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    noranekosuteinu

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    noranekosuteinu

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    IT企業社長ココ×添い寝屋でバイトしているイヌピーの現パロ

    添い寝屋イヌピー 1 ――疲れた。
     疲れた。疲れた。疲れた。疲れた。もう道端でいいから眠っちまいたい。



    「……クソ、ふざけんなよ」


     呪詛のような言葉を吐き、俺は疲れてずっしりと重たい体を引き摺って夜の繁華街を歩いていた。
     事の発端は、客先でのトラブルだった。もとは大した話じゃない。現場で片づけられるような小さなもの。だがささいな行き違いがなかなか大きなトラブルに発展し、代表取締役である自分までもが引っ張り出されることになった。

     上の人間なんて火消しが仕事のようなものだ。重責もトラブル対応も、見合うだけの給与をふんだんに得ている。だからそれは問題ない。いつものことだ。

     ――だが今日は、いつもと違うことがいくつか連続して起こってしまった。

     思ったよりも長引き遅くなった話し合い。客先に出向いたので、普段使っているのとは別の駅。相手の会社から出てすぐに車に乗り込んだら感じが悪いだろうと、たまたま断った配車。部下を帰し、ついでだからと近くのカフェで軽く仕事をこなして「ああもうこんな時間だ」と気がついたら終電間際。

     たまには電車で帰るかと駅に向かったら――『台風のため計画運休』の文字がでかでかと電光掲示板に躍っていたのだ。

     運航状況を確認するアプリなどではけたたましく知らせていたようだが、全く気が付かなかった。ニュースに目を通していたのに自分には関係ないと無意識に思っていたのかもしれない。なぜなら仕事が終わるのが遅く、マンションは会社からすぐ近くに借りている。しかもほぼ毎日タクシー通勤で、運行状況に気を配ることすらなかったのだ。

     深夜に台風が直撃するだろうことは気が付いていた。が、まさかそんなに簡単に運休だと? ふざけるな。

     あわてて外に飛び出すも、同じような間抜けがたくさんいたらしく、タクシー乗り場には長蛇の列で、一時間並んで数歩しか進まなかっ
     
     ……華の金曜日にこんなところを宛もなく歩く羽目になるとは。びゅうと強すぎる風が吹き髪の毛が乱れた。己のついていなさを呪いたくなる。仕事だ仕事だ、仕事だから仕方ないと割り切って寝ないで働いた結果がこれかと思うと道端に唾でも吐きたい気分だった。




     スマホで検索したホテルに片っ端から電話するが全ていっぱい。ネカフェもカラオケボックスすらも入れなかった。調べる間にも風はますます強くなるばかりだ。雨も降りだして最悪だ。もう室内ならどこでもいい。ネットに出てないバーでも、このさいスナックでもなんでも――。

     そんなことを思いながら一歩裏路地に踏み込んだところで、煌々と光り輝くネオンサインが目に飛び込んできた。

    『添い寝 カフェ ピンクドラゴン』

     チカチカ品なく光るサイン。ピンクドラゴン、の横にはわざわざ紅龍と漢字が書いてある。なにかのこだわりなのだろうか。

     だがそんなことよりも俺の視線はある一点に吸い寄せられた。『添い寝』。いや強いて言うなら『寝』の部分だ。

    「……ここ、寝れるのか?」

     普段は風俗は利用しない。昔、断れない先輩に無理やり連れていかれたことがあったが嵌ることはなかった。ごくたまに処理として利用したが、羽振りが良くなるにつれて女の方から寄ってくる状態になり、わざわざこちらから出向かなくてもセフレがやってくるようになっていた。ましてやこんな高級の反対……はっきり言ってしまうと安っぽい店に入ることなんてありえない。

     が、今は緊急事態かつ疲れがピークに達していた。迷っているうちにこの店までいっぱいになって、台風のなか路上で一夜を明かす羽目になったら死ぬかもしれない。

     ごくりと唾を飲み込むと、俺は狭くてやたら傾斜の急な階段へと一歩踏み出した。






    「いらっしゃいませ~」

     階段を上り切り扉を開けると、受付の男が想像していたよりも愛想のいい笑顔を振りまいて出迎えた。

    「ご予約は~?」
    「してない」
    「あ、当店のご利用ははじめてでいらっしゃいますか?」

     男は俺のことを頭のてっぺんから足の先まで見ると、さっきまでの笑みをより深くして尋ねてきた。オーダーで作らせているスーツも一流ブランドの靴もこの店には不釣り合いで馬鹿にされている気がしてほんの少し気に障る。

