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    ミラプト/胡蝶の夢

    白亜の蝶は夜に羽ばたく ────星が、瞬いている。

     うっすらとした闇が空を覆って、その薄闇の中をいくつもの光が漂っている。
     その小さな光の一つひとつを繋げていけば、何らかの形になるのだという。
     だが生憎と、あの朗らかな博士のように天文学の知識を然程さほど有していないからか、ただの光の粒にしか見えなかった。
     そうして見上げた視界の端、遠くで輝く星よりも近距離で桃色の花びらが風によって散る様が見える。
     忘れ去られつつあったボレアスの地、その頭上で煌々としていた惑星クレオがシンジケートの手によって【ゲーム】のアリーナへと変貌をげたのは最近の出来事だった。
     本来ならばボレアスが【ゲーム】開催地となる筈だったが、シアを主導としたその計画は頓挫とんざまではいかずとも、どうやら予定調和とはいかなかったらしい。……シンジケートが一枚噛んでいる時点で、希望通りに行く方が珍しいのだろうが。

     今回のシーズンで【ゲーム】に参加したカタリストはクレオの住民らしく、発起人のシアとひと悶着あったようだが、俺はその点に関して表面的な情報のみを確認するだけに留めていた。
     関心が無いと言えば嘘になる。だが、二人のいざこざを知った所で自分に出来る事など少ない。
     当事者同士で話がついているなら、他人がくちばちを挟む理由もないだろう。
     挟むにしても、それは俺の役割ではなく、もっとお節介な他の奴らにやらせておけばいい。
     シアという人間の本質を深部まで知っているワケでは無いが、少なくとも、奴がボレアスやクレオの住民達から恨まれるような残虐非道な人間性をしていないのは知っている。
     そんな人物の判断力を失わせ、焦りへと駆り立てる為に様々な計略が張り巡らされていたのだろう事も。
     だから、俺が探るべき情報はシンジケートが今後どのように動くかだ。
     それに【ゲーム】に参加する理由は様々だが、他のレジェンド達がどういった目的で参戦しているかというのを深掘りするのは得策ではない。情報を得るのは、基本的に等価交換だ。
     深入りする人間を増やすと、自分の晒したくない情報まで他人に提示しなければならなくなる。

     今日はそこそこに疲れているらしい。思考しなくても良い事を考えている。
     午後の【ゲーム】で上位争いをするくらいには、生き残れたからだろう。
     ため息を吐いて、ブーツのつま先で金属で出来た建物の磨かれた白い床を手持ち無沙汰に擦った。
     そうして視線を上向けると、頭上で生い茂る淡いピンクの花の中に見た事も無い木の実が確認出来、改めてこの星の異質さを思い出す。
     クレオはテラフォーマー技術が盛んだった事もあり、研究施設が数多く存在していた。
     俺が居るバイオノミクスと称されるエリアも、恐らくは何らかの生態実験でも行われていたのだろう。
     随分と開放的な建物ではあるが、ソラスでは見た事の無い植物がそこかしこに根を這わせている。
     初めてここがアリーナとなった際、プレゲームとして何度か見学めいた試合が行われたが、その際に同じ部隊だったナタリーやローバはこの星に咲く花々を"美しい"と評していた。
     砂漠に覆われたキングスキャニオンや、植物はあるものの亜熱帯気候のストームポイントとはまた違い、丁寧に剪定された花たちは確かに美しい。
     けれど俺にしてみれば、ブロークンムーン壊れた月と名付けられたこの地は少しだけ物寂しく、そうして、どこか懐かしく思えてならなかった。
     壊れた満月。欠けた住民。必要以上に管理された世界に浮かぶ夜の匂い。
     絶大な支配権を得て栄える者が居る代わりに、誰かが貧困に喘ぎ、居場所を失っていく。
     珍しくそんな感傷を覚えるのは、橋の下で生きていたあの日々を思い出すからかもしれない。

