花屋の君③「いらっしゃいませ、七海さん。片付けますので少し待って頂いても良いですか?」
来店するとレジ前には細長い箱が二個積まれていた。
「大丈夫ですが…これは?」
「今日は生花の仕入れの日で、この箱の中に生花が入ってるんです」
ひとつの箱をパカっと彼が開いて見せてくれる。その箱には赤薔薇が収まっていた。
「この生花をキーパー…お花用の大きい冷蔵庫みたいな機械へ水に浸した状態でこの後入れるんです。ちょっと箱どかしますね」
細い腕で二箱を持ち運び店の奥へと持って行く。キーパーの中を見ると今日も花が綺麗に咲いている。
「お待たせしました。今日は花束三つでよかったですか?」
「はい、お願いします」
花束を取り出し、リボンをつけていく所を見ていた時だった。
「いっ…!」
リボンに触れていた手が熱いものに触れてしまった時のように瞬時に離れる。
「どうかしましたか」
「あ、いえ…ちょっと、切ってしまって…」
よく見ると右の人差し指が切れて血が出そうになっていた。鞄の中に何かあった時の為と準備している絆創膏を取り出す。
「貼りましょうか」
それを見て「準備が良いですね」と困ったような顔で微笑む。
「指、出してください」
そう言うと伊地知くんは右手の人差し指を左手で隠した。
「あの…」
顔が赤くなってゆき、言葉の歯切れが悪い。そこで絆創膏くらい大の大人は自分で貼れるし、わざわざ貼ってもらう必要はないという事に気づく。
『しまった、引かれた』と思っていると彼が話し始めた。
「手が…荒れていて…あまり、見れたものでは…ないのですが…」
そう言って右手を私の前に出す。人差し指以外の指先も血は出ていなかったが治りかけの指や赤くなっている指があった。
「見苦しくてすみません…」
赤くした顔を俯かせて小さく言う。
花屋は水を扱う仕事であることは知っている。特に今日は生花の仕入れという事もあり水を扱う機会が多かった為に今回指が切れるきっかけになってしまったのだろう。
だが、それは彼が仕事をするために当然のことだ。そうするからこそ、彼は綺麗な花束を作れるのだ。
「見苦しくなんてありません。むしろ素晴らしい手だと思います」
「え…」
人差し指から出ている血をティッシュで拭い、絆創膏を巻く。
「この手から花束やリボン、ポプリが作られている。それを知っている私からしてみれば素晴らしい手です」
水で冷えている彼の手を離して彼の顔を見ると変わらず真っ赤なままだった。
「すみません、差し出がましい真似をしました」
「い、いえ…ありがとうございます」
彼は作業台へと戻り、花束にリボンをつけてゆく。そしていつものように領収書を書いてもらい、受け取った。
「伊地知くん、先日五条さんが来たでしょう」
「はい。確か七海さんにミニサボテンを…」
「受け取りました、ありがとうございます。あの人、何か迷惑かけたり失礼な言動をしたりしませんでした?」
「いえ、そんな迷惑とか失礼な事はなくて…初対面なのに私の名前や七海さんの名前が出てきて、びっくりしました。七海さんの会社には色々な方がいらっしゃるんですね」
赤みがひいた顔で笑って彼は言うが初対面の人間に当然のように私の名前や彼の名前を呼ぶなど、失礼以外のなにものでもない。
はぁ、とため息を吐き用意していた紙袋をレジ台の上に置く。
「ささやかな物ですが五条さんがご迷惑をおかけしたお詫びが三割、あと七割はお礼です」
「お礼?」
「ポプリのお礼です。今は車の中に置いて使っています。タダで貰ってしまったのは心苦しかったので」
箱に入った花束を持ち上げると、彼は「七海さん…私は貴方から貰ってばかりです」と後ろから話しかけたので振り返る。
「伊地知くん?」
「初めていらっしゃった時から、貴方は私に嬉しい言葉を下さいます。それで私はたくさんなんですでだから、貰いすぎな…気がして」
彼の目から涙が落ちる。ぽろぽろと泣き始めるものだから箱を置いてハンカチを渡すと「持っています」とエプロンから青いチェックのハンカチを取り出し、眼鏡を外して涙を拭いた。
「七海さんが下さる言葉…全部嬉しいです。嬉しすぎて毎日思い返すくらいに…でも、今日の言葉が一番嬉しかったです」
少し赤くした目で恥ずかしそうに、にこりと笑う。その顔に胸がぎゅっと締め付けられる。
「こちら、ありがたく頂きます。すみません、恥ずかしい所をお見せしました」
「いえ…また、よろしくお願いします」
箱を再び持ち上げ店を後にする。先程見た嬉しそうな彼の笑顔が脳裏に焼き付いて会社に帰っても消えなかった。
〜伊地知視点〜
帰宅して七海さんから頂いた物を見ると美味しそうなお菓子が入っていた。
コーヒーを入れてリビングのソファに座り菓子をひとつ開けていると、今日七海さんが巻いてくれた絆創膏が目に入る。
『この手から花束やリボン、ポプリが作られている。それを知っている私からしてみれば素晴らしい手です』
その言葉を思い出してソファのクッションに頭を埋める。あんな事言われたの初めてで大の大人がお客様の前で泣いてしまった。
ハンドクリームを仕事終わりに塗ってはいるが、それでも日々の業務があるのでカバーしきれない。それでも、見苦しくないと言ってくれる人がいる。
『七海さんが下さる言葉…全部嬉しいです。嬉しすぎて毎日思い返すくらいに…でも、今日の言葉が一番嬉しかったです』
思わず七海さんにお礼を言ってしまった。気味が悪くなかっただろうか。
貴方の言葉、それがどんなに心の支えになっているかを、まだまだ伝えたりない。
また思い返すと泣けてきたのでクッキーを食べたが、甘いはずのクッキーは涙のせいでしょっぱく感じた。