     気に障りはするが、背に腹は代えられないと頷くと、男は壁に貼りだしてあるメニューと書いてある髪を掌で指示した。

    「当店は添い寝カフェとなっております。ので、風俗店ではございません。キャストからお客様に軽いマッサージとかはありますが、お客様からのタッチはNGです」
    「ああ、何でもいい。そういうんじゃない。疲れてるからただ寝たいんだ」

     とにかく眠い。なんなら寝るスペースだけ貸してほしい。手を振ってそれ以上の説明はいらんと押しとどめる。そんなことよりも一刻も早く横にさせてくれ。スーツの内ポケットからマネークリップに挟んだ札を出すと、男はぴたりと説明をやめた。

    「そうですか? お時間はいかがされます?」
    「朝まで。今からだと……4、5時間くらいか?」

     30分5000円という相場が高いのか安いのか分からないが大した値段じゃない。朝まで居ても、たまに行くクラブでのシャンパン一本分の値段にもならない。

    「キャストのご指名されますか? 当店は結構粒ぞろいで、アイドルの卵レベルもいますよ。あとコスプレもできます」
    「一番不人気なのでいい。服もジャージでも着せといてくれ」

     なにやらキャストの写っている写真パネルを示されるが興味はないし、コスプレも趣味じゃない。強いて言うなら俺はすぐに寝るから静かな女がいい。付き合いで行くキャバクラやクラブの女のように、あれこれと話しかけられたら面倒だ。

     長時間なので先払いでと言われ、5時間分の金をさっさと渡す。

     そうして俺は、生まれて初めて『添い寝カフェ』とやらにお世話になることになった。









     通された場所は、半分個室のようなパーテーションに区切られた四畳たらずの一角だった。パーテーションは天井まではなく、入り口は扉ではなく布でできていた。おそらく、不埒な真似をしようとする客対策なんだろう。小上がりのように少し段差があるので靴を脱いで入ると、ややサイズの大きめの布団が一枚と作務衣のような寝間着が鎮座していた。


    「……意外とまともだな」

     薄暗い間接照明。ふわりと香るアロマの匂い。それからヒーリングミュージックのようなものが静かにかかっていて、なにも知らなければ本格的なマッサージ店だと勘違いしそうだ。

     耳を澄ませると小声で誰かの話し声が聞こえる。きっと別の客と嬢の声なんだろう。だがネカフェの人の気配よりも静かにすら感じられた。


     悪くない。思ったよりも悪くない。これなら……寝れる。

     疲れに頭痛すらしはじめた頭でそう思うと、俺は勢いよく服を脱ぐと早着替えレベルのスピードで寝間着に着替えた。スーツを脱いだだけで体が少し軽くなり、念願の布団に倒れ込んだ。

     本当に今日はついてなかった。つーかそもそも普段から仕事だけで倒れそうなほど疲れてるのに、なんでこんなに歩き回って貴重な時間を無駄にする羽目になるんだよ。マジでなんかいいこと起こらないと帳尻が合わないだろ。 

     ぶつぶつと口の中で呟きながら、もう嬢が来るのを待たずに寝てしまおうと瞼を閉じかけたその時、少し低い声が狭い個室に飛び込んできた。


    「失礼します」

     あ、来ちまったのか。面倒くせぇ。
     とりあえず俺は寝るってことだけ伝えて、悪いがそこらへんに座って朝まで時間を潰してもらおう。布団は独占させてもらうが、あっちも客の相手するより楽だろう。

     そう思って入ってくる人影に視線に向けて……俺はその姿に固まった。
     

    「――――え、天使?」

     ひっそりと音を立てずに入ってきた嬢は……嬢ではなく男だった。が、そんなことが気にならないくらい美しかった。

     肩にかかった流れるような金髪。こちらを困惑したように見つめる若草色の瞳。その瞳は薄闇で分かるほど長い睫毛に覆われて、瞬きするたびに蝶の羽のようにひらひらと揺らめいている。白い肌は一部だけ痣なのか赤くなっているが、それすらも彼の魅力を引き立てている。
     むかし宗教画で見たことのある神の使いがそこに立っていた。