     そこまで考えて、また溜め息が漏れる。
     俺をここに呼び出した人間は本当に時間にルーズだ。
     他惑星に帰星する為のドロップシップが、クレオ上空に漂う乱気流のせいで出発が遅れるというアナウンスがあり、レジェンド達は各々思い思いの場所でしばし過ごすことになった。
     大半の連中は【ゲーム】の疲れもあって、待機施設で身体を休めているのだろう。
     本来なら俺もそうするつもりだったが、今日一日ずっと違う部隊になっていたにも関わらず、いきなり『話したい事がある』とスマートフォンにメッセージを飛ばしてきた男は、既に俺の中で無視出来ないくらいの存在になっていた。
     それに無視した所でどうせ施設内を追い回されるのなら、という気持ちもあった。
     何よりも、やかましいアイツがわざわざメッセージを送ってきた時点で周囲には聞かれたくない話なのだろう事も察せられる。……何を聞かれるのか、大方の察しはついているが。
     そんな事を思案しているうちに、背後からジップレールで誰かがこちらに向かってくる音がした。
     振り向けば、少しだけ慌てた様子でこちらに駆けてきたミラージュが居て、わざとらしく眉をしかめてみせる。
     「そんな怖い顔すんなよ! ラムヤに捕まってたんだ」
     「人を呼び出しておいてその言い草か? 大事な用で無いなら俺も休みたいんだが」
     「……悪かったよ」
     寄ってきたミラージュの前髪がいつもよりも柔らかくなびく。
     普段なら腕に着けているデコイ装置も取り外され、少しだけ軽装に見える男は当然のように俺の隣に並び立った。
     素直に謝れるんだな、と皮肉の一つでも言ってやろうとしたものの、コイツが使っているシャンプーの甘い匂いが鼻をついて口をつぐむ。
     話をするなら隣に並ぶのは可笑しいだろうと言うよりも先に、ポツリと小さな声がした。こちらの様子を窺うような、そんな穏やかな囁きだった。
     「そう怒るなって。……あ、あの星……ほら、あそこ」
     「あ?」
     不意にミラージュが指で示した上空へと視線を向ける。
     指された先には仄青く輝く星が見えた。名など知りもしないその星は、それでも他の星々よりも強い光を纏ってそこに浮かんでいる。
     けれど、そうやってミラージュに教えられなければ、けして気が付かなかっただろう輝き。
     そういえばこんな風に、美しい物を探す為に空を見上げたのはいつぶりだろう。
     そもそも自分は【ゲーム】に参加する以前から、日々の忙しさにかまけていた。
     「綺麗だよな。……昔、母さんに教えて貰ったんだ。星の名前は……なんだったかな……えぇっと……まぁ良いか。こんな話をしようと思ってたんじゃないんだ」
     空から目を反らし、もう一度ミラージュの方へと顔を向ける。
     さらに夜が深まる中で、ヘーゼルカラーの瞳がキラリと輝いて見えた。
     遠くの星や、さらに近くにある花の散る様よりも、霞んでしまう程の輝きが目の前で瞬く。
     真剣な顔をしているコイツはこんなに美しい生き物だったかと、ありきたりな感想だけが浮かんで消えた。
     言い難そうにミラージュの厚い唇がうっすらと開かれて、そうして赤い舌先がその上を舐める。
     そんなにも聞きにくい事を俺に告げようとしているのだというのが嫌という程に分かる姿に、こちらまで緊張感が高まった。

     「……お前さ、俺に隠してる事、無いか?」

     投げ掛けられた問いを脳で咀嚼する。
     隠している事? ──それはどこからどこまでを指し示すのだろうか。
     俺がリパルサータワーを壊して、コイツの故郷であるソラスの環境を可笑しくした事? それとも、自分自身の素性? いちいち数えればキリがない。
     【クリプト】という姿でここ何年か生きてきて、自分が目的を果たすまでそれは続く。
     初めはそれを疎ましく思った事もあったが、長くこの生活を続ければ続ける程、俺は【クリプト】という人物になっていった。
     それこそ、"パク・テジュン"が出来なかった事だって【クリプト】になら出来ると信じている。
     けれど、【クリプト】として知らぬ間に築き上げてきた絆が、確かに自分自身を苦しめているのを自覚していた。
     俺の本来の姿はただのシステムエンジニアで、冴えないと妹にすら言われるような、そんな平々凡々な人間だ。
     それが今では【レジェンド】なんて大層な肩書で呼ばれ、初めは慣れなかった銃火器の扱いも銃ダコが出来るくらいに慣れてしまった。
     この生活を疎ましく思う。早く平穏な日々に戻りたいとも。
     ただ、仮にそうなったとして【クリプト】でなくなった俺は、俺として生きていけるのだろうか。
     軽口をたたき合って、背中を預け合えると思っているミラージュは、俺を見限らないだろうか。
     こうやって想像を巡らせる事自体が、間違いなのも分かっているのに。
     「……別に……なにがあるってワケじゃなくってよ。……何となくな……俺の勘は当たるって評判なんだよ。アウトランズ中でな」
     寂しげに笑うミラージュの長い睫毛が、ゆらゆらと蝶のように羽ばたく。
     その微かな羽ばたきは、己の腹奥で暴れ回るソレによく似ている。
     【ミラージュ】と出会った事は、【クリプト】にとっては恐らく、幸運だったと思う。
     しかし、"パク・テジュン"にとって、"エリオット・ウィット"と出会った事は、果たして幸運と呼べるのだろうか。

     ───暴れる蝶を、深い呼吸で飼い慣らす。
     欲しい世界がある。求め続けている未来がある。その目的を果たす途中で得た罪悪感など、何の価値も無い。
     裏切り者ではないと言い切ってくれたこの優しすぎる男を、俺は、まだ切り離せるかもしれないと思ってしまっている。
     危険に巻き込まずに済むかもしれないと、そんな夢物語じみた考えを捨てきれずにいた。
     「……本当に、知りたいのか?」
     だから狡いと分かった上で、疑問文を重ねた。
     どうかそれ以上聞いてくれるなと、直接言えない代わりに、俺の意思を汲み取ってくれと願ってそう発する。
     俺にだって、どこか自分の思想がある程度歪んでいっているのは分かっていた。
     ボレアスの住人を助けようとして行動したシアが、群衆から責められている姿を見て、近頃は余計にそれを感じ取っている。
     重ね合わせるワケでは無いが、世界から責められるシアの姿は明日の自分の姿かもしれない。

