言いたいこと 高校の通学路の途中に、寂れた廃車場がある。
昔はヤンキーのたまり場になっていたこともあったらしく、学校から、近寄るな、というお達しが出たこともあったそうだ。
ただ、禁止されればされるほど興味が湧いてしまうのが男子高校生という生き物である。昔からそこは、近辺の男子高校生たちによる度胸試しの場所として用いられていたらしい。
長年語り継がれている方法がある。
まず最初に行く人が、廃車でできた山を上っててっぺんに石をひとつ置いて帰ってくる。二番目に行く人は同じように山を上り、その石を持って帰ってくる。三番目の人がまたその石を置きに行く。それを人数分繰り返す。ところがたまに、置いたはずの石がなくなっていることがあるらしい。
そのせいか、幽霊が出る、という噂も長らく語り継がれているようだった。けれど、石がなくなる、なんてありえない話ではない。先に行った人が置き忘れただけかもしれないし、恐怖のあまり慌てて石を放り投げ、そのまま転げ落ちてしまっただけかもしれない。そんなことまで幽霊のせいにされては、幽霊側もたまったものではないだろう。
というか、幽霊が出るなら出るで、度胸試しの場所としては最適なんじゃないだろうか?
1
高校生の時の話だ。
文化祭の時期になると友人と放課後近くのファミレスに溜まって、夜遅くまで駄弁ってから帰るのが習慣になっていた。どれだけ帰るのが遅くなっても文化祭の準備だと言えば許される、という状況に甘えていたわけだ。
その日も、終電近くになってようやく帰路についた。
俺は通学路で必ず例の廃車場の近くを通る。周りは申し訳程度の街灯しかなく、真夜中にはほぼ真っ暗になってしまう道だったけれど、別に怖さを感じたことはなかった。幽霊の噂も本気で信じていたわけではないし、元々見えてないものに怯えるほど、俺もヤワな性格はしていない。
ただその日はなぜか、いつもは固く閉ざされているはずのシャッターの扉が全開になっていた。
思わずぎょっとし、つい中をのぞいてみたけれど、特に変わったものはなかった。思っていたより中がだだっ広く、工場か何かがあった場所だったのかなと思ったくらいのものだった。
俺はその日から妙な夢を見るようになってしまった。
寝ている俺の顔の真横に誰かがじっと立っている、という夢だ。少しも動けず、目も開けられないまま、近くに立っている誰かの気配を感じながら横たわっているだけの夢。
最初は変な夢を見たなあ、で済ませていたのだけれど、それが一日二日だけではなく何日も続くものだからさすがに気味が悪くなった。相談とまではいかないが、友人たちに少し話を聞いてもらった。
彼らにははじめ、「心霊スポットにでも言ったのか?」とからかわれたが、「廃車場の中を見た」と言うと顔色が変わった。俺は高校進学と同時にこの辺に越してきたから知らなかったけれど、あの廃車場に幽霊が出るというのはこの辺ではよほど有名な話だったらしい。石がなくなるというしょうもない理由だけではなく、実際に見た、と言っていた人もそこそこいたらしい。
「お祓いとか頼んでみろよ。ひどいようだったら……」
だが、単なる夢の話で専門家に金を払うのもバカらしい。とにかく俺はしばらくその夢と過ごすことにした。
不思議なことだが、気味悪さも時が経てば慣れてくるものだ。その足は話しかけてくるわけでも攻撃してくるわけでもない。ただじっとそこにいるだけだ。眠るたび同じ夢を見ることが普通のことではないとわかってはいたが、元々のズボラな性格が幸いしてか、段々と恐怖感も薄れていった。
我ながら相当間抜けな話だとは思うが。
2
話しかけられているんだな、と気づいたのは、夢を見るようになってから一か月ほど経った時だった。だがはっきりと声を聞いたわけではない。とにかく、話しかけられているという感覚だけがある。
それまで相当間抜けだった俺でもさすがに怖くなった。噂通り本当にあの廃車場には幽霊がいたのだ、その幽霊が俺に憑いたのだ。一度そう思ってしまえば、今まで平気だったものが一気に恐ろしくなる。
俺は恥を忍んで、母親に相談した。母親は笑い飛ばすもからかうもせずすぐにお祓いをしてくれる寺を調べてくれ、その日の週末には寺で見てもらうことになった。
寺に行けるとわかれば、単純な俺は途端に気が大きくなる。俺はこの人が祓われてしまう前に、何を言っているのかはっきり聞きたい、と思った。この人がいったい誰で、どうして俺に憑いたのかを最後にはっきりさせてからこの不思議な現象を終わらせたかった。
ああ今日も来た、と思うのがはじまりだった。やっぱり目は開かないけれど傍には変わらず誰かが立っていて、何かを必死に俺に伝えようとする。いつもは無視を決め込むのだけれど、今日は違う。俺は閉じられた目をなんとか無理やり開けようとしたのだ。
好奇心とは何よりも強い感情であると思う。恐怖感は少しもなかった。
なんで、なんで。なんでこうした。なんで。ちがう。なんで、ちがう。ちがう。ちがう。ちがうちがうちがう!