     こんなところに天使がいるなんて。

    「え? あ、えーと、失礼してもよろしいでしょうか?」
     
     布団に寝転がった間抜けな格好のまま呆けたように俺が口を開けていると、天使だと思った彼は無表情の奥にすこしだけ困ったような色を乗せて、首を傾げた。

    「あ、はい、どうぞ……え、あ? キャスト?」
    「はい」
     
     嘘だろ。
     キャストなのか。
     こんな美人が場末の添い寝カフェで働いていていいのか。あっという間に誘拐でもされるんじゃないか。こんだけ可愛ければ働かなくても、ちょっと見つめるだけでいくらでも貢ぐ男が出てくるだろう。俺とか。
     彼はなぜか学生が着るような体操着を着ているが、美しさは損なわれるどころか危うい魅力を放っている。上半身は半袖で白い腕が見えてしまっているし、下半身はハーフパンツで刺激が強すぎる。こんな破廉恥な格好で接客をして大丈夫なのか。2秒に一回襲われてもおかしくない。

     混乱しながらよろよろと布団から起き上がりその姿を目に焼き付けるように目をかっぴらいて見つめていると、頭の中で受付の男が言っていた言葉がよみがえってきた。

    「なるほど、アイドルか……」

     あの男め。なにがアイドルの卵だ。これはもういつ孵化してもおかしくないだろ。むしろアイドルなんかよりもよっぽど綺麗だ。は、と感嘆のため息が勝手に口から漏れ出る。

     だが彼はなぜか少し悲し気に瞳を伏せた。

    「違う。すまない。アイドルの卵の子の方が良かったか? 彼女はさっき指名が入ってしまったんだ」
    「え?」
    「急に予約が入って他のキャストも出てしまって……その、俺じゃあ嫌だよな……」
    「嫌じゃない!」

     そんなわけないと大声で叫んでしまい、驚きに目を開いたイヌピーが慌てて口の前で指を一本立てた。しぃ、と言われて口を塞ぎ、できるだけ小声で囁く。

    「ご、ごめん。えっと、お兄さんが添い寝してくれるの? マジで?」
    「うん。嫌じゃなければ」
    「……名前、聞いてもいい?」
    「イヌピー」

     きっと源氏名というやつなのだろう。見た目にそぐわず可愛らしすぎる、まるで子供のあだ名みたいな名前を告げられる。


    「じゃあ、横失礼するな」


     敬語が下手なのかそういう接客スタイルなのか、ところどころ乱雑な口調になる彼はそう言うと、俺と目線を合わせるようにその場に膝を付いた。彼は正座しているが一気に距離が近くなって、そんなちょっとしたことに心臓がどきどきと跳ねる。

    「え、え、イヌピー……」
    「やっぱり女の子の方が良かったか?」

     せっかく距離が縮んだと思ったが、またそう尋ねられてぶるぶると何度も首を横に振る。そんなわけない。むしろイヌピーを見た後だと、本物のアイドルが出てきたってブスに見えると思う。

    「良かった」

    ほっと息を吐かれる。その吐く息まで吸いたいと思った。

    「お客さんはなんて呼べばいい?」
    「あ、俺? 九井一、身内にはココって呼ばれてる」
    「ココ。なんかいいな。俺もそう呼んでいい?」

     頷くと、表情が読みづらいけれどほんの少し唇の端が上がって、微笑んでいることが分かった。

    「疲れてるって聞いたけど、マッサージしようか?」
    「え、マッサージ?」
    「うん。大したことできないけど、ほぐす位ならできる」
    「え……あ、や、」

     膝を付いたイヌピーにじり、とにじり寄られて思わず腰が引ける。
     体中ガチガチだしマッサージとか有難いけど……薄暗い個室に、好みドストライクの信じられないくらい美人と二人きり。

