Δドロ闇オク 吸対、とは言っても決して一枚岩ではない。ドラルクの立場は、たかが一部隊を取り仕切るだけのものであり、敢えて自ら苦渋を飲むこともしばしばあった。ドラルクは手段を選ばずこの立場に上り詰めた。ドラルクはこの世界での出世を最大の目標としており、その手の中には確かにそこへ至るために、この混沌とした機構の中に置いて決して切れることの無いアリアドネの糸を手にしている。必要な父の権力を笠に着れる時は着るし、無能は切って捨てる冷酷さもあった。
総勢数百人の吸対部隊が席を埋める講堂の中で、進められる作戦概要の説明にドラルクは酷い頭痛を覚える。その痛みが、ダンピールとしての能力を使ってのものでは無く、精神的なものだと自覚していた。
「本作戦において作戦本部は新横浜警察署に置かれる。作戦を取仕切るのは、同じく新横浜署の吸血鬼対策課本部長である――」
もはやその名すら聞きたくないドラルクは目を閉じる。父の親友であり、かつての自身の師とも言える男――あの歯ブラシ髭野郎が、今回の作戦を取り仕切っていることを知ったのは一週間前のことだった。
あの男がわざとらしく新横浜署の吸対本部長というしようもない席に座っているのは、全て親友であるドラルクの父のためなのだ。決して弟子可愛さによるものではない。もしもそんな気持ちがびた一文でも存在するのならば、ドラルクは熨斗をつけて突っ返してやりたいほどだった。それほどに、「今回の作戦」については、ドラルクは腸が煮えくり返る思いでいる。
「では、作戦の概要について説明する。各自手元の資料を開け」
広い講堂に聞きたくもない声が響き、ドラルクは腕を組んで、静かにその指示を拒否した。マイクを受け渡されたのは他でもないその本部長だ。そして、資料など見なくとも、既にドラルクはこの後説明されることを知っている。
何故なら、その作戦の尖兵が他ならぬ自分自身と――自身に協力している吸血鬼だからだった。
――一週間前。
「以上だ、なにか質問はあるか」
その端的な言葉と共に、ドラルクは渡された資料の草案を遠慮なく握りつぶしていた。
「論外ですね」
凍りついた空気にヒビが入る音を、その場にいた誰もが聞いた。
「違法に捉えられた吸血鬼たちの売買取引の調査を進めていたのは私の部隊です。こんな作戦とも言えない作戦の立案をしたのはどこのどなたでしょうな」
「吸対第三部隊隊長だ。失礼なことを言うんじゃない、ドラルク。彼はお前よりも経験があるだろう」
ドラルクはちらと視線だけを、名指しされた当の本人に向ける。間もなく定年を迎えるほどの年嵩だろう男は、得意気に口角だけを上げてドラルクの視線を見返した。
「この様な現場を無視した作戦が何故適用されるのか、説明していただきたい。しかも、第三部隊が私の第一部隊を勝手に作戦に組み込み使用するなど、以ての外では?」
「お前たち第一部隊と第三部隊に優劣をつけた覚えはないぞ、私は」
本部長は、ぎしと椅子を軋ませてその長い足を組んでドラルクを睥睨する。ドラルクは表情を変えることなく、しかし内心で自身が感情的になったあまりに失言したことを歯噛みした。
「今回の作戦本部はこの新横浜署に置かれる。作戦の指揮権は私にある。そしてお前の提出したものも含め、立案された作戦の中から、私が採用したのが彼のものだっただけだよ、ドラルク」
一時の静寂が会議室の中で流れた。静まり返ったそこで、本部長と第一部隊長の間に張られた糸を切れるものは誰一人としていない。
たった一人を除いては。
「いいぜ、俺は」
その声はドラルクの足元から響き渡った。
ぞる、と綺麗に整列した毛並みを逆立てるようにして、それは姿を現していく。
銀糸の髪に、青い瞳。黒衣を身に纏った人ならざるものに、にわかに会議室がざわめいた。
「だって、悪いやつらに俺の同胞が売り買いされてるんだろ?」
形を成せば、その姿は二十代そこそこの、幼さを残した青年にも見える。しかしその異形は、数年前にこの地に「大侵攻」と呼ばれる災害を齎した吸血鬼群の一翼を担った存在だった。ドラルクが伴い席を埋める第一部隊隊員以外の者は、席こそ立たないが身を捩ってその姿に顔を引き攣らせる。
「……ロナルド君、出てきちゃダメって……」
「協力感謝するよ、ロナルド君」
第一部隊の者たちと同様に、本部長は微動だにせず、ドラルクの言葉に割行って、柔和な笑みを影から現れた吸血鬼――ロナルドに向けた。
「お前のためじゃねぇよ」
ロナルドは本部長からふん、と顔を背けると、ドラルクの背に回って抱き着いた。
「つまりさ、俺がドラ公に飼われてる吸血鬼のふりしてそのオークションに出て、隙をついて暴れるだけだろ。その間に、ドラ公とかマナとかミカが上手いこと証拠を取って、そこに来たヤツらを一網打尽にするってことでいいんだよな?」
「……まぁ、そういうことだよ」
「おもしろそうじゃん」
ドラルクが回された腕に手を添えながら頷くと、ロナルドはドラルクの耳元でくふくふと笑って、享楽的な笑みを浮かべた。
「まぁ人間にとっ捕まるような、よわっちい同胞とか割とどうでもいいけど、俺たちのハクが下がるようなことになってるならぶっ壊してやりたいし、上手いこと行けば死んで甦れるかもしれないじゃねぇか」
「……君ねぇ」
「心配すんなよドラ公。俺のこと殺していいのはお前だけだから、簡単に死にはしねぇから」
「そうじゃなくて……」
ロナルドは上機嫌のようで、きゃっきゃと幼子のようにはしゃいでいる。反してドラルクは、内心でもはや諦観するしかなかった。「餌」となる当の本人がこんな発言をしてしまうことも、本部長の作戦に組み込まれていたのだと実感するしかない。
「頑張ろぉな、ドラ公」
ドラルクは一刻も早くこの会議を終わらせたかった。確かに最近ロナルドに頼むことといえば、下等吸血鬼の駆除任務ばかりだった。同時並行で進めていたの吸血鬼の違法取引現場についてのことが、ロナルドの耳に入れば結果的にこうなることは明確だったかもしれない。
「……了解しました、本部長殿」
「ああ」
向けられたにやけヅラに、沸騰したお湯でも掛けてやりたい程の腹立たしさをこめて、ドラルクはにっこりと笑みを浮かべた。もう一言二言でも嫌味を告げてやろうと口を開きかけた。しかし、ロナルドの腕が首を締め付けてそれを阻まれる。その締め付ける力の強さにドラルクは目を剥いた。
「それよりもさドラ公!今日のおやつ何?俺、アレ食べたい!あの中にクリーム入っててさ!外がふわふわでさ、あのおいしいやつ!」
「ろ、なるど、くんっ、待っ……苦し……!」
その様を見た本部長は、ほくそ笑む表情を落胆に変えて、ため息を吐く。彼は彼として、愛弟子が晒す体たらくには言葉を選ぶしかなかった。
「……イチャつくのは家に帰ってからにしてくれないか、ドラルク」