溶けたマシュマロとパンケーキの隠し味 1
ゴールデンウィークである。休めない人に気を遣って、公共放送では頑なに「大型連休」と呼称される。しかしそんな気遣いは何の足しにもならないどころか偽善にしか感じないので、どこかに捨ててほしい。いややっぱり気遣いは欲しいのでそのままでいい。気を遣われているということが重要なのだ。でもやっぱりなんかむかつく。揺れ動くこの乙女心を理解してほしい。
爽やかに晴れた初夏の日差しが、アスファルトを溶かしかねない勢いで照りつけている。毎年、この時期はいきなり暑くなるのだ。春はどこへ言ったのだろう。ついこの間まで肌寒くて上着が手放せなかったというのに、今日は汗ばむ陽気どころか今年初の夏日だ。いきなり気温が上がりすぎている。巫女装束めいた白と緋色の和服の下でじっとりと汗ばむ肌が気持ち悪い。朝のひんやりした空気が暖められて、それに呼応するように街中には人が増えている。そろそろ商業施設も開店時間を迎える頃合いだ。
気温調節スイッチをフルスロットで回したのはどこのどいつだ。もしやスイッチは回転のつまみではなくトグルスイッチなのではないだろうか。汗を拭いながら、庵歌姫は真剣に疑った。
『じゃあそういうことだから。そんなに遠くないし、ついでに祓除よろしくね。たぶんすぐ終わるよ』
一方的に用件を伝えられた後、ぶつりと通話が切れた。
「あ、あの野郎……!」
ケータイを握りしめる手がわなわなと震えた。思わず毒づいたのは致し方ないだろう。その権利が歌姫にはある。――はずだ。労働基準法とかいう法律の外側で働いている人間にも、最低限の人権はあるはずだ。
ケータイをアスファルトに叩きつけたい気持ちをぐっとこらえる。早朝から駆けまわってようやく仕事を片付けたと思ったのに、この仕打ちはあんまりじゃないか。
「私は今から、可愛い後輩とデートする予定だったんだよ!」
歌姫が何に憤っているかと言えば、つまりは貴重な休みを返上する羽目になったからである。
2
「えっ、そんなあ」
家入硝子が思わず漏らした声に、同級生のやたらめったら背の高い男子どもが振り返った。
「どうかしたの?」
配膳を下げて、人当たりのいい方――夏油傑が硝子に尋ねた。穏やかな声に反して、真っ直ぐな黒髪を長く伸ばして不良少年じみたところがある。実際、制服を時代錯誤の不良のように改造しているのだから間違いではない。十代半ばにしてニコチンを愛している硝子の言えた義理ではないが。
「歌姫先輩、急な任務が入ったって」
食べ終わった食器を目の前に、ケータイをぽちぽちいじりながら硝子は答えた。朝食にはいささか遅い時間だが、今日は授業が休みだから許されている。
「ゴールデンウィーク返上かもって。今日遊びに行く約束してたんだけど」
ただでさえ生徒数の少ない学校で、同性はさらに少ない業界だ。親しい先輩――歌姫は貴重な存在だった。たまにしかない上になかなか重ならない休みには一緒に出かけるほど仲が良い。
「それは大変だね」
夏油は眉を寄せた。
「どうせすぐ呼びつけられるんだからさあ。約束するだけ無駄だって」
けだるそうにもう片方の男子が言った。呪術界で名を知らぬ者はいない名家の出身者で、何をまかり間違ったのか実家を飛び出して呪術高専に入学してきた五条悟だ。こいつは見た目も態度もクズそのものである。
「久しぶりの休みだって言ってたのに」
返信メールを打ち終えて、硝子はぱちりとケータイを閉じた。食器を押しのけて食卓の上に上体を倒した。動く気力がない。
歌姫はこの春に高専を卒業して、呪術師として本格的に任務を受けている。いわば新人なので、ひとつひとつは大したことがなくとも、とにかく振られる任務が多い。忙しい中を縫って作った休日が電話一本で消滅とは、この世はなんと無情なことか。
「今日どうしよっかな」
一応、高専は公立の教育機関なので、休日はカレンダーに準じている。硝子の方は休みだが、一人で出かけるのもむなしい。元々大して外出する方ではないから、歌姫と一緒でないのに繁華街へ繰り出すのもやる気がでない。
「歌姫こっちに来てるんだ」
「うん。ちょうど任務が近くだから、朝の内に片付けて、その後遊びに行くつもりだったんだ」
「ふうん。どこ行くつもりだったの?」
「渋谷。新しくできたスイパラがあるって聞いたんだよ」
「スイパラ? それって」
五条と夏油が顔を見合わせた。
「何?」
「いや、私たちが行こうとしていたところと、もしかして同じじゃないかと思って」
夏油がケータイを取り出した。
「ほら」
「あ、ここ」
表示された店名は、まさしく硝子たちが出かけようとしているところだった。