大きな声が耳元で響き、気づけば朝だった。俺は全身汗でぐっしょりだった。
結局俺はその目を開けられず、その人が誰なのかはわからなかった。けれど、その人がひたすら俺を責めたてるように「なんでこうした、ちがう、ちがう」そう言っていたことだけははっきりとわかってしまった。
お祓いは恙なく行われた。
当然といえば当然だが、寺の人にも奴の正体はわからなかったらしい。ただ、こんなことを言われた。
「失礼に思われたら申し訳ないのですが、どなたかあなたの周りで、あなたのことを嫌っている、と思われるような方はいらっしゃいますか?」
当然、いないです、と答えた。どうしてそんなことを聞くのかと聞き返す。
耳を疑った。
「いえ、あなたに憑いていたのは、生きている方のようでしたので……」
3
「まあそういう話のネタになるんで、いい経験だったなあ、とは思うんですけどね」
深夜の居酒屋。目の前に座る場地さんは俺を見て神妙にうなずいた。
場地さんは大学の先輩で、大学の新入生オリエンテーションの時に担当してもらってからずっと世話を焼いてもらっている。今日も場地さんから飲みに誘われ、こうして夜遅くまで付き合ってくれている。
「よくねえよ。めちゃくちゃ怖えんだけど」
「はは、もうすぐ夏だしちょうどいいですね」
高校の時の経験を、当時の友人以外に話したのは初めてだった。無理矢理忘れようとしていたのか今まで思い出すこともしなかったが、改めて妙な出来事だったなあと思う。
「……何がちがったんだろうな」
場地さんは底に数センチ残ったビールを煽りながらそう言った。
「さあ……あ、もしかして人違いだったとか?探してたのが俺じゃなくて、ちがう、みたいな」
「そんな間抜けな幽霊がいるかよ」
「だから幽霊じゃなかったんですって。生霊だったんです」
「じゃあ今でもお前のこと、探してるかもよ?」
「こっ……わいこと言わないでくださいよ!」
にやりと笑った場地さんに全力で抗議する。本気で背筋が凍ったのを誤魔化すようにハイボールを一気に飲んだ。
例え今でも俺を探している人がいるとしても、思い当たることが何もないから対策のしようがない。恨まれるような覚えも、嫌われるような覚えもないのになんで俺がこんな目にあわなければならないのか。
「千冬ぅ」
「はい?」
「マイキーってやつ知ってる?」
知らない名前だったので、俺は無言で首を振った。
「俺も知らないんだけど」
「え?」
だから、なんでこうしたんだって、ことだろ。
どういうことですか、と場地さんに問いただしても、彼はもうそれ以上何も答えてはくれなかった。場地さんは相当酔っぱらっていたようだったので、俺の話を聞いて昔の全く関係ないことを思い出しただけ、無理矢理そう思うことで納得しようとした。
ここで好奇心に負けてしまうところが俺の最大の欠点だと思う。どうしても気になってしまった俺は、後日、場地さんにその時のことについて尋ねてみた。
すると、場地さんはいつになく真剣な顔で、俺と場地さんは本当は親友だったとか、それを俺が過去に戻って変えてしまったとか、本当にわけのわからないことを一気に俺にまくし立てたのだ。それがあまりにも怖くて逃げ出してしまってから、彼からの連絡はすべて無視している。
場地さんは格好いいし、尊敬しているし、慕っている先輩であることには変わりはない。ないけれど、あの生霊がもし場地さんだったらと思うと、よくわからなくなる。
俺は未だに夢から覚めていないのだろうか。場地さんのあのまっすぐな目を見てから、どこかそんな気がしてならない。