     正しさを求めれば求めるほど、自身が正しく無くなっていく。
     コイツが、母親の為に【ゲーム】に参加しているのを知っている。
     ただの虚栄心や目立ちたいだけで戦っているのではなく、自分の母親の為に、戦うのが苦手だったのに戦地を駆けるのを俺は知っている。
     知っているのに、この男は甘えたがりで優しいから、気がついたら当たり前のように互いの一番近くに立っていた。
     だから、真実を話せる日が来るとは思えない。
     仮に話せるとしたなら、明日か、明後日か、それとも昨日だったのか。
     相手を巻き込まんとする浅知恵が自分すらも取り込んで、真実がどのようなモノだったのかも思い出せない。
     大体、自分は産まれた時から必要とされずに居たから、真実すら今は分からないのだが。

     ただ一つ言えるのは、恋が人を輝かせるのなら、愛は人を縛る鎖であり、生きる糧だ。愛があればその為に人間はどんなモノにだって成り得る。
     一介の会社員が【レジェンド】にもなれるし、まるでタイプの違う義兄弟の代わりにだってなれる。それは、相手を愛しているからだ。
     胸の中にある手綱をどうにか握って、俺はただもう一度、夜を吸い込んで色深くなったヘーゼルの瞳を見つめた。
     黙ったままこちらを見返していたミラージュは、ほんの少しだけ寂しそうに笑う。
     いつもの晴れやかな笑みではなく、どこか諦めの滲んだその笑顔を見ながら『どうしてコイツは俺を選んだんだろう』と考えたくもない思いがよぎる。
     嘘を塗り込めて作った人物が築いた関係性は、果たして真実と呼べるのか?
     そんなのは自分が最も不安になっているのに、答えなんて出るワケが無い。
     「っうわ……!?」
     寂しげな笑みをしていた筈のミラージュの手が、こちらの手を掴む。
     バランスは崩さなかったが、クルリとその場で位置が入れ替わるように円を描いて回った身体は、再び同じ場所に辿り着くと、微かによろめいた。
     それを支えるようにこちらの腰にもう片手を添えた男は、クスクスと笑って抱き締めてくる。
     そのまま、咄嗟の出来事に反応出来ずに居る俺を悪戯に成功した子供のような目で見ているミラージュと視線が合う。
     握られた手は、当然の事ながら華奢ではなく、俺よりも遥かに力強くしっかりとした骨を感じた。
     「ま、お前が秘密だらけなのは今に始まった事じゃないよな。安心しろって、その程度で俺がどうこうするような人間じゃないのは知ってるだろ? それに、……ほら、……」
     見つめ合っていた顔を上向けたミラージュに釣られるように、こちらも視線を空へと投げる。
     先程よりも濃い群青を広げた空は、相変わらず静かに澄んでいて、ミラージュが示した星も変わらず光輝いている。
     上を向いていた頬に柔らかな何かが押し当てられ、正面へと顔を戻せば、ピンクの花弁が散る世界を背景にしてミラージュが微笑んでいた。
     「……星の名前や、……さ……し……詳細が思い出せなくたって、そこにちゃんとあるのは変わらないだろ? それだけでいいんだよ。俺にとっては」
     「……お前は、……お人好しを通り越してるな……」
     「それって褒めてる? それなら今夜は俺に一杯奢ってくれても構わないぜ、"おっさん"?」
     指先が動いて、指の股を通って強く握り直され、腰を抱く力も強まった。
     軽快な口調とは裏腹に、その手つきは縋ってきているように感じられて、コイツはお人好しなのもあるが、人一倍寂しがり屋なのを思い出してしまう。
     こちらが全てをさらけ出して助けを望むのを抑えるように、知りたいという気持ちをコイツは抑えているのだろうか。
     いつか何もかもがうまくいったら、俺は"エリオット・ウィット"という男と向き合いたい。
     【クリプト】ではなく、"パク・テジュン"として、いつか。
     「どうせ端からそのつもりだっただろうが。ちゃんと酒は用意してあるんだろうな?……"小僧"」
     「ビンゴ! お前が来ると思って、既に料理の下拵えもしてきちまった。あぁ、俺って本当に優しいよなぁ? ちょっとは感謝して欲しいもんだよ。それに明日はオフだしな、お前だって期待してたクセに」
     「……いつもありがとう、ウィット」
     「おうおう、……大根もビックリの棒具合だな。これならパスのが良い演技するんじゃないのかぁ?」
     だから、今はまだこの騒がしくも心安らぐ関係性を保つのに尽力する。
     それでも伝えたい自分の気持ちをほんの一匙ひとさじだけ込めた言葉を吐き出せば、俺の思考を読んだように、目の前の男は優しく笑いながら、今度こそこちらの唇へと厚くて温かな唇を押し当ててきた。
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