     これは触られたら勃っちまうんじゃないか?
     それどころか、クソ最低だと普段なら思うキャバクラで嬢の肩やら膝やらに手を伸ばすオッサンと同じことをしそうだ。

    「いや、大丈夫……」

     脳内で理性と欲求が一瞬のうちにの戦い、マッサージなんてされたらヤバイと理性が勝ち、両手を前に広げて迫るイヌピーを断る。するとイヌピーは特徴的な太い眉毛をしゅんと下げた。

    「そうか」

     悲し気に、まるで叱られた子犬のようにしょげるイヌピーを見ると、理性があっさりとぐらつく。悲しませたくないなんて女にも思ったことのない感情がむくむくと胸の中で育って、俺は妥協案としておずおずと片手を差し出した。

    「あ~……手のマッサージとかできる?」
    「……! できる」

     嬉しそうにぱっと顔を明るくしたイヌピー。

    「ココ、良かったら横になってくれ」

     俺を寝かせると薄い掛布団をかけ、その横に座った。正座した膝の上に掌を乗せられて、手を広げるようにしてそっと指で押された。掌全体を撫でられ、押され、それから指をゆっくり引っ張られる。その後に少し力を込めておそらくツボを押されて、その痛気持ちよさに小さく呻いた。

    「気持ちいいな」
    「ココ、掌まで凝ってる」

     そう言われても自分では分からない。が、イヌピーが言うならそうなんだろう。普段健康とは言い難い生活をしている自覚もある。

     手の甲が少し膝に触れて、柔らかな弾力にぴくりと腕が動いてしまった。

     ……これはマッサージ。マッサージ。美容院とかでも最近はあるだろ、こんなの。

     不埒なほうに向きそうな気持を落ち着け落ち着けと宥めるが、手に全神経が集中しているのが分かる。気持ちいいのに拷問みたいで、やめてほしいのにずっと触れていてほしい。

     なにか気を紛らわすようなことを……と考えて、ふと指先に触れる違和感に気が付いた。


    「あれ、イヌピー指先、切れてる?」

     顔に似合わず固くて太い指の先が、小さく引きつれている。薄闇の中で目を凝らすと、盛り上がった皮膚はかさぶただろうか。そう言えば彼の手の甲や指の節にも、テーピングのようなものが貼られている。

    「……悪い。引っかかって痛かった?」
    「俺は全然平気だけど、イヌピー痛くない?」
    「俺も平気」
    「そう? マッサージ、大変だったらやめてもいいから」

     怪我してるのに無理してほしくない。そう思って言うと、はじめてイヌピーが分かりやすく笑った。そうして『ちょっとでもゆっくりして欲しいから』と言うと、柔らかなマッサージが再開された。

     指先から伝わってくる気遣いと、ほんの少しさっきよりも緩んだ彼の雰囲気に心臓が跳ねる。いや、さっきからずっとドキドキしていたんだけど、さっきまで以上に後戻りできないほど胸がぎゅうと掴まれるのを感じた。
     

     たぶん、俺はイヌピーを気に入っている。いや気に入っているなんてレベルじゃない。
     偶然立ち寄った添い寝カフェなんていう怪しげな店で出会ったこの青年に、どうしようもなく心を掴まれている。
     美人だからとかだけじゃなくて、言動の端々から伝わってくる優しさと寂しさの入り混じったような性格にも惹かれてしまっているんだと思う。もしかしたらこれは全部添い寝カフェの店員としての計算かもしれないけど、騙されてもいいかと思うくらいには嵌ってしまった。たった数十分程度の時間で、それくらいに心を絡めとられてしまった。

    ――嘘だろ。なんだよ、この感情。

     こんな不可解な気持ちは生まれて初めてだった。
     ちらりと『恋』という言葉が頭の中を掠めるが、いやいやまさかと否定する。
     見たこともないような美人で可愛い相手にテンパっているだけだ。どうしようもなく気を惹きたくてしょうがないのも、イヌピーが綺麗だからというだけだ。性格がいいっていうのも好感が持てる程度だ。恋なんて自分が落ちるわけない。

     そう思いこもうとするが心がそわそわと揺れ動いて定まらない。
     せっせと俺の手を揉むイヌピーにこっちを向いてほしい。ただの一晩の客だけじゃなくて、ココという存在を覚えてもらいたい。あわよくばその心に入り込みたい。だけどこの静かな雰囲気を持つ青年の機嫌の取り方が分からない。

