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    simoyo1206

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    月野帝国 これ https://poipiku.com/395676/6700050.html の続き

    #ツキプロ

    ‪三藤事件と青年将校自殺未遂事件 吉野平蔵

    法廷は既に、一般の傍聴人で埋め尽くされていた。今日行われる公判は、帝国で五本の指に入るとも言われている名医が起こした殺人未遂事件についてだ。被害者は衛藤皓文前大蔵大臣の一人息子であり、被告人、川田懋は、衛藤前蔵相ら政府高官三名が殺害された三藤事件の首謀者である非合法革命組織から賄賂を受け取っている。今日からの公判でもその件について言及があるものと思われる。
    この国では政治事件裁判が公開されることは稀である。しかし同時に民衆とはセンセーショナルな話題に非常に敏感だ。秘匿されると却って知りたくなるのものである。だから皆、挙って今回のような事件の傍聴券を求めて殺到する。不謹慎な話ではあるが、一軍人の命が脅かされるに至った経緯よりも、国家を揺るがしかねない大事件の方に興味をそそられてしまうのが、一般的な感覚であると言っても過言ではないのだ。かくいう私も、ジャーナリストとして真実を知らなければならないと思い至り、法廷に赴いたのであるから、同じ穴の狢である。
    グレーの背広に臙脂のネクタイ姿で現れた川田被告には憔悴した様子は見られない。むしろ、どこか安堵しているような落ち着いた雰囲気である。本稿では第一回公判で明らかとなった、三藤事件及び青年将校自殺未遂事件の真相について論じていきたい。

    注 被害者は未成年であるため、名前等は伏せることとする。

    ※追記 私は憤慨している。この原稿は私の属する出版社によって一度は焼却処分に付されたものを、私の手元に残された僅かなメモから特に重要な部分を復元し、取り急ぎ寄稿させていただいたものである。
    川田裁判は公開裁判であるから、当然一般人も数多く傍聴に訪れていたし、私のように速記を取っている記者も少なからず存在した。しかしながら出版社は川田が語った内容に怖気ついているのだ。何を今更、と思うが確かにこの国を揺るがしかねない真実がそこにあったというのも紛れも無い事実である。だからこそ、私は己の職責を全うせねばならないと考えている。保身の為に筆を折るなど言語道断である。
    存在を抹消されかけたこの原稿を、被害に遭われた故衛藤蔵相と蔵相の御令息に捧げたいと思う。
     

