのキスをした。長義の目が見開かれたが、すぐに目を細める。互いに顔を離し、息を整えながらじっと互いの顔を見る。あんなに酷い咳をしていたのに、それはいつの間にかおさまっていた。本当にキスで治ったのだろうか。長義の顔をぺたぺたと触っていると、ぺちっと手を叩かれた。「…しつこいぞ、偽物くん」弱々しくも、いつもの言葉が返ってきたのだ。良かったと安堵した国広は弱々しく笑っていた。菫の花弁が一枚だけ、風に乗ってどこかへ消えた。
後日。万屋に遣いに来た国広は、あの時に助け舟を出してくれたもう一人の長義に声をかけられた。「その様子だと解決したみたいだね」「……ああ、おそらく」「そうか」「なあ、あんたは知っているのか?どうしてあんな…花弁を吐くような症状を患っていたのか」その言葉にもう一人の長義は答えない。「しっかり患っていたんだ、どこかの誰かのせいで」「?」腑に落ちない顔をしている国広に対し意味深に微笑みながら、もう一人の長義はその場を立ち去った。
(恋煩い、だなんて、そんなことを彼に知られたら正気でいられないだろうな)