     これが行き慣れたクラブやキャバクラの女だったら分かりやすかった。きゃあきゃあと高い声で話す言葉に耳を傾け、ときおり一緒に盛り上げ、高い酒を入れて喜ばせて。そうすれば向こうから連絡先だの次の予定だのと聞いてくるのに。

     クソ、ここの店はなんでドンペリもクリュッグもクリスタルもねぇんだ。

     壁にオプションらしいメニュー表があったが『コスプレ変更』だの『膝枕』だの、イヌピーを喜ばせるというよりも俺の欲望を満たすようなものばかりで気が引ける。違うんだ。金を払いたいけど、なにかして欲しいわけじゃない。

     とりあえず歳でも聞いて、休みの日に何してるのかとか。あ~、でもそういうのって初めて来た客に聞かれるとウザいかな。外で会いたいとかいきなり言われたらキモイもんな。普通に死ねって感じ。歳とかもプライベートすぎ? つーか10代だったらどうしよ……。
     
     瞳を閉じて考え込むけれど、いまいちいい案が浮かばない。普段の仕事では切れ者と評判のはずなのに、なぜだろうか。俺の脳みそは壊死してしまったんだろうか。なぜかマッサージされている手の感覚も遠くなっていく。ふんわり香るアロマの匂いも、彼方にいってしまった。

    「ココ、本当に疲れてるんだな」
    「ん……イヌピー……いる……?」
    「うん。いるよ。どこにも行かない」
    「良かった……」

     ぎゅ、と手を握られる。温かくて気持ちいい。その温かさと柔らかさに安心して――俺は意識を手放した。








     




    「え……朝?」


     ぱち、と瞳を開けると、辺りはうっすらと明るくなっていた。ヒーリングミュージックに、アロマの匂い。狭い半個室に、薄い布団。

     それから――もしかしたら夢かと思った相手が、横でくーくーと可愛らしい寝息を立てて眠っていた。俺と手を繋いだまま。

     寒かったのかいつの間にか俺のとなりにぴったりとくっついて布団の中収まっている。掌はマッサージをしていた時と同じように、柔らかく握られているが、それは恋人繋ぎとやらに変わっていた。


    「うわ……朝からすげえ美人」


    息を殺して寝顔を穴が開くほど見つめる。
    普通寝顔なんて間抜けだろうに、イヌピーのそれは芸術品ですと言われても信じそうな顔だった。そのまま写真を撮ったらなんか賞でも取れるんじゃないか。ビデオで撮ればきっとカンヌもいける。

    そんなバカなことを考えでいたら、髪の毛と同じ色をした眉毛がぐ、と歪んでそれから重たそうなまつ毛が持ち上げられた。

    「やべぇ。寝ちまった」

     掠れた声でイヌピーが呟く。まるで事後のような雰囲気に背筋がぞくりと粟立った。色っぽすぎるだろ。

    「あ、おはよ」

     むくりと起き上がったイヌピー。手のひらが離れて寂しさを感じるが、笑顔をつくって挨拶をする。するとイヌピーは苦い顔をして「おはよう」と告げると、布団からすばやく抜け出した。

    「寒くない?」

    ふるふると首を横に振られる。彼はそのまま少し逡巡するように困った顔をして、何度か口を開いたり閉じたりして。それからその場で座ったまま頭を下げた。

    「すまなかった」
    「ん、なにが?」
    「……ほんとはキャストは寝たふりして起きてなくちゃいけなかったんだが……俺も寝てた」
    「ああー、いやいや気にしなくていいって。俺もよく眠れたし」

     そんなこと気にしなくていい。たぶん話したりマッサージされてたのは1時間くらいだから……そのあと4時間近く同じ布団にいたってことか? 記憶がないのが恨めしい。でも寝もしないで横にいるだけなんて辛いだろう。それに俺もイヌピーの体温があったおかげでよく眠れた。たぶん、この数年で一番よく寝た。