    川田懋 第一回公判
     
    問 被告人。氏名、年齢、本籍地、住所、職業を答えてください。
    答 氏名は川田懋、年齢は七十八、本籍地は月野帝国第二中央区街十三番地、住所は本籍地に同じ、職業はありません。
    (中略)
    問 被告人は、三一五年六月中旬頃から被害者に禁止薬物を処方し続け、自殺未遂に至らしめた。この内容に間違いはありませんか。
    答 はい、間違いありません。
    問 では、被害者を殺害しようと思い始めたのはいつ頃のことですか。
    答 思い始めた、と言いますか、被害者の殺害を依頼されたのは、昨年の五月でした。以前から被害者家族とは面識がありましたから、彼等(反月統一戦線)はそれを知って私に協力を仰いだのでしょう。
    問 暴力集団『反月統一戦線』に協力した動機はなんですか。
    答 彼らの方から話を持ちかけてきました。彼らの語る崇高な理論とやらは私には理解できませんでしたが、月野など滅んでしまえばいい、という点に関しましては、私にも以前から思うところがありました。私は……私は、辰邑の出身です。(傍聴席、どよめく。)
    裁判長 静粛に。被告人、続きを。
    答 はい。……もう、五十年以上は経つでしょうか。月野が我が故郷を侵略した際に、多額の出資をしたのがあの帝立銀行でした。衛藤家はご存知の通り世襲で莫大な富を築いてきました。前頭取であった皓文氏も当然その一員でありますから、何等関係が無いとはとても言えません。当時……辰邑がその国土を蹂躙された時の頭取は、皓文氏の大伯父であったと記憶しております。あの戦争で私は妻以外のすべてを失いました。辰邑は月野などとは比べ物にならない小国でしたが、月野は圧倒的な軍事力、というだけは説明できないような、そう、ちょうど件の未確認生命体の如き、強大な何かで我々の国を文字通り消し去ってしまったのです。これを恐れない者がありましょうか。半世紀が経った今でもあの時の恐怖は忘れられません。同時に、この国と、帝立銀行への恨みも並々ならぬものがありました。しかし、私一人が何かしたところでこの国もかの銀行も揺らぐはずがありません。毎日そのようなことを考えながら過ごして愈々死期が見えてくるようなこの歳になって、反月統一戦線のとある青年等と出会ったのです。彼らは私に被害者の殺害を依頼しました。何故被害者を狙ったのかは分かりません。彼らは金ならいくらでも出す用意があると言いましたが、私は皓文氏の殺害を要求したのです。……彼らは私が辰邑の出身だとは知らなかったようです。それは、私も必死に隠して生きてきたのですが、人殺しの依頼をしてくるような方たちですから、それくらいは調べているものだと思っておりましたが。とにかく取引は成立しました。口約束で済ますような内容でもないので、私は彼等から現金一億を受け取りました。賄賂、などと言われているのはこのことであろうと思います。彼等は国家転覆を目論んでいましたから、そのような思想の方々に協力することは、延いては私の、私達の恨みを晴らすことになるのではないかと思いました。
    問 つまり、被告人と反月統一戦線は、被害者と衛藤皓文氏の交換殺人をすることで合意に至ったということですか。
    答 はい、その通りです。
    問 では、被害者本人への怨恨等が動機ではない、ということですか。
    答 はい、そういうことになります。
    問 恨んでもいない、しかも自分の患者に危険な薬物を投与することに躊躇はなかったのですか。
    答 それはありませんでした。被害者のことは、幼い頃から知っていました。彼は適合者ですから、まだ子供なのに最前線に立って未確認生命体との戦闘をさせられています。多感な年頃の、しかも月野全土の中でも上から数えた方が早いような資産家の家に生まれた彼が、そのような過酷な環境にすぐ適応できるわけがありませんでした。彼は私の病院に足繁く通い、どうにか他に迷惑をかけずにいられるように、と頻りに薬を求めました。私は彼が可哀想でなりませんでした。彼だって憎き衛藤の人間であることには違いないのですが、幼い頃から面倒を見ていたせいでしょうか、情が移ってしまったのです。だから、反月統一戦線との交換殺人を行うことが決まって、やっと彼を楽にしてやれる、などと思ってしまいました。医者として恥ずべき考えであることは重々承知しております。しかし、禁止薬物を処方し始めてからの彼は、実際に晴れやかな心持ちになったと頻りに言っておりました。少しでも楽になれるのならば、それが一番であると考え、依存性が高くとも、気分が落ち着くようなものを選んで彼に渡しました。
    問 被害者が自殺未遂に用いた薬は睡眠薬ですが、これも被告人が処方したものですか。
    答 はい。処方箋は出しませんでしたが、確かに私が処方したものです。被害者は睡眠障害を患っていたので、これも強力な物を選びました。
    問 被害者は、それまで多くとも一週間分しか処方されなかった睡眠薬を、一月二日に被告人が勤める病院を訪れた際には二ヶ月分処方されたと証言していますが、敢えて自殺が出来るような量を処方したのですか。
    答 二ヶ月ではなく三ヶ月分であったと記憶しています。自殺に用いるように、というのはその通りです。
    問 致死性のある毒物ではなく、主に依存性を危険視されて禁止指定された薬物を処方していたのは、自身に累が及ぶことを危惧してのことですか。
    答 そういった考えもありました。被害者は‪実際に精神疾患を患っていましたから、精神安定剤の処方が必要な状態でした。あの薬ならば、精神安定剤や睡眠薬と同時に服用すれば、万一司法解剖が行われても検出されないと、そう思いました。しかし、第一の理由は、彼を安らかに眠らせてやりたかった、ということになるかと思います。‬
    ‪問 被害者の境遇を慮るのならば、長期間苦しめてから殺害するというのは道理に合わないのではないですか。‬
    ‪答 或いはそうかもしれません。しかし、被害者はよしんばあの薬を服用していなかったとしても、いずれ自死を選んでいただろうと思います。私は軍医ではありませんから、心獣、でしたか。あれと行動を共にすることによって起こる影響について、詳細は知りません。調べようにも軍事機密扱いになっていましたから。医者として情けない話ですが、彼の病は私には治せません。推測だけで治療を進めるには未知の情報が多過ぎましたし、それ以上に戦場に於いての精神的負荷があまりにも大きかったのです。私には最前線で戦う兵士達が何を見ているのか、分かりません。けれど、彼を……被害者を診ていて、とても言葉では言い表せないほど酷い環境であるということは嫌でも伝わってきます。そんな状況に殆ど強制的に置かれていては、治るものも治りません。彼の病状は、もはや手の施しようがないところまできていたのです。禁止薬物の処方は、いわば延命措置でした。‬
    ‪遅かれ早かれそういった選択をしてしまうのなら、少しの間だけでも気が楽になれば。彼の為を思うとそんな邪な考えが脳裏を過ぎりました。私は確かに彼の殺害依頼を引き受けましたが、その方法については何等指定はありませんでした。それならば、私が考え得る最善の方法で彼を眠らせてやりたいと思ったのです。‬
    ‪しかし私は彼を殺し損ねてしまった。一命を取り留めてしまったことは彼にとって全くの不幸でした。きっと彼は戦場へ戻らねばなりません。いかに信頼出来る仲間がいたとしても、それだけでは彼にとっての地獄が地獄以外の何かに変わることなど有り得ない、そう断言しても構いません。‬
    ‪私が極刑に処せられることが彼への贖罪になるのならば、私の命でそれが出来るのならば、私はそういった判決でも受け入れたいと思います。‬



    ‪※編者註 川田被告は犯行当時から現在に至るまで心身耗弱状態に陥っていると診断された為、死刑ではなく懲役五年を言い渡された。‬
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