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    kmsskn_p

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    秀鋭や百鋭百などを書くのかもしれません

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    授業で山月記を読んでほんの少し不安になる秀と、むかし虎より厄介な何かだった自分のことを思い返している鋭心の秀鋭

    #秀鋭
    sharp

    虎が我にかえるとき「鋭心先輩」

     向こうから一緒に帰りませんかと声をかけてきた割に、黙っている時間が随分長かった。ようやく口をきいたと思っていると、投げかけられたのはこんな質問だった。
    「現国、どんな教科書使ってましたか」
     昨年の春までは鋭心も秀と同じ高校生だった。ただ高校三年までの課程を一、二年生のうちに終えてしまう中高一貫校だったこともあり、当時使っていた教科書の仔細となると記憶がやや曖昧だった。
    「出版社の名前は思い出せないが」
     ポケットから取り出したスマホに「高校、現代文、教科書」と呟きながら入力した秀が画面をこちらに見せてくる。書影を画像検索したらしかった。
    「ああ、おそらくこれだな」
     指し示すだけのつもりだった指が画面に触れて画像が拡大される。うっすらと記憶に残っているものと全く同じではなかったが、見覚えのあるデザインが踏襲されていた。これですね、と秀はスマホを引っ込めて、しばらく指を動かしながら画面を眺めていた。出版社のサイトを見ているらしかった。秀の代わりに前を見ながら歩いていたが、流石に本人の足元までは気の配りようがない。街路樹として植えられている銀杏は根がよほど深く張っているのかあるいは地盤が柔らかいせいなのか、歩道のアスファルトをところどころ隆起させていた。一旦立ち止まるように伝えるべく、しゅう、と名前を口に乗せた瞬間に秀が言った。
    「あ、載ってる」
     それで彼が確認したかった事柄については調べがついた形らしく、スマホは元通りにポケットへ仕舞われた。歩きスマホを止めるよう注意する必要がなくなって、代わりに鋭心は「一体何が」と尋ねた。
    「山月記です」
    「……ああ」
     中国の説話を元にしたその作品を授業で習った覚えは確かにあるが、漢文や古文の要素もある内容だった。ただ、考えてみれば作者が近現代の人間なのだから、あれは現代文の授業だったのだろう。
    「すご。どの教科書にも載ってるんだな」
     言葉の割にそこには特になんの感慨も込められていない気がして、ではなぜこんな事を聞いてきたのかと鋭心は不思議に思う。
    「他にも聞いてみたのか」
    「え、いや、聞いて確かめたわけじゃないですけど」
     となんだか歯切れが悪い。その反応を見て気がついた。おそらく今話している内容は、秀にとってこの会話の主眼ではなく、そこへ辿り着くための助走のようなものなのだろう。普段の行動力に溢れた言動を見ていると意外に思えるがたまに秀は回りくどくなることがあった。
    「鋭心先輩も、授業で読みました?」
    「ああ」
    「……ここ、今度のテスト範囲なんですよね」
    「そうか」
     何かを切り出そうとして、やっぱりそれを引っ込めたように思った。少なくとも学習面でなにか困っている様子ではない。そういう相談であれば歩きながら持ちかけないだろう。それに元々秀は分からない事を素直に受け入れて人に尋ねることができる人間だ。
     鋭心は年下のユニットリーダーのつむじを眺める。気が済むまでいくらでも、話を聞いてやりたい気持ちになっていた。
    「秀。一駅歩くか。今日は少し冷えるからどこかに入ってもいい」



     鋭心の提案に秀はあー、と唸りながら頭をかいて黙ったが、すぐに鋭心の目を見ながら「歩きたいです」と答えた。その後急いで「鋭心先輩さえよかったら」と付け加えてくる。先ほど鋭心が口にした少し冷えるという一言に気を遣っているらしかった。もちろん構わないと頷いてやると、そのやり取りで腹を括ったのか、駅前の通りを横切って一区画も歩かない内に秀の方から切り出してきた。

    「もし、あの話みたいに」
     鋭心は、すぐ左を歩いている秀の横顔を見る。
    「親しい人が虎になってたら、どうしますか」
     言い終えて秀も鋭心を見た。目が合って数秒もしない内に秀の方から逸らされた。わずかな時間でも、その目を見ればそれが彼にとって何かひどく切実で、重要な問いであることが鋭心には分かった。
    「虎か」

