警戒区域でキスをして 思えば、あの時点でもう少し勘ぐっておけば良かった。
水上は潤んだ目で自分の上にのしかかってくる麗しの王子という名の姫君を見上げながら、自分の理性と対局する羽目になっていた。
「水上ィ、おまえ、インポってマジか」
「あ!? なんやいきなりその言い草は。言わすで、おい」
ふらっと近づいてきた影浦の口から出てきたのは、教室というか第三者のいるような場所で投げかけてくるにはとんでもない問いで、さすがの水上も思い切り顔をしかめた。
十代の健全な青少年に言っていいことと悪いことがあるだろう。
周りてたむろっていた、ボーダーの仲間たちが興味津々の、明らかに面白がっている様子を横目にきっぱり反論する。
「ビンビンに決まっとるやろ。今朝かて天井に届きそうな勢いやったわ」
「あ、悪ぃ。ちょっと確かめてくれって言われてよぉ」
「いや、そこはツッコんでくれへん?」
「さすがに悪いな、今のはカゲが。必要だろう、前置きは。デリケートな問題だぞ、男の沽券と股間に関わることは」
「同意するけど、自分でも上手いこと言ったと思ってないか?」
「あー、外野やかまし。ポカリちょっと黙っとれ。鋼も乗っかんなや。ちゅーか誰やん、そないなこと言うたん」
「ゾエ。っていうか、3Bのクラスの女子。あいつは仲介みてえな感じ」
「……なして俺のチンコの具合がよそのクラスの女子の確認事項になっとるんや」
「そりゃ、ゾエのクラスに誰がいるかを考えれば何となく分からないか」と村上がくすりと笑って問う。
「誰って……王子ィ?」
あいついったい何言いよってん、と水上は隣のクラスにいる、おおやけにはボーダーのライバル隊の隊長であり、プライベートではお付き合いをしている、バラのように可憐でありながら、うっかり触れれば遠慮なく棘で報いる攻撃手の名を口にした。
「もしかして、王子を満足させてやっていないのか、水上。だからその不満をクラスメイトに相談して、とか」
「村上く~ん真面目な顔で言うことちゃうと思うんやけど」
「いや、性生活の不一致は大事なことだと思うんだ」
「思う、俺もそう」
村上の意見に、穂刈も影浦もそれぞれのかたちで同意する。
「淡白そうだもんな、おまえ」
「……あのなあ」
自分こそ彼女の気配を感じさせない影浦の追い打ちに、もはや黙っているのは男子の不名誉、とうわべばかりは飄々とはしているものの、小学生の頃から盤上で切合をしてきた負けん気の強さを垣間見せて、水上は声を荒らげた。もちろん、クラスの中の女子の耳には入らない程度の調整はした上で。
「満足も不満足もそこまで王子とはいっとらんわ!」
「は?」
「え」
「アァ?」
「キスかてしとらん」
三輪唱のように立て続けに放たれた、声音に水上の更に彼らの予想の外の答えが重なる。
「健全なお付き合いのどこが悪い」
えっへん、と水上は決して厚みがあるほうではない胸を張ってみせた。
「いやいやいや、おまえマジで性欲あんの? 頭使い過ぎて、機能不全起こしてるんじゃねーのか?」
「しとらん言うたやろ」
「けどな」
「……あのなあ、よう考えーや、おまえら。あのえろう可愛くて、肌もすべすべで、ええ匂いがして、出るところは出てくびれてるところはくびれてて、声もキュートな王子やで?」
「あ、こいつ、どさくさにまぎれてのろけてる」
「のろけてるな、確かに」
「これは記憶してたくないな」
「だーっとれ、聞き出そうとしたんはそっちやん。……つまりやな、そんなべりべり魅力的な彼女とキスなんてしてみい。我慢できるか。できへんやろ? そんなんもう辛抱たまらんくなって押し倒してその場でズコバコしたなるに決まっとる。俺かてやりたい盛りのDKやで!」
「すりゃいいじゃん」
「あかん! 俺らまだ高校生やで! 籍は入れられる年やけど、成人前や。いざとなったら責任なんて取れへんやん」
「いざ、ねえ。別にナマでやんなきゃいいだけの話じゃねーの」
「俺は、もし、王子と一緒になるなら、ちゃんと順番を守りたいねん。自分の手綱が取れる思うたら、そのうちキスくらいはして、それからいつかはプロポーズして、みんなに祝ってもろうて結婚して、そしたら晴れてひとつ臥所にってのが筋やろ」
「いつの時代の人間だ、水上おまえ。戦前か?」
穂刈が正気を疑う目で、朗々と絵に書いただけの人生計画をのたまう水上を見るが、村上が宥めるように告げる。
「そう言ってやるなよ。それが水上的には『定跡』ってことなんだろう」
「分かってくれたか~、さすがは村上や」
「俺も多少はどうかしてると思うが」
「あっそ」
とにかく、と水上は腕を組んで、まるで混迷した盤面を読み解いている最中のような顔できっぱりと告げた。
「俺はあいつを大事にしたいんや。防衛隊員として頑張ってる分だけ、普段はお姫さんみたいに甘やかして、優しくして、ええ気分でいてもらいたい。それだけや。その為なら一人でマスかいて我慢くらい幾らでもするわ」
男三人は、分かるような分からないようなとばかりに、何とも言えない顔でそのご高説を承りはしたのだが。
「それが本当に王子にとって、大事かどうかは、正直あやしいと思うけどな」
「……カゲ、なんか刺さっとるんか、王子の感情」
「俺に向けてじゃねーから、分かるわけねーだろ。けど、ま、一般論だ」
果断な影浦らしくもないそんな言葉は、確かにその日、王子と図書館で待ち合わせして下校デートをするまで水上の中に、靴の中にはいった小さな石ころみたいに気にはかかっていたのだが。