Nonverbal:司レオ 手を伸ばしたい、と思ってしまったのは、ただ距離が近かったからではない。
これはただの弁明ではなく、ある種の切実さを伴った本心だった。
♪
常々、隣に並び立ちたい、と司が願ってやまないその人とは、時折まるでラジオの周波数を捉えるかのように、ぱちりとフィーリングが合う瞬間がある。
あるとき司は、「ああ、自分はこの人のことが好きなのだな」とふと理解した。
そして同時に、ちょうど目の前にいた月永レオその人に、きっとこの情動を悟られてしまったことを感じた。
錯覚のように不確かなその感覚は、結局のところ、相手への「理解」とは程遠いところにある。
分からない。
――レオが司に、ごく近い距離で接し続けている理由が。
だって、彼はきっと、司の気持ちに気が付いているのだ。
そのことに、言葉では説明し得ない確信を持ってしまっている分、困惑ばかりが深まっていた。
今日だって、ほら。
「……だからさ、ここのところの〜」
司の寮室に誰もいないのは偶然ではあったけれど、決して珍しいことではない。各々が多忙な人気アイドルであるからして、今日もまたそれぞれから、帰りは日暮れ過ぎになるだろうと情報共有を受けていた。
レオは、司と並んでベッドに腰掛け、肩に腕を回すような形で密着しながら、手元の楽譜を覗き込んでいる。跳ねる髪が頬に当たって、こそばゆいくらいには距離が近かった。
「……って感じで!」
「ええ、伝えておきます」
レオの視線が上がって、当然のように至近距離で目が合う。鼻先が擦れそうな――舌を伸ばせば届きそうな、そんな距離だ。
この人がいま何を考えているのか、やはり司には到底分からない。
これだけの距離を許されているからには、司への忌避感などはないのだろうと安堵するけれど、反面、自身の気持ちを取るに足らないものと認識されているようでもあり複雑だった。
こういう時、司はどうしても少しだけ思考に沈みながら、彼の唇に意識を向けてしまう。
――ああ、きっと自分は、これが欲しいのだ。
こくり、と注意深く喉を鳴らした。ほんの少し、意思を持って身体を動かせば手に入るような気がしてしまう。そんな単純な話ではないのに。
どうにも思考が良くない方向に向かいつつあっていけない。そうして、意識的に視線を逸らそうとしたタイミングで、ベッドのマットレスがほんの少し傾いた。――レオが体重をかけて、重心を移動させた側に。
「……は」
一瞬だけ、細められた緑の瞳が視界に入って、唇に柔らかな感触があった。
彼の髪の香りがふわりと漂って、鮮やかなオレンジ色が目の前に広がる。
呼吸が止まる。永遠のように感じる。
それでも、ゆっくりと離れていった唇に正気を取り戻した時、特段息が切れていなかったことを思うと、ごく短い間の出来事だったのだろう。
レオの顔は、唇を離してもなお近い位置にある。司の身体に体重を掛けたまま、肩に顎を乗せている。
「したいのかなって! ……違ったか?」
「は、いえ……は⁇」
レオは普段通りの体でにかりと笑った。
「……レオさんは、その……誰とでもこういう……? いえ、まさかItalyでは挨拶程度なのですかっ?」
「……ん? そんな訳ないじゃん! 海外だってこういうちゅ〜は恋人としかしないぞ」
混乱のまま問えば、さらに頭をかき混ぜられるような返答があって、訳が分からなくなる。
「……私とレオさんは、そういう関係ではなかったと記憶しているのですが……?」
「えっっ」
弾かれたように顎を浮かす様は、少しだけ動物じみている。人懐っこい猫とか。
「でも、スオ〜っておれのこと好きだよな?」
「はあ……っ⁈」
「えっ……きらいなのか?」
あけすけな問いに反射的に声を上げると、悲壮感のある声色が返ってくる。普段勝気な眉がへにゃりと下がるその様に、司の胸は否応なく痛んだ。
覚悟を決めるように、一呼吸分の息を吐き出す。
「……好きです。その、恋愛感情として」
確信はあったのだろう。司の言葉を耳にして満足げに頷くレオに、若干嵌められたような感覚にもなる。
「うん、知ってる! で、おれもスオ〜のこと好きだろ? だから」
「待っってください」
強い静止の声に、きょとりとレオが目を丸くさせた。
「初耳です。あなたって私のこと好きだったんですか??」
「あれ? 言ってなかったっけ??」
心底不思議そうに宣うレオの様子に、思わず脱力してしまう。
まさかこれが、司の気持ちを知っているような素振りを見せながらも、近い距離で接し続けていた理由だったとは。辻褄は合う、合うけれども!
「何で、したそうなのにしないんだろな〜って思ってたんだ。おまえ、やりたいこと全部やるみたいなタイプなのに」
「……自分だけの下心でどうこうしてはいけないだろうと律していたのです。と、言いますか、こういうのはひとつの約束事なのですから」
「約束?」
「……レオさん」
背筋を伸ばして、居住まいを正す。
「私と『お付き合い』していただけますか?」
そうして少しだけ身を引いて、正面からレオの手を取った。
虚を突かれたようにレオは目を見開いたかと思うと、ふっと表情を緩める。
「あーーそっか、そうだよな。そういうのが必要って、なんか頭からすっぽり抜けてたっ」
わはははと響いた笑い声を、ほんの少しだけ恨めしく思った。どれだけ悶々と思い悩んだと思っているのか。
「それで、お返事は?」
「勿論っ……おぉ?」
ぐいと身体を押し返して、レオの身体の側へ体重を掛ける。そのまま腕を背に回して、彼の後頭部に手を差し入れた。
そうして、状況を飲み込めていないだろうレオに先手を打つように、額と額をこつりと突き合わせる。
「……では、『やりたいこと』を全部やっても?」
今回ばかりは返事を聞かないまま、唇に噛みついた。
♪
「言葉にしてなかったのはおれもそうだけどさ、スオ〜だって、それならそうと言ってくれても良かったんじゃないか?」
今まで我慢した分の我儘を存分に通させてもらったその後、レオは、少しだけ憮然とした様子で、司の肩に頭を乗せるようにして寄りかかっていた。普段とさほど変わることのない態度の中で、髪の隙間から覗く耳だけが目に見えて赤く色づいている。
「それを言われてしまうと返す言葉がありませんね……」
はにかむ司としては、多少耳が痛い言葉ではあった。ただ、問えば失ってしまう距離なのではないか、という不安があったことは間違いない。
「おまえのとこのルームメイトは?」
「夜には帰ってきますよ」
「ん〜〜じゃあおれもそろそろ帰るか」
少しだけ名残惜しそうに、レオは呟いた。
「お部屋までお送りしますか?」
「バカにしてんの⁇」
「本心からですが……」
レオの耳は赤いままだったけれど、まあ、寮内なら特段見咎める必要はないだろう。彼のルームメイトから何らかの言及がなされたら若干気まずいというだけで。
レオは司から身体を離して立ち上がると、ぐんと一つ伸びをする。そうして、部屋の扉に手を掛けると、思い出したように振り返った。
「あっ、スオ〜!」
「はい?」
数メートルの距離で、しかと目が合う。
「愛してるぞ!」
「……知ってます」
【終】