     物語の内容を思い返してみる。虎になってしまった男は、偶然出会った親友に己の過去の行いを打ち明ける。男は一度だけ親友に虎の姿を見せるが、それから二度と会うことはなかった。人は誰しも獣のような、どうしようもない性分を心の内に飼っていて、ともするとそれをうまく制御できずに身を滅ぼすという話だったように思う。男は詩人で、自らのねじれた自尊心のために人喰い虎に成り果てた。
     次いで、鋭心自身も授業でこの小説に触れた時、胃の底が重くなるような心地がしたことを思い出す。
     長かった髪を切った時に自分は生まれ変わったつもりでいた。でもたったそれだけのことで昔の自分が消えていなくなった訳ではない。ともすれば表象に浮かび上がってきて、何もかもをめちゃくちゃにしようとする。
    「本来あるべき姿に戻れるかどうかは本人が自分で気づいて改めるしかないと、俺は思う」
     だから、自分で自分を律し続けなくてはならない。
    「きっと鋭心先輩はそう言うんだろうなって思ってました」
     鋭心の言葉を聞いた秀が微笑みながら言った。鋭心はその表情を見て、後輩が自分という人間に期待していることへ応えられたことに安堵した。同時に、こんな風に安堵していることがひどく虚しいとも感じた。
    「……俺、自分に何ができるか、何をすべきなのか、この道に入る時に自分で決めてたんです」
     ほんの横顔でも、その目には強い光が灯っているようだった。
    「正直ちょっと、この話を読んだとき、俺がそいつのためにやろうとしている事って、結局そいつをまた傷つけるだけなんじゃないかと思って」
     ちょうど前方の横断歩道が点滅して赤に変わる。立ち止まると、秀は鋭心を見据えて言う。
    「でも、やっぱりそんな事ないって。俺だけじゃまた失敗するかもしれないけど、鋭心先輩と百々人先輩と一緒だったら絶対大丈夫だってこの間のライブで確信できたんで」
     交差点を行き交う車のヘッドライトが当たって、頬の輪郭や二人の影の形を長く短く変える。ステージ上の照明ほどの華やかさはなかったが、鋭心にとってあの日一緒に見た景色を思い出させるには十分だった。誰かに何かを必死に届けようとしている秀の姿がそこにはあった。
    「お前がそう思えたのなら、よかった」
     信号が青に変わる。自分たちのユニットのイメージカラーに似ていると柄にもなく思いながら歩き出す鋭心の隣で、秀が言う。
    「それとは別に、……もしかしたらこっちが本題かもしれないんですけど」
     珍しく、自信のなさそうな声だった。
    「最近、オフの日は部屋にこもって曲いじってるんですけど、……全然良いと思うものができなくて。自分では認めたくないけど、これってスランプってやつなのかなって」
     鋭心が相槌を打たなくても、淡々と秀は自分の中にある言葉を紡いでいく。それでも秀がずっと前を見ながら話すので、鋭心も彼の表情ではなく前を向いて、ただその言葉だけに耳を傾けた。
    「李徴、あの話の中の男って、自分の才能を過信したまま意固地になって、それで虎になったじゃないですか。……こわいなって」
     鋭心先輩、と名前を呼ばれて目が合う。
    「もし俺が虎になりかけてたら、殴ってでも止めてください」

     ……殴ってでも。
     そんな言葉が後輩の口から出てきた瞬間、息が詰まった。
    「俺は、」
     その後にどんな言葉を続けようとしていたのか、自分でも分かろうとしないままに飲み込んだ。次に言うべきことは決まっている。軽く俯くと、最近伸びつつあった前髪が目にかかった。
    「……わかった」

     昔、虎よりも厄介ななにかだったことがあった。
     物語の中の男は、過去の自分の愚かさを自覚して後悔もしていたが、元の姿に戻ることはできなかった。しかし考えてみれば、虎の姿のままであり続けるのは、彼が無自覚に彼自身へと課した罰だったのかもしれない。
    「秀、もし俺が虎になったら、その時は」

     最後まで言い切れずに顔をあげた時、ただきょとんと丸い猫のような目をしていた秀の表情が、はっと息を呑む音と共にみるみる緊張したものに変わっていく。こちらを真剣に見つめるその目が、その先を言わせまいと、そんなこと絶対にさせないと語っていた。聡い彼には鋭心が何を言おうとしたのかもう分かってしまっているようだった。

