『咲希さんは少女漫画がお好き』「とーやくん!」
喉休めで練習もないから、ショッピングモールで新しい衣装兼私服を見繕いながらダラダラ過ごすかと冬弥と約束をした休日の昼下がり。交差点の信号待ちで立ち止まっていたら、随分と可愛らしい声が隣の男を呼んだ。
二人してキョロキョロ辺りを見渡せば、金髪ツインテールのギャルっぽい女子がこちらに向かって片手をブンブンと振っている。どこかで見た顔のような気がするが、よく思い出せないからやっぱり初対面かもしれない。
「咲希さん」
冬弥もその子を見つけたらしく、軽く手を挙げて応えている。コイツがオレ以外の女子を下の名前で呼ぶところ、初めて見た。オレだって最初は苗字で呼ばれていたのに。今にも駆け寄って来そうな女の雰囲気に、冬弥の裾を引いてコソコソと尋ねる。
「誰?」
「司先輩の妹さんだ」
「あぁ……」
言われてみれば、なんで気が付かなかったんだと自分に呆れるほど顔立ちがそっくりだ。
そこそこ足の遅い〝咲希さん〟が、とことこと小走りでこっちにやってくる。近くまで来たことでオレの存在に気が付いたのか、ぺこりと丁寧に会釈をいただいた。さすがに何もナシはマズいだろうと、とりあえずオレも猫被りモードの笑顔を浮かべて頭を下げておく。
「やっぱりとーやくんだ。久しぶりに見かけたから、つい声をかけちゃった。もしかして、急いでた?」
「いいえ。咲希さんもお元気そうで何よりです」
のほほんと話を始める二人を横目に、オレはなるべく自分の存在を消すことに徹した。まぁ、昔馴染みとの会話に割って入るほど野暮じゃない。オレは空気、オレは空気……。
「この子はとーやくんのお友達?」
「ええ、そんなところです」
気にしてくれなくて良いんだけどなあ、マジで! 笑顔にピシリとヒビが入った幻覚が。まぁ、全部オレの妄想なので気付かれるわけないんだけど。咲希さんはさすが司センパイの妹だけあって、初対面の人間にも全然物怖じしない性格らしい。
「東雲彰人です。司センパイにはお世話になっています」
「あ、天馬咲希です。お兄ちゃんがお世話になってますっ。突然話しかけちゃってすみません」
「いえ、お気遣いなく。特に用事があった訳じゃないですから」
「えへへ、私も用事があった訳じゃないんですけどね。でもとーやくんに会うの、久しぶりだったから」
「司先輩と違って、咲希さんとは学校で顔を合わせることもないですからね」
「あ、もう。咲希で良いって言ってるのに」
「司先輩の妹さんを呼び捨てにする訳にはいきません」
和気あいあいとした会話に、今度こそピシッと自分の体に亀裂が入ったかのように感じた。
え、なにお前。オレですら、相棒だからって結構強引に下の名前で呼ばせた自覚はある。でも、名前呼びはその甲斐あっての特権だと思ってたのに。司センパイの妹じゃなければ、このひとも〝咲希〟って呼び捨てにしてたってこと?
「そ、れは……ヤだ」
「え?」
二人の視線が集まってきて、自分がうっかり口を滑らせたことに気が付いた。反射で口を塞ぐがもう遅い。口から出た言葉は戻ったりしない。うわ、別に彼女でもないのに相棒が他の女を呼び捨てにするのが嫌だとか、もしかしてオレって独占欲強すぎ……?
顔に血液が集まって、赤くなっていくのが解る。自分がやらかしたんだけど、いたたまれない。ああもう、早く逃げてえ。
頭上にはてなマークをいっぱい浮かべていそうな冬弥の横で、咲希さんがハッと何かに気が付いた顔をして、オレと冬弥を何度か見比べる。それから、手を取られて両手で包むようにぎゅっと握られた。いったい何だ?
咲希さんの目は、まるで憧れた宝石でも見るかのようにキラキラしていて眩しすぎた。よく見なくても美少女だな……現実逃避に目を逸らす。
「そっか、そうだよね。ごめんね!」
いや、待て。この数秒で何を理解したんだ咲希さん。そしてオレは何を謝られているんだ。
「二人ともすっごくお似合いだと思う。とーやくんに名前で呼んでなんてもう言わないから、安心してね!」
「え。は……?」
これはもしかしなくても、変な勘違いされてんな?
「えーっと、そうじゃなくて」
「大丈夫、アタシは二人のこと応援するからね!」
デートの邪魔してごめんね! って両手を合わせてから咲希さんは止める暇もなく走り去ってしまった。どこからツッコミを入れようか悩んでいる硬直時間の間に居なくなってしまった、と言う方が正しいかもしれない。思い込んだら一直線なとこまで、兄にそっくりじゃねーか。何にも大丈夫じゃねえ。さっきまで咲希さんに掴まれていた手は宙をさ迷ってから、行き場の無いままガクリと項垂れた。あーあ……。
「絶対ヘンな誤解したまま行っちまったんだけど。……弁明しなくて良かったのかよ」
あの子の口がどれだけ固いか知らないけど、下手したら司センパイにも伝わるぞコレ。そしてあの声のデカい司センパイに知られたら、多分そっから知り合い中に拡散されるんだろうな。
何よりも、沈黙したまま立ち竦んでいる冬弥と二人きりで残された、この気まずい雰囲気どうしてくれんだよ咲希さん……。
「そう、だな。……いや、誤解じゃなくなればいいんじゃないか」
「はぇ」
「……行こう、彰人」
そう言って手を繋がれる。待て、しかもこれって俗に言う恋人繋ぎってやつじゃ……。ああ、もう! ここは往来だっての!
「と、冬弥、ちょっと待っ」
「それから、俺が咲希さんと呼ぶのは司先輩と同じ苗字だからで他意はない。そこは誤解しないでくれ」
「も、もう分かったって……!」
そんなに急にいっぱい爆弾を落としてくるな!オレはまだ、さっきのモヤモヤした自分の感情だって処理しきれていないのに。
あーもう、それもこれも全部咲希さんのせいだからな!