過去形はここで捨てゆけhrak 過去形はここで捨てゆけ
巻き戻しボタンを押しているのは自身のはずなのに、その場面が画面に現れるのを忌々しいと思う。ボロボロのからだ。見たことのない男。昔見た映画にでていた死神のかぶる骸骨のお面と同じような顔。傷だらけのからだ。ぶかぶかのコスチュームは、ついさっきまであんなにも張りつめて男を包んでいたのに、今ではどこもかしこも余りきって、男は服に着られているような。
無様だ。忌々しい。
「次は君だ」
悔しい。悲しい。惨めな気持ちになる。やめろ、やめろ。
テレビ画面の前で固唾を呑んで、これを見ていた人どもはどんな気持ちになったろう。
彼は、自分のことだと思った。No.1をお前に譲ると、骸骨に笑われたのだと、腹が立った。一晩中、収まりきらない怒りを持て余し、先ほどまでの現実を脳内でこね繰りまわし、こどもたちが寝ていることなど気にもとめずに物にあたった。結局のところ、骸骨は夢想で、あの男はどこまでもヒーローだった。No.1ヒーロー、だった。
あの男の指差したところがどこか、誰か、何を意味するのか、エンデヴァーには分からないが、自分ではないのだろう。それはそれで、腹立たしい。
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ひょろひょろの骸骨でも、上背はある。それでも、自分と並んで座ればどうしたってか細く見える。だと言うのに、オールマイトは始終ご機嫌だ。カウンターで一人呑んでいた私服のエンデヴァーを嬉々として捕まえて、嫌だと言うとしょんぼりして見せて、店のすみの半個室に連れ込んで。それから一時間もかけて、油っ気の少ないつまみと、よりにもよって烏龍茶で、酔っ払ったように、目元を緩めて。
「君も蕎麦が好きなの?」
からあげにかぶりつこうとしていた。眉をひそめて、訝かしげに見た。オールマイトは口元に手をあてて、小娘みたいにくふくふ笑い声をたてて、「やっぱりそうなの?」と勝手を言う。からあげは皿の上に置いた。一体どこをどう見てそんな質問がでてくるのかと、嘲笑ってやれば、「親子だものね」ときた。
「君たち、食べるときの顔がそっくりなんだもの。そっか、好物まで一緒なんだ。親子だもんね、いいね」
何の話をしているのか思い当たった時、舌打ちが出た。オールマイトは気付かずに笑って、もずく酢をつついている。さっきからこの男は、酢の物ばっかり食べている。
「そうだ、この間のクッキーおいしかったよ。あれって君が選んだの?ずいぶん可愛らしかったけど」
「クッキー?」
「ウン。ほら、この間、日曜日に家族でお見舞いに行って、その帰りに買ってきたってやつだよ。わざわざ私の分まで、ありがとね」
「……別に、構わん」
からあげは、皿の上に置いたまま、だった。酢の物になど、一切手をつけていないのに、口の中が、妙に酸っぱいような気持ちになってきた。
「でもよかった。焦凍くん、最近明るくなってきて私もホッとしてるんだ」
店員を呼んだ。いつものような大声は出なかったが、店員はいつものようにすぐに来た。
「刺身、こいつをロックでもう一杯、灰皿」
ハイ、と返事が返ってきた。刺身盛りの大きい方がおひとつ、炎魔天のロックがおひとつ、灰皿、と復唱が続き、そこにオールマイトが「このカシスオレンジもいい?ノンアルコールのほう」とにこにこと割ってはいる。
刺身盛り、芋焼酎、灰皿。いいや、この前は餃子と、レバニラ炒めと、ビールだった。日曜日はオフの日だった。昼まで自宅で筋力トレーニングをこなして、娘の作り置いた昼食を食べ、事務所の人間に呼び出され、家を出た。急ぎの用ではなかったが、わざわざ出向いたのは時間が余っていたからだ。することもなかったし、用意されていた昼食では少し物足りないように思っていたので、夜は外で呑もうと思っていたからだ。
エンデヴァーは、焦凍と会っていない。先週だけではなく、先々週も、その前も、会っていない。娘か息子かが会ったという話も知らない。
だから、もちろんクッキーだなんて身に覚えがない。息子のいう『家族』に、少なくともエンデヴァーはいない。からあげを掴んだ。かじると冷えていた。
「君、煙草吸うの?」
オールマイトの……いいや、目の前の骸骨の髪はオールマイトのように跳ねていない。垂れ下がって顔の横をふらついて、運ばれてきたカシスオレンジのグラスも相まって、女子供のように見えてくる。
見た目は骸骨で、身体は男のものだった。やけにぶかついたカーディガンは、ボタンが右に付いている。指も節くれ立って傷だらけで、喉仏は首元にきちんとついている。でも、エンデヴァーは「女子供のようだ」と思った。思いたかったのかもしれない。
「吸わない」
「でも、灰皿頼んだよね?」
「いいだろう、別に。何の不都合があるわけでもない」
酒を煽ると胃が焼けるように痛む。炎を飲み込む代替品。
「ふうん、面白い人だね、君は!」
HAHAHA、と陽気な笑い声で、エンデヴァーはもうだめだった。かくんと首をさげて、頬を伝う涙がばれないよう、ささやかなプライドを守るように、しがみつくように。
(緑谷だったか。"あれ"は、俺と焦凍は違う人だなどと息巻いていたな。ああ、本当に、そうだと思う)
最高傑作などではなく、上位互換ですらない。あれはまさしく理想であるのだ。理想になれないのを知っているものだけが"ああいうもの"を作ろうとする。とっくに折れているのだ。折れているのに、捨てられない。諦められないのに、折れている。
下に置きたかった。そうだ、成れないなら、作りたかったのだ。"コレ"は俺が作ったのだ、と言いたかった。骸骨は笑うのをやめた。しばらく、二人とも黙っていた。
だけれど、きっと"アレ"を磨くのはオールマイトなのだろう。オールマイトの光、オールマイトの偉業、オールマイトの声、オールマイトに磨かれる原石たちが"アレ"を磨き、育てるのだろう。
刺身盛りの皿に敷かれた氷が溶け始めている。まだ一切れしか食べていないのに、どれもだらりと光りだし、いまさら食べてもうまくはないだろう。
「……大丈夫、私がいる」
大丈夫じゃない、と言ってやりたかった。大丈夫じゃない、大丈夫じゃない。骸骨は灰皿をエンデヴァーの前に差し出して、ぽたりぽたりと落ちていく涙粒を見ている。そうか、これは吸い殻か、涙じゃないと言ってくれるか。
「……オールマイトに、憧れていた」
こぼれでた言葉に返事はなかった。骸骨からも、憧れの男からも。