     しかし大丈夫だと告げる俺を見ずに、イヌピーは悲しげな顔のまま立ち上がった。

    「ほとんど話もしてないし、俺、全然サービスできてなかったな。ちょっと待っててくれ」
    「え、イヌピー?」

     個室から足早に去ったイヌピー。どうしたんだと呆然としていると、5分ほどしたらまたしょげた顔をして戻ってきた。

    「これ、次回のサービス券。俺以外のキャストはしっかりしてるし、フロントにも伝えてあるから次はまともな子が付くと思う……悪かったなココ」
    「え、ちょ、あ、イヌピー!?」
    「そっちに洗面所がある。支度できたらフロントに来てくれ」

     イヌピーはそう言いもう一度頭を下げて謝ると、パタパタと軽い足音を立てて立ち去ってしまった。

    「イヌピー……」

     手のひらには20パーセントOFF、と書いてある薄っぺらい紙切れ。 店の誰かが作ったのだろうチープさがいやに生々しい。

     それを握ったまま俺は一人取り残されてしまった。
     急にがらんと寒くなった気がする個室で、俺は幸せな夢からたたき起こされた気分だった。

    「もうちょっと、話とかしたかったな……」

     去り際に彼が悲し気な顔をしていたのが妙に気になる。まるで逃げるように立ち去ったのも。だけど俺が何もできない、なんなら彼の後を追いかけることすらできないのがもどかしかった。







    「すみません、キャストが失礼をしてしまったって聞きまして」
    「いや全然失礼じゃなかった。むしろ最高だった」

     便所を済ませ身支度を数分で整えフロントに赴く。もしかしたらイヌピーがいるんじゃないかと思ったけれど、残念ながらいたのは受付の男一人だ。男の発言を遮るように食い気味でイヌピーは最高だったと言うと、なにやら変な顔をされる。いや俺だって自分がキモイ客だとは思うが、後でイヌピーが店から叱られでもしたら可哀そうだろう。

     追加料金がないことを確認すると、後ろ髪をひかれながら狭くて急傾斜な階段を下りた。




     外に出ると台風は過ぎ去っていたようで、空は抜けるように青く澄んでいた。
     
     さっそく流しているタクシーを捕まえようと足を進めるが、瞳の奥でであの金髪がちらついて離れない。
     イヌピー。昨日会ったばかりなのに気になってしかたない。なんなら今から店に引き返してもう24時間延長で、と無茶なことを言いたい。理性的な性格からそんなことはできないけれど、馬鹿な妄想をしたくなるくらいに心がおかしなことになっている。

     今まで見たこともないくらい綺麗で美人で、それなのに性格は不器用そうで可愛くて。絶対にこれきりにしたくないと人生で初めて思った。

     クソみたいに最低だと思った夜だったのに、一夜明けるとその朝は最高どころか人生を変える予感すらした。湿ったコンクリートを踏みしめながら、また来ようとひっそりと心に決意していた。




    ◇◇◇◇◇
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    Replies from the creator

    noranekosuteinu

    DONE初代黒龍の憧れの相手、ワカくんと付き合い始めたイヌピー。だが憧れのワカくんに愛されている自信がどうしても持てなくて、些細なことに落ち込んだりと暗い気分で過ごしていた。そんなある日、彼に好きな人がいると聞いてしまい……。最後はハピエンです。

    ↓ご注意ください
    ※ココの名前は出てきますがココイヌではありません。
    ※未成年の飲酒表現あります
    ※ワカクンじゃなくてワカくん呼びにしています
    ワカイヌできた◇◇◇◇◇




    ――俺はよく悪夢を見る。

     それは決まって、ココが俺を火事から救い出したあの夜だ。まだガキだったっていうのに、燃え盛る炎の中に飛び込んだココ。どれだけ恐ろしかっただろうか。賢いココは、自分が死んでしまうかもしれないと分かっていたんだろう。それでも赤音を救いたくて、きっと必死に自分を鼓舞して脚を踏み出したんだろう。

     そしてその決死の思いで救い出したのが……赤音の弟の、顔だけは赤音にそっくりな俺だった。

     赤音じゃない、青宗なんだと言った時のココの顔が忘れられない。


    『間違えた』


    『間違えた』


    『間違えた』


     言葉に出さなくても彼の顔がはっきりと物語っていた。
     ああ、そうだ俺は間違えられた。俺は望まれていない。
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