きみとふたりで夜を越えたい! 散々飲んで家路についたはずが、気付けば知らないベッドの上で抱き締められていた。
力を抜いて体重を預けると、首の後ろに温かい唇を感じる。ちゅう、と肌を吸った後、からかうみたいに軽く牙が食い込む感触。ロナルドは痛い様な痒い様な微妙な感覚に肩を震わせ、背後の男を肘で小突いた。
「馬鹿、あんまり噛むなって。退治人に牙の跡なんて残ってたら信用ガタ落ちだろ」
「なるほど、それはいいことを聞いた」
「あっ、」
がぷり、とさっきより心持ち強めに噛まれて声が上がる。うなじを手で探ってみれば、ぬるついた唾液で濡れた皮膚にくっきり跡が刻まれていた。
「やりやがったな、この野郎!」
「ウハハ、油断した方が悪い!」
「くそ、言ってろ!」
売り言葉に買い言葉、ロナルドはくるりと振り向いて男の首筋に噛みついた。がぷり、と大口を開けて歯を立てればそれなりに立派な跡が残る。中々の出来に我ながら満足していると、ぐいっと真正面から抱き寄せられた。
「……やってくれたな」
「んっ、」
爛々と輝く満月みたいな瞳に見惚れていたら、柔らかいキスに呼吸を飲み込まれた。そっと重ねて、唇の感触を味わうみたいにやわやわと食み合うキスが心地良い。ロナルドは微かに鼻を鳴らして、粘膜同士の触れ合う微弱な快感を楽しんだ。
ああ幸せだ、と心から思う。本当に信じられないぐらい幸せで──だから、これは夢だとすぐさま分かってしまうことだけが残念だった。
薄く目を開けて(夢の中で目を開ける、というのも変な感覚だけど)、むず痒いほど甘ったるいキスを交わす相手を見つめる。白い肌に映える黒髪と、鋭い意志の宿る切れ長の目。左目尻の泣き黒子。唇からはみ出るぐらい大きな牙も、尖った耳も、全部が全部、相手を構成する要素だから好きだ。現実の本人に伝えることは一生無いだろうけれど。
「……好きだよ、半田」
ごくごく小さい声で囁くと、夢の中の半田は馬鹿にするでもなく、返事をするみたいにキスしてくれた。そんな優しくて甘ったるい反応も悲しいぐらいに夢そのものだったから、いっそ笑うことしかできなかった。
もういつからだったか覚えてないが、ロナルドは半田のことが好きだ。
初めて会ったときからやたら敵愾心を向けられても、高校時代からずっと馬鹿みたいな嫌がらせを受けても、半田のことを嫌いにはなれなかった。嫌がらせ自体はムカつくし普通に止めてほしいと思う。それはそれとして、何年も飽きずに粘着して、ロナルドを馬鹿にするためだけに相当な労力と時間を惜しまず費やす男に、いつの間にか絆されてしまったのだ。
こんな自分に付き纏い続けるなんて物好きな奴だな、と呆れを通り越して感心してしまったときには既に手遅れだった。その辺りからロナルドは半田の奇行を普通に受け入れるようになっていたし、何なら構ってもらえてちょっと嬉しいぐらいには思っていた。嬉々としてセの付く天敵を投げつけてくるときの邪悪な笑顔がちょっと可愛く思えてきたときは、流石に自分でも末期だなと自覚したけれど。
できることならこれからも全力で構ってほしいな、とは密かに思っていた。だが、まさかその「構い方」がこういう方面だとは自覚していなかったので、自分でも本気で驚いている。
(にしても、これって俺の深層心理ってやつなのか?)
夢には本人の願望や悩みが反映されるとはよく聞くが、まさか自分の中にこんな願望が眠っていたとは思ってもみなかった。
「っ、ぅ……」
何度もキスを交わした後、ぴっとりと互いの身体を重ね合わせるみたいに抱き締められた。真正面から向かい合っているだけでも結構緊張するのに、夢の中の半田は すり、と首元に擦り寄ってくるから泣きたくなる。数年単位でむず痒い感情を拗らせている男を舐めるな。
反射的に肩を強張らせると、首元に押し付けられた唇がもごもご震える感覚がした。
「……おい、もっと力を抜け。抱き心地が悪い」
「っ、文句言うなら離せっての……」
というか抱き心地とか生々しいこと言わないでほしい。刺激が強過ぎてロナルドが気絶しそうになっていると、半田が鼻息だけで笑った。
「それだと意味がないだろう」
「い、みって何の、」
顔を上げて問いかけようとしたはずが、その先の言葉を再びキスで封じられる。ロナルドが暴れそうになると、半田の腕が背中に回って宥める様に とんとん、と軽く叩いてきた。
「う、あ……」
「……そうだ。力を抜いて、こっちに寄れ」
「っ、ん、」
恐る恐る身体から力を抜いて胸元に縋り付くと、半田の声にわずかな喜色が滲んだ。自分の行動で相手が喜んでくれるのは嬉しい。それが好きな相手なら尚更だ。
どうせ夢ならば思い切り楽しもうと開き直ったロナルドは、勢いで自分から唇を押し付けてみた。最後にぺろりと舌で唇を舐めて離れると、鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔の半田と目が合う。凛々しく切れ上がった目をまん丸に見開いてるのが可愛いくて、つい笑ってしまった。
「はは、間抜け面してやがんの」
「……抜かせ、貴様も大概だろうが……」
「うわ声ちっさ。照れてんの? そうやってるとお前ってほんとかわいーのな……」
喋っているうちに段々意識が薄れていく。夢の中で眠くなるなんて変な話だな、とますますおかしくなったロナルドは、締まりの無い笑顔を浮かべながら思ったことを口から垂れ流した。
「でもまあ、お前って普段から割と可愛いし、格好いいもんなー……嫌がらせはまあ、いい加減止めろって思うけど、構ってくれるのは嬉しいし……」
別に、今の腐れ縁の関係に不満はない。高校時代の同級生と社会人になっても連絡を取り合うのは意外と難しい。このハードルを飛び越えている時点でお釣りが出るぐらい幸せなのに、これ以上何を望むことがあるだろう。
けれど、まあ。どうせ夢なので欲を言えば、もっと先の境界線も越えたいと思わなくもない。それこそこんな風に引っ付いたり、キスしたりとかできたらめちゃくちゃ幸せだ。
でもそんな夢は叶いっこないと知っているから、ロナルドはそれ以上考えるのを止めた。つん、と鼻の奥が痛むのを下手くそな笑顔で誤魔化して、あまり深刻に聞こえないようにぼやく。
「あーあ、これが夢じゃなかったらなぁ……」
「…………は?」
半田の顔がぼやけて曖昧になっていく。どこか遠くから焦った様な声が聞こえた気がしたが、睡魔に飲まれたロナルドの脳味噌にはほとんど内容が入っていなかった。
「……待て馬鹿ルド、まさか貴様、本物なのか? 俺の夢ではなくて?」
「んー……あはは、はんだがすげえかおしてるー」
「話を聞け馬鹿! おい、ふざけるなここに来て寝落ちするな! おい!」
「…………ぐう」
「…………な、」
──直後、新横浜某所のホテルの一室で凄まじい怒声が響いた。
酔っ払って寝落ちしたロナルドは預かり知らぬ話である。
飲み会帰りの酔っ払い野郎二人がラブホテルに突入して、お互い夢の中だと勘違いしたなんて間抜けすぎる真相が判明するのは、夜が明けてからのことだったとか。