真夜中俺は天才だから、誕生日が何度やって来ようと自分はずっと16歳のままだということを知っている。
気がついたのはいつだっただろう。でも、よくあるタイムリープもののSFとは違って別に同じ一年を繰り返しているわけじゃない。毎日ちゃんと昨日とは違う新しい朝が来て、一週間が終わり、学業をこなしながらアイドルとして新しい仕事を経験して、そうしているうち季節が移り変わり、気が付いたら各々が誕生日を迎えている。
ユニットのメンバーたちもそれは同じで、初めて出会ったあの頃から年齢も背格好も変わらないけど、アイドルとしての経験値、お互いの関係性は流れた時間の分だけ確実に積み上げられてきている。
たぶん、出会ったばかりのころの俺なら、この生真面目な先輩と日付けが変わるぎりぎりの時間までこんな風に長電話なんてきっとできなかったと思う。
「鋭心先輩、質問してもいいですか」
『どうした。……まあ、質問の内容はだいたい想像がつくが』
右耳に押し当てたスマホから、学年が二つ違う先輩の苦笑いぎみの声が聞こえてきた。
ここ数年、俺は毎年この日の夜遅くになるときまってこの人に電話をかける。知りたいことがあるからだ。
「鋭心先輩、いま何歳ですか」
『……18歳だ』
ついさっき答えたばかりだが、と鋭心先輩が困ったように笑う。
ちょっと馬鹿げた話だと思うけど、俺はずっと、17歳に一番近い先輩を探している。先輩がまだ17歳の瞬間を、と言った方が正確なのかもしれないし、どちらも同じことなのかもしれない。自室のPC前に腰掛けて、画面端に表示されたカレンダーと時計を確かめる。5月22日。23時45分。あと15分もすれば5月23日、この人の18歳の誕生日がやってくる。
「18歳かあ」
先輩はやっぱりこの瞬間も継ぎ目なく18歳らしい。とりあえずあと10分くらいたったらもう一度聞いてみようと決める。ただ、これまでの経験からするとおそらくその質問にも今と同じ答えが返ってくるだろう。だから、どうせなら今年は23時59分のぎりぎりを攻めてみたいと思っている。
『今日だけで何度目かわからないな』
「5度目です。俺には大切なことなんで」
何度も繰り返される質問に、先輩がなぜ、どうしてと疑問を投げかけてくることはない。なんとなく許されているような、受け入れられているようなそんな感触がある。うぬぼれでなければ。
「そういえば先輩って、いつ背が伸びたんですか」
突然変わってしまった話題にも、特に何も言わずに答えてくれた。
『そうだな……中学生の、2年の終わりから3年になった頃だったか』
「元々、背は高い方でした?」
『いや。それまでは同じ学年の生徒の中でも比較的小柄な方だったと思う』
「あ、じゃあやっぱり成長痛とか大変でした?正直俺は、あんまりそこまででもなかったなって」
『もう過去形にしてしまっていいのか?』
まだ伸びるんだろう、という声にほんの少しからかいの色が混じっている。それで、今きっと電話の向こうであの表情をしているんだろうなと俺は思う。俺や年下の事務所の仲間たちと話しているときたまに見せる、あのなにかを慈しんでいるみたいな控え目に笑った顔だ。初めてその顔を自分や百々人先輩以外の人に向けているのをみた時、少し胸の奥がヒリヒリとした。この人、年下にはみんなあの顔をするのかな。
「あー、……そう、俺はちゃんとこれからも伸びる予定なんで。鋭心先輩にも絶対追いつくから、待っててください」
ふ、と先輩が笑っている気配がした。
『ああ、待っている。ずっと』
それはとても柔らかい声で、先輩が言葉を結んでからもしばらく耳の奥に残った。ずっと。ずっとだって。この先何度誕生日を迎えても16歳のままの俺が、先輩の身長に追いつける日なんてくるんだろうか。でも、そのいつやってくるかも分からないその時まで、この人は俺のことを待っていてくれると言う。口にしたからには先輩は必ず待つだろう。そういう人だから。
あれ。俺、舞い上がっているかもしれない。
『……成長痛か。ひどい時には眠れなかったな。節々が痛むのもあるが、目を閉じてじっとしていると自分の骨が軋む音がするんだ』
「え、すご……、それは初めて聞いたかも」
『背丈が突然伸びたせいで、中学の間だけで制服を二度も変えた』
それを聞いて、中学生の時の自分の制服を思い出す。どうせ背が伸びるから少し大きめのにしなさいと家族に言われて、しばらく裾や袖を詰めてしのいでいたんだった。
身の丈に合わない服を着た、真っ赤な髪の男の子を思い浮かべてみる。細長い指先まで落ちかかりそうな袖を、右手の方も左手の方も折り曲げてあげたいと思った。今と変わらない眼差しが、斜め上から俺の方に向けられている。……結局、俺はあまり先輩に見上げられたことがないから、その目をうまく思い描くことができないのだった。
「やっぱり、全然想像できないです。でも、その頃の鋭心先輩に、」
会ってみたかったな。声は徐々に小さくなっていって、最後なんてほとんど息に音が乗ってるだけみたいになっていた。言いながら自ずと立ち返らされる心地がしたからだ。今自分がやっていることの根幹にある何かに。
まだ背が小さかった頃の先輩にはどう宙返りしても会えない。でも17歳の先輩ならもしかしたらほんの一瞬だけでもスマホ越しに出会えはしないか。もうどうしてこんなにこだわっているのか、よくわからないままほとんど執念みたいにその瞬間を追いかけている。
17歳のとき、どんなふうでした。
16歳のときは、もっと小さい時は。
あれ、なんで俺ちょっと泣きそうになってるんだろう。
『秀、眠いか?』
相槌さえ忘れて考えにふけっていたせいで、そう取られてしまったみたいだった。一瞬鼻をすするためにスマホを顔から遠ざけて、すぐに戻す。
『明日も学校だろう。そろそろ、』
「……やです。あともうちょっと」
かろうじて鼻声にはなっていなかったけど、我ながら言葉の響き方がすごく子どもっぽかった。
『日付が変わってしまうが』
「……変わる瞬間を待ってるんじゃないですか」
だって明日、誕生日でしょ。鋭心先輩は俺に一番に祝われるの、やなんですか。
冗談みたいにそう投げかけようとして、言葉を引っ込めた。先輩にどんな反応を期待しているのかが自分でもわからなかった。苦笑いで流されるのも嫌だし、いつものように誰にも分け隔てない公正な態度でそんなことはない、と言われるのもそれはそれで嫌だった。
視界の端にデスクトップの時計が映る。
あ、嘘だろ。もう23時58分。いや今、59に表示が切り替わった。
それでも次の言葉が出てこなくて黙っていると、先輩が言う。
『俺も、お前に質問をしても構わないか』
「え」
『いつもこの日はお前が俺に質問してばかりだろう』
……先輩。待って。
『俺自身にもよくわからないんだが』
待って、待って。
『なぜ、毎年』
俺だって先輩に聞かないといけないことがあるんです。
今日、今、この瞬間じゃないと、駄目なんです。
『なぜ毎年、誕生日の当日よりも前日の真夜中が、こうも楽しみなんだろうか』