     どちらからともなく歩くのをやめて、黙り込む。その間に何台もの車が二人を追い越していった。

    「……あの。あともう一駅歩きませんか」
     先に言葉を発したのは秀の方だった。 
    「でも、別に、俺に言いたくないことは言わなくていいんで。……俺だって全部言った訳じゃないし。だから、お互い様です。……ただ一緒に歩いて帰りたいと俺が思っただけだから」

     所々に言葉を探しながら選び取るための間をおきつつ、そう言い終えた。それからすうっと息を吸い込むと、照れ隠しのように立ち止まるとさむ、と自分の両腕をさすって苦笑いした。
    「ほら、行きましょう」
     秀は、鋭心の手を掴んで先を歩き出す。
     ろくに返事もしないままただつられて足を動かしていた鋭心がふいに手を握り返すと、それに気づいた秀が振り返り安心したように笑う。その顔が初めて会った時よりもほんの少し大人びているように鋭心には見えた。
     少し前まで中学生だったはずのまだあどけなかった少年が、成長していく姿は頼もしくもあり、名残惜しくて勿体無いような気持ちにもさせられた。
     気がつけば口が勝手に彼の名前を呼んでいた。
    「秀」
    「はい」
    「……いや、なんでもない。……いい名前だな」
    「鋭心先輩だってそうでしょ。俺、先輩の名前、好きですよ」

     屈託のない言葉を聞いて、自分という人間にこの名前をつけてくれた人たちの顔を思い浮かべた。それから、今自分の手を引いている少し小さくて体温の高いこの手が、いつまでこのまま解かれずいられるのだろうかと、幼い子どものように考えていた。

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    DONE授業で山月記を読んでほんの少し不安になる秀と、むかし虎より厄介な何かだった自分のことを思い返している鋭心の秀鋭
    虎が我にかえるとき「鋭心先輩」

     向こうから一緒に帰りませんかと声をかけてきた割に、黙っている時間が随分長かった。ようやく口をきいたと思っていると、投げかけられたのはこんな質問だった。
    「現国、どんな教科書使ってましたか」
     昨年の春までは鋭心も秀と同じ高校生だった。ただ高校三年までの課程を一、二年生のうちに終えてしまう中高一貫校だったこともあり、当時使っていた教科書の仔細となると記憶がやや曖昧だった。
    「出版社の名前は思い出せないが」
     ポケットから取り出したスマホに「高校、現代文、教科書」と呟きながら入力した秀が画面をこちらに見せてくる。書影を画像検索したらしかった。
    「ああ、おそらくこれだな」
     指し示すだけのつもりだった指が画面に触れて画像が拡大される。うっすらと記憶に残っているものと全く同じではなかったが、見覚えのあるデザインが踏襲されていた。これですね、と秀はスマホを引っ込めて、しばらく指を動かしながら画面を眺めていた。出版社のサイトを見ているらしかった。秀の代わりに前を見ながら歩いていたが、流石に本人の足元までは気の配りようがない。街路樹として植えられている銀杏は根がよほど深く張っているのかあるいは地盤が柔らかいせいなのか、歩道のアスファルトをところどころ隆起させていた。一旦立ち止まるように伝えるべく、しゅう、と名前を口に乗せた瞬間に秀が言った。
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     向こうから一緒に帰りませんかと声をかけてきた割に、黙っている時間が随分長かった。ようやく口をきいたと思っていると、投げかけられたのはこんな質問だった。
    「現国、どんな教科書使ってましたか」
     昨年の春までは鋭心も秀と同じ高校生だった。ただ高校三年までの課程を一、二年生のうちに終えてしまう中高一貫校だったこともあり、当時使っていた教科書の仔細となると記憶がやや曖昧だった。
    「出版社の名前は思い出せないが」
     ポケットから取り出したスマホに「高校、現代文、教科書」と呟きながら入力した秀が画面をこちらに見せてくる。書影を画像検索したらしかった。
    「ああ、おそらくこれだな」
     指し示すだけのつもりだった指が画面に触れて画像が拡大される。うっすらと記憶に残っているものと全く同じではなかったが、見覚えのあるデザインが踏襲されていた。これですね、と秀はスマホを引っ込めて、しばらく指を動かしながら画面を眺めていた。出版社のサイトを見ているらしかった。秀の代わりに前を見ながら歩いていたが、流石に本人の足元までは気の配りようがない。街路樹として植えられている銀杏は根がよほど深く張っているのかあるいは地盤が柔らかいせいなのか、歩道のアスファルトをところどころ隆起させていた。一旦立ち止まるように伝えるべく、しゅう、と名前を口に乗せた瞬間に秀が言った。
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