トムコリンズ あるいは、 じわじわと全身を包む熱。湿っぽく、土臭さと植物の匂いを含んだ空気。
俺達を取り囲む毛足の長い亜熱帯植物がゆらりと陽炎のように揺れては、微かな音を立てる。
けれど、それ以上に目の前に立っている男と偶然触れ合ってしまった唇の感触ばかりが脳へと伝わって、上手く思考が纏まらない。
その上、初動でマトモな武器を拾えなかった俺達の周りには複数の敵部隊の気配。
陽動の為に飛ばしたドローンは直ちに破壊され、ミラージュが走らせたデコイは乱戦状態の最中に掻き消えてしまった。
とにかく隠れるしかないと、ミラージュが俺の腕を掴んで、ストームポイントに数多く生えている巨大な木の下に押し込まれた所までは良かった。
俺も全く同じ事を考えていたからだ。
けれど、隠れている木のすぐ近くで別の二部隊がかち合い、銃を振り回し始めたのは予想外だった。早く違う場所に行くか、どちらか倒されてくれないかと願いながらも、俺達は息を潜めていたのだ。
その途中、俺と向き合って立っていたミラージュのすぐ背後を弾丸が通り抜けたのが視界に映り、思わず俺はミラージュの頭を掴んで引き寄せてしまった。
もしもコイツに弾が当たったら、今夜の夢見が悪くなるだろうし、庇われているような格好になっているのも内心、悪いな、と考えていたから。それは間違いだったと、数秒後の今なら分かる。
急に引っ張ったせいでミラージュがバランスを崩し、あろうことか、唇と唇が触れ合ってしまった。掠めるだけの、キスとも呼べないようなそれ。
悲惨な事故だと笑ってしまいたくても、周辺にはまだ敵が存在している。
声を上げるワケにも、勢い良く押し退けるワケにもいかず、静かに離れた唇は、見た目通りふっくらと柔らかかった。
丸くなったミラージュの目が何度かパチパチと瞬き、その度に長い睫毛が動く様を目で追ってしまう。
俺達を覆い隠すように頭上に広がる枝葉の隙間から、僅かに射し込む光の筋がミラージュの額につけられたゴーグルのレンズに反射する。オレンジ色の光、その下にあるヘーゼルの瞳。――バカみたいに、眩しい。
「……あ……」
その眩しさに顔を思わず反らし、ミラージュの頭に触れていた手を外す。
うねっている見た目とは違い、ジェルで固められた髪の毛は掌を外してもその形を保ったままだ。
それでも手入れが施されているのか、毛先がパサついているという事はなかった。
そこまで考えて、触れていた手をポケットへと滑らせ中で握り込む。
ミラージュの髪の質感なんて、逐一覚えてどうしようというのだろう。
そんなのを知った所で、俺には関係が無い。"関係"という言葉も何か違うような気がする。
周りでは相変わらず戦闘が続いていて、でも、確実に誰かが誰かに倒されていて。だから銃声だって少しずつ遠ざかっている。
だったら、俺は、俺達は、こんな場所にいつまでも突っ立っている場合なんかじゃなくて。
「……クリプト」
とにかく敵に見つかってはならないから、自動修復プログラムを完了させたドローンが再起動するのを待って、そうして、周辺に敵が何部隊居るのかを確認しなければならない。
けれどストームポイントというアリーナは、俺のドローンで使用出来るバナーが少ないのが頂けなかった。ワールズエッジやキングスキャニオンよりも広いくせに。
今度運営に匿名で問い合わせてやろうか。でも、バナーの数が少ないなんて、中継で見ている観衆にとっては気にも止まらない些細な事なのかもしれない。
「クリプト」
つらつらと今後の行動を考える俺の意識を戻すように、グ、とポケットに入れ直した腕を掴まれる。
胸元にドローン接続用の機材を取り付ける為、全体的に緩めに作られたジャケットは袖部分も若干ゆとりを持たせた作りになっていた。
けれど今は、そんな分厚めに作られた袖の布地すらも通り越して、ミラージュのグローブをつけた掌が俺の二の腕を掴んでいる感覚が伝わってきて。
「……なぁ……クリプト……」
三度目の呼び掛けは酷く弱々しい。
さっきからコイツがずっと俺を呼んでいたのなんて、当然、気がついている。聞こえた上で、無視し続けていた。だって、こんな……こんなにも熱を隠せない顔で、どうやってミラージュと顔を合わせたらいい?
「……い……やだ……」
口から洩れた言葉は自分でも情けないくらいに小さくて、ガキ臭い。
それに呼応するように、ミラージュの俺の腕を掴む力が強まった。
そもそも、コイツは一体なんなんだと、八つ当たりじみた怒りが腹から持ち上がってくる。
いつも他人をからかって、つまらないジョークを飛ばしては、場を白けさせる男なのだから、こういう時こそ普段みたいにしょうもない冗談を言えばいいのだ。
それにコイツは、これまで俺を散々『そんなんじゃモテない』やら『冴えないギークボーイ』やら虚仮にしてきたのだから、さぞかし経験豊富なのだろう。
どうせ酒の席なんかで罰ゲームに同性とのキスの一回や二回。いや、それこそ、百回くらいやってきてるんだろう。ならば、俺はもはや被害者と言っても相違無い筈だ。仮にそうじゃなくても、ただのアクシデント。そうだ、それなら何も問題ない。
『どうした? この程度でよろめくなんて足腰が弱ったのか、小僧?』なんて、皮肉めいた笑みを浮かべてこっちが言ってやれば、ミラージュだって『お前こそいきなり引っ張るんじゃねぇ!』だとかなんとか返してくるに違いない。
そんな流れをイメージトレーニングしてから、そろりと顔を上げる。
もしかしたら、弱気な声は演技で、ニヤついた笑みで俺を見ているかもしれないと、恐る恐る見上げたミラージュの顔は自慢の小麦色の肌と整えられたヒゲすらも透かすくらいに真っ赤になっていた。
「……お、前……」
そんな姿に呆気にとられ、思わず囁けば、ヘーゼルの瞳は先ほどよりも艶々と輝いている。
「……俺、……どうしよう……なぁ、クリプト……俺、さ……おれ……お前の事……」
もう周囲の戦闘は終わったのか、銃撃音は聞こえない。
そこまで物資が潤沢では無いエリアだったのもあって、勝ち残った部隊は早々に他の場所に移動してしまったのだろう。だから、もう他に誰の気配も感じ取れなかった。
本当に本当に本当に、最悪だ。初動でモザンビークすら拾えないし、キルの一つも取れないまま、こんな木陰で男二人寄り添いあって時間だけが消費されていく。
酷く喉が渇いている。何と返すべきか考えなければならないのに、頭が回らなくて息が苦しい。掴まれている腕は力加減を忘れたかのように強く握られているものだから、少し痺れてきた。
それなのに、どうしてもミラージュから目を反らせない。
なんでこんな場所で。こんなタイミングで、俺達はこれまで互いに全く気がつきもしなかった感情を自覚してしまったのだろう。
そんな愚かな俺達をからかうように、足元の草むらで名も知らぬ虫が小